副総長メッセージ2月:良い、忠実な、勇気あるしもべ
副総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2025年2月)
良い、忠実な、勇気あるしもべ
この聖年の間、困難な世界にあって、私たちは立ち上がり、再び歩み出し、人間として、信仰を持つ者として新たな旅をするように招かれています。
預言者イザヤはエルサレムに次の言葉をかけました。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」(イザヤ60:1)。光が来るのだから立ち上がるようにという預言者の招きは唐突に思えます。これは民が体験した苛酷な追放と数多くの迫害の直後に告げられたからです。
今日、この呼びかけは、聖年を祝う私たちにも向けられています。この困難な世界にあって、私たちも立ち上がり、再び歩み出し、人間として、信仰を持つ者として新たな旅をするように招かれています。
私たちが典礼によってドン・ボスコの聖性を祝うお恵みをいただいている今 —— そう、それはまさに恵みです——私たちはいっそう、そのように招かれているのです。このことに慣れてしまわないようにしましょう。ドン・ボスコは偉大な神の人です。ひときわ輝く、勇敢で疲れを知らない使徒でした。キリストにぞっこん惚れ込んだ弟子だったからです。
ドン・ボスコは私たちのお父さんです!
人生において、父がいることはきわめて重要です。信仰において、キリストに倣う時も同じです。偉大な父親を持つことは値(あたい)を付けられないほど貴重な贈り物です。父の存在を内的に感じることができます。父の信仰と経験は私たちの人生を動かします。ドン・ボスコにとってそうであるなら、私にとっても同じなのではないでしょうか。
これは、聖年の精神において私たちを変える存在論的な問いかけです。私たちを「新たにし」、「変える」のです。これは私たちが祝ったばかりのドン・ボスコの祭日の、私たち皆にとっての深い意味です。彼を尊敬するだけでなく、彼に倣うこと!
私たちが今生きている聖年、寄り添ってくださる神の現存、希望をテーマとするこの聖年に、ドン・ボスコは明確で強力な手本です!
今年のストレンナ解説で私が引用したように、ドン・ボスコは希望について次のように書いています。「サレジオ会員とは——サレジオ会員について話しながら、ドン・ボスコは読者一人ひとりに語りかけます——神の栄光とたましいの救済に必要ならば、寒さや暑さ、飢えや渇き、疲労や軽蔑を耐え忍ぶ覚悟ができている者です」。この厳しい修徳の力量を内面から支えているのは、彼がそれをもって働き生きた、良心を映しだす天国への思いです。「私たちがすることすべて、義務、仕事、悩みや苦しみにおいて、決して忘れてはなりません。神の名のためになされたいかなる小さなことも、神は決してお忘れになりません。神が適切な時に豊かな報酬を与えてくださることは確かです。私たちが人生の終わりに、神の裁きの座の前に立つとき、神は慈愛深いみ顔を私たちに向けながら次のように仰せになることでしょう。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』(マタイ25:21)。疲れや苦しみの中にあっても、私たちには天に大いなる報いが蓄えられていることを、決して忘れてはなりません」。あまりに多くの仕事で疲れ切っているサレジオ会員は修道会全体にとっての勝利を表している、と言う時、私たちの父は、ほうびには兄弟的交わりの次元が含まれていること、天国には共同体的な意味があるとさえ言うかのようです!
「サレジオ会員、立ち上がりなさい!」 ドン・ボスコは私たちにそう望んでいます。
「こんにちは、他者を救うことで、あなた自身も救われなさい」
ドン・ボスコは偉大な希望の人の一人でした。その証拠はたくさんあります。彼のサレジオ的精神には、聖霊の大胆なダイナミズムの特徴である、揺るぎない確信と惜しみなく働く勤勉さがしみわたっていました。
ドン・ボスコは希望のエネルギーを、二つの方向で自分の生き方に取り込むことを知っていました。自らを聖化する取り組み、そして他者の救いのための使命です。あるいはむしろ、言い換えると ‐ ここに彼の精神の中心的な特徴があるのですが ‐ 他者の救いを通しての自らの聖化です。有名な三つのSのモットーを思い出しましょう。「Salve, salvando salvati」(こんにちは、救うことで、救われなさい)。あまりに単純な覚えやすい言葉遊び、教育的スローガンのように見えますが、自らの聖化と隣人の救いという二つの事柄が緊密に結びついていることを示す意味深いものなのです。
エリック・ヴァーデン司教は言っています。「今、ここに、希望はかすかな光として姿を現します。だからといって、取るに足らないということではありません。希望は心から心へと広がる祝福された感染力を持っています。全体主義の権力はつねに希望を消し去り、絶望へ誘おうとします。希望を学ぶことは自由を実践することを意味します。ペギーはある詩の中で、希望を至聖所のランプの火として表しています。彼は言います、この火は『幾夜もの深い闇を通って来た』。希望は今の状況を見せてくれますが、これからどうなりうるかも予見させてくれます。希望するということは、未来の可能性に自分の存在を賭けることです。希望は、私たちが生きている運命論的・決定論的環境において、たゆまず実践すべき生き方です」。
今年の聖年をこのように生きることを神がかなえてくださいますように!
神の現存である希望を心に、「闇の中で輝く」このビジョンと共に、私たち皆が今月、前進して行けますように。
今月1ヶ月間、総会を開く私たちサレジオ会のために祈ってください。皆さんの祈りと思いに伴われて、私たちが忠実にドン・ボスコの望んだようなサレジオ会員となれますように。
副総長 ステファノ・マルトリオ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》
■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内の以下のリンクからお読みいただけます。どうぞご利用ください。
〇英語