ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ7~8月: 賛美と痛みの間で


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2024年7~8月)

賛美と痛みの間

 

『ボレッティーノ・サレジアーノ』に興味をもって手に取ってくださる、ドン・ボスコの友である皆さんに心からの挨拶を送ります。これはドン・ボスコが心底から愛し、自身でつくり上げたコミュニケーションの手段です。ボレッティーノを通してドン・ボスコは、世界中のサレジオの家で起きていることと、そこで成された善を知らせることができました。

今日私は、『ボレッティーノ・サレジアーノ』のこのページを通しての最後の挨拶を皆さんに送ります。私たちがドン・ボスコの誕生日を祝う8月16日に、私のサレジオ会総長としての務めは終ります。いつの時も、感謝をする理由があります。ありがとうと言う理由があります! 何よりもまず神に感謝します。サレジオ会とサレジオ家族に、大勢の大切な人々、友人の皆さんに、そしてその多くは支援者であるドン・ボスコのカリスマの大勢の友人である皆さんに、感謝します。

このご挨拶と共に、最近私が経験したことも結びつけてお伝えしようと思います。その経験から、この挨拶に「賛美と痛みの間で」という題を付けました。終わりの見えない戦争で傷ついたコンゴ民主共和国のゴマで心を満たした喜びと、昨日私が受け取った喜びと証しについてお話しします。

3週間前、ウガンダのパラベク難民キャンプを訪問した後(パラベクは、幸いなことに、近年のサレジオ会による働きとその他の援助のおかげで、スーダン難民のキャンプではなくなり、数万人もの人々が腰を据えて新しい生活を見つける場となりました)、私はそこからルワンダを通過して、ゴマ地域のコンゴ国境に着きました。そこは美しい土地で、自然が豊かです。だからこそ、そこを奪い取ろうとする力が、武器を用いて「語った」のです。悲しいことに、武力紛争により、その地域には家と故郷を去らねばならなかった100万人以上の避難民がいます。私たちサレジオ会員も、武力によって制圧されたためシャ・シャーの事業所から退去しなければなりませんでした。

そうした100万もの避難民はゴマにやって来ました。その一画であるガンギには「ドン・ボスコ」という名のサレジオ会施設があります。そこで行われている善きわざを目にしたとき、私は深い喜びを覚えました。何百人もの少年少女がそこに暮らしています。数十人のティーンエイジャーたちが路上から助け出され、ドン・ボスコの家に住んでいます。そしてそこには、新生児も含めた82人の赤ちゃん、両親を亡くしたり、戦争のために面倒を見られなくなった親から捨てられてしまったりした小さな子どもたちもいます。世界中の多くのヴァルドッコの一つである、そのもう一つのヴァルドッコには、エル・サルバドルから来た3人のシスターたちの共同体があり、女性たちのグループと一緒に赤ちゃんや小さい子どもたちの世話をしています。その活動はすべて、恩人たちの惜しみない支援とみ摂理のおかげで送られる援助によりサレジオ会共同体に支えられています。私が訪ねたとき、シスターたちは、ベビーベッドで眠っている赤ちゃんも含めた子どもたち全員にお祝いの装いをさせていました。親に捨てられたことや戦争によって生み出される痛みにもかかわらず、この善き働きを前にするとき、私たちは、心が喜びで満たされるのを感じずにいられるでしょうか!

それでも、訪れた私に挨拶しに来てくれた数百人もの人々に会ったとき、私は心を揺さぶられました。彼らは爆撃のために家と土地を離れ、安全な場所を探してやって来た32,000人の避難民の一部でした。その人々はガンギのドン・ボスコの家の運動場や遊び場に身を寄せていました。彼らには何もありません。数平方メートルのスペースの上に防水シートか布地をかけて住いとしています。これが彼らの現実です。サレジオ会共同体は、食べ物を得る方法を、毎日人々と一緒に探します。

ところで、何が私を最も強く感動させたかわかりますか。大半がお年寄りか子ども連れの母親たちであるその数百人(男性の多くは戦闘のために来られなかったのです)と共に過したとき、彼らは尊厳を失っておらず、喜びと笑顔さえも失っていなかったのです。主のみ名において私たちはできるかぎりのことを行っていますが、多くの苦しみと貧しさを前にして、痛みを覚えずにはいられませんでした。それでも私の心には大きな感動が残ったのです。

そして昨日、私はあるいのちの証しを受け取り、もうひとつの大きな喜びを感じました。そのことから、私たちの事業所にいる青少年や若い人々のこと、おそらく私のメッセージを読んでいて、自分の子どもには目標がなく、人生に飽き飽きしていて、何にも情熱を感じていないと思っている、多くの親のことを考えさせられました。その証しは次のとおりです:最近、ローマのサレジオ会本部、サクロ・クオーレを訪れた人々の中に、一人の素晴らしいピアニストがいました。世界中で演奏会をしたり、有名なオーケストラのメンバーを勤めたりしてきた彼女はサレジオ会の学校の卒業生で、今はもう亡くなったあるサレジオ会員を自分の手本として尊敬しています。彼女はこれまでの人生に感謝を表し、こよなく愛する扶助者聖母のために、聖心大聖堂横の中庭で、私たちのためにコンサートをしたいと願い出ました。私たちの親愛なる友人はお嬢さんに付き添われ、類まれな腕前で見事なコンサートをしてくれました。何と彼女は81歳なのです。それくらいの年齢だと、何かを計画したり、努力を必要とすることはもうしたくないと、すでに久しく感じている人も多いと思いすが、そのピアニストは毎日ピアノを練習していて、見事な指使いで、美しい音楽とそれを奏でることに没頭していました。その間、彼女にとって、時間は止まっていました。よい音楽、演奏の後の美しい笑顔、扶助者聖母への蘭の贈りもの、ただそれだけが、その素晴らしい朝に私たちが必要としたものでした。私のサレジオ会員の心は、人生を生き生きとさせる何かを持ったことがない、またはそれを失ってしまった少年少女や若い人々のことを考えずにはいられませんでした。私たちの友人ピアニストは81歳で、心の深い平和のうちに暮らし、私に語ってくれたところによれば、神に与えられた才能を捧げ続けていて、毎日、そうする理由を発見するそうです。心が無関心ではいられなくなる、もう一つの人生の教訓、もう一つの証しです。

このようなわけで、友である皆さん、私たちが共に行っているすべての善のため、心の底から皆さんに感謝します。たとえ小さなことでも、それにより私たちの世界はいささかなりともより人間らしく、より美しくなるのです。よき主が皆さんを祝福してくださいますように。

 

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内の以下のリンクからお読みいただけます。どうぞご利用ください。

 

英語

 

イタリア語

 

スペイン語

 

ポルトガル語

 

フランス語