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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ3月: その日、私はドン・ボスコが感じたに違いないことをいささかなりとも理解したのです。


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2023年3月)

その日、私はドン・ボスコが感じたに違いないことをいささかなりとも理解したのです。

ドン・ボスコの荘厳な祝日の翌日は特別な朝でした。私はかつてジェネララと呼ばれていたトリノのフェランティ・アポルティ少年院に入る許可を得ていたのです。

 

昨日2月1日、聖ヨハネ・ボスコの荘厳な祝日の翌日は特別な朝でした。私はトリノのフェランティ・アポルティ少年院(IPM)に入るために必要な許可を得ていました。若き司祭ヨハネ・ボスコの司祭として働きはじめたころについて知っている私たちは、霊的指導者であったカファッソ神父に連れられて彼が「ラ・ジェネララ」と呼ばれる刑務所を訪れていたことの意味をよくわかっています。そのときの訪問が彼の魂に与えた衝撃は大きく、彼は少年たちがその場所に行き着いてしまうことがないように、できることは何でもすると主に約束したのでした。こうしてオラトリオと予防教育法は生れたのです。

私は青年たちのグループと一緒にそこにいました。私はドン・ボスコの頃の建築構造が残されている廊下に足を踏み入れました。ドン・ボスコの時代と同じで、よく保存されていました。壁の一ヶ所に、ドン・ボスコが収監されている若い人々を訪問したことを記念する、大きな銘板がありました。

サレジオ会員でその施設のチャプレンであるシルヴァーノ神父は必要な許可をすべて整え、私を待っていました。サレジオ会の修練生も全員来ました。修練長の指導の下に、今年彼らは、サレジオ会員として初誓願を立てる準備をしています。この18人からなるグループは毎週、「鉄格子の向こうの遊び場」と呼んでいる取り組みのため、IPMの若い収監者たちのもとを訪ねています。「住人たち」は皆、ドン・ボスコお抱えの修練生たち(私はこの言い方が気に入っています!)よりもかなり若いです。彼らの大半には親しい家族がいません。これはまさに、ドン・ボスコが経験した状況によく似ています。

そこにはまた、毎日その若者たちに寄り添う教官もいました。私が着いたとき、数人が廊下に、他の若者や教官たちは美術制作に使われている部屋の中にいました。私は一人ひとりに挨拶しました。アラブ、ムスリムの世界から来た若者たちには、彼らがいつも使っている「サラム・マレクム」という挨拶の言葉をかけました。アラビア語の正しい表現は「アス‐サラーム・アレイ‐クム」(平和がありますように)ですが。すると、彼らは習わし通り「マレクム・サラム」と答えてくれました。私は幾人かのイタリアやヨーロッパの若者にも挨拶しました。

私は彼らに自分のこと、生い立ちや生まれた国について話しました。「私はスペイン人です。漁師の息子としてガリシアで生れました。神学と哲学を勉強しましたが、父が教えてくれたので、釣りのことはもっとよく知っています。43年前、私はサレジオ会員となることを選びました。その前は医者になりたかったのですが、若い人々の魂を癒すためにドン・ボスコが私を呼んでいるとわかったのです」。

私は彼らのことを尋ね、進んで話してくれる若者もいました。彼らの国のことを、それぞれを訪問したときに知ったと若者たちに伝えることができました。私はコミュニケーションが可能だと感じました。これに先立ち、3人の修練生がドン・ボスコの生涯の一場面を元にした寸劇を演じていました。その後で私に発言の機会が振られました。そして若者たちにも、3つか4つの質問をするチャンスが与えられました。ドン・ボスコは私にとってどんな人か、なぜ私はサレジオ会員なのか、私はそのような生き方をする中で何を感じているのか、なぜ彼らを訪問しに来たかを、彼らは尋ねました。

最後の質問に関して、私はこのように答えました。私が彼らを訪ねる代りに、異なる状況で、昨日の午後ドン・ボスコの祝日に彼らが私のところに来て中庭で素晴らしい集いを行い、ピザを分ち合えたら、どれだけ嬉しかっただろうと話しました。今回はできなかったけれど、将来そうなることを妨げるものなど何もないのだと私は話しました。

この対話に続き、教官たちはもっと広い部屋での昼食(ピザ)に 私たちを誘ってくれました。若者たち、教官、修練生、同伴のサレジオ会員たち、私たちは皆そこに向いました。少年たちが望んだので、私たちは何枚か写真を撮りました。(もちろん彼らの記念のための「非公開」の写真でしたが)。ひとりの若者は自分でスクリーン印刷したスポーツシャツを私にくれました。彼のスクリーン印刷は見事でした。それは今成長し続けている分野なので、将来の仕事として有望ではないかと彼に言いました。

ある若者が私に質問してもかまわないかと尋ねて来ました。皆の前では尋ねたくなかったと言うのです。私はどうぞと返事しましたが、ちょうどそのときほかの人たちに何度も話しかけられ、さえぎられてしまいました。それからその少年を探しても、彼はもうそこにはいませんでした。自由になったとき、すぐに私は再び彼を探そうと見回しました。私は彼を見つけ、近づき、質問に答えてもいいかと訊きました。私たちは妨げられないように、皆から少し離れたところに移動しました。私は彼に誠意をもって話しかけました。彼の質問はこうした。「ここにいることで何になるというのですか」。私は言いました。「私は心から信じている。『何のためでもなく、でも多くのことのため』だと。なぜなら収監、収容はゴールでも終着点でもなく、通り道でしかない。でも―私は言い足しました―ここには戻りたくないという決意をするのを助けてくれる場であり、それは君にとって大きな助けになるだろう。君にはもっとよい未来の可能性があるし、数ヶ月後、たとえばカザーレの近くにあるサレジオ会の受け入れ共同体に行くこともできるだろう……。」

私がそう言うと、その若者は私の話が終わらないうちにこう言いまた。「そうです。僕にはそれが必要です。僕は居るべきでない所に、居るべきでない人たちと一緒にいたんです」。私は、彼の将来や他の若者たちの将来について考え始めなければならないことを、チャプレンに話してよいか訊きました。彼は答えました。「はい」。私はその通りにしました。私たちは話し、彼らも話し合いました。ドン・ボスコの言葉がどれだけ真実であるかを私は感じました。 若者一人ひとりの心にはいつも善の種があるのです。その若者と私が出会った他の多くの若者たちは、間違いを犯した後でも正当なチャンスが与えられれば「回復できる」のです。

そしてまた私はドン・ボスコが感じたこと、ジェネララに閉じ込められたあの若者たちを見たとき、若く熱い心に感じたことをかつてないほどにわかったのです。

私はまた若者たち一人ひとりに挨拶しました。私たちのやりとりには心がこもっていました。彼らの表情はオープンで、彼らの微笑みは、人生で大変な経験をし、ある点では間違ったにせよ、いのちに満ちあふれた若い人々の微笑みでした。私は教官たちが自らの仕事をよくわかっているのを感じました。それは私には喜ばしいことでした。

決められた時間になったので、私は別れを告げました。すると一人が私のところに来て尋ねました。「いつまた来ますか」。私は胸を打たれました。彼に微笑みかけて言いました。「こんど君が私を呼ぶ時に。そうすれば、また来るよ。そのときまで、ドン・ボスコのように、私はヴァルドッコで君を待っているよ」。

これが昨日、私が経験したことです。『ボレッティアーノ・サレジアーノ』の友、ドン・ボスコのカリスマの友である皆さん、ドン・ボスコの時代のように、今日でもすべての若者の心に達することは可能です。大変な困難の中にあっても、彼らにはよりよくなる可能性があります。正直に生きるために、変わることができます。ドン・ボスコはそれを知っていて、全生涯をそのために捧げたのです。

皆さんに心からの挨拶を送ります。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

 

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