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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ12月:あの幼な子の無防備な力が、世の騒がしい力に打ち勝つのです。


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2022年12月)

あの幼な子の無防備な力が、世の騒がしい力に打ち勝つのです。

かつてなかったほど、私たちは今年、イザヤの言葉の真理を理解できます。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の谷に住む者の上に、光が輝いた」。

 

サレジオのカリスマの友、『ボレッティアーノ・サレジアーノ』の読者である方々へ、

私たちはクリスマスの入り口に立っています。クリスマスのもたらすものはすべて、何と美しいことでしょう。ベネディクト16世の言葉に以下のようにあります。「親愛なる友人の皆様。わたしたちが間もなく祝う主の降誕の祭日はわたしたちを招きます。これと同じ信仰のへりくだりと従順を生きなさいと。神の栄光は、王の勝利と力のうちに示されるのでもなければ、壮麗な都、豪華な宮殿の中で輝くのでもありません。むしろそれは一人のおとめの胎内に宿ります。幼子の貧しさの中に現れます。神の全能は、わたしたちの生活においても、しばしば静かに、真理と愛の力をもって働きます。それゆえ信仰は私たちに語りかけます。あの幼な子の無防備な力が、最終的に、世の騒がしい力に打ち勝つのです」(2012年12月19日、一般謁見演説)。「わたしたちは、世の闇の中で、このまったく予想できなかった神のわざにあらためて驚き、また照らしていただかなければなりません。神が幼子となられたのです。わたしたちは、全世界を喜びで満たした星に驚き、照らしていただかなければなりません。幼子イエスがわたしたちのところに来られるとき、わたしたちが準備もせず、外面的に美しいものにのみうつつを抜かしているのを見いだされることがありませんように」(2010年12月22日、一般謁見演説)。

 

私たちの大半にとって、この季節に様々な祝日やお祝いを通してクリスマスの準備をすることは、心を感動で満たすことだと思います。ある人々は、この素晴らしい神の現存―神の愛―の神秘を心で理解していないかもしれません。それでも、多くの人にはわかっています。クリスマスはつねに人間らしさ、恵み、平和への願い、希望の美しい時なのだと。

クリスマス、神の現存の神秘の光と美しさの中に立っていても、私たちはまさに「世界の夜」を生きていることに気づかずにはいられません。私たちは痛み、絶望、戦争、死の時代に生きています。書かれたのは私たちが生きている今より10年も前でしたが、教皇ベネディクト16世の言葉はどれほど時代に合っているでしょう。

-私たちはウクライナで起きている戦争を無視できません。

-私たちは戦争の罪の結果、戦争があちこちに蒔いている死の結果、断たれてしまった、何千ものいのちを忘れません。

-ウクライナで家を追われた何千もの人々、明りも暖房もなくわずかな食料しかない、非人間的な環境に隠れて暮らす数え切れない人々がいることを私たちは知っています。

-ウクライナに加えて、現在、世界中で29もの戦争や武力紛争が起きています。そこでも人々は死と絶望に苦しんでいます。

-ラテン・アメリカでは、毎年35000件以上の殺人が起きている国々もあります。

-2、3年前に比べると、ヨーロッパの(自分たちは全く安全だと思っていた私たちの中の)貧しい人々の数は2倍以上になっています。

-私たちは世界の飢餓をまだ終らせることができていません。それどころか、状況は悪化しています。

-私たちの苦しむ地球の気候変動による破滅的な火災や洪水が、増加する回数と破壊力で私たちに警告を与えています。

-つい最近の気候サミットに、最も環境を汚染している国々は、まるで問題が他人事かのように、出席すらしていませんでした。

 

私が記したことは「人類の夜」と捉えられないでしょうか。教皇フランシスコご自身がためらうことなく、さまざまな形で隠れて起きている第3次世界大戦のことを話しておられます。

それでは2000年以上も前の受肉の実り、最初のクリスマスの実りを私たちはどこで見つけ、体験できるでしょうか。主の復活によって私たちにもたらされたいのちを、私たちはどこで体験できるのでしょう。

私たちに希望の根拠はあるのでしょうか。それとも、闇夜がそれを見つけるのを阻んでいるのでしょうか。

この季節に、教皇フランシスコはしばしば希望について話してくださっています。私たちが苛酷な試練を受けている今だからこそ「希望の作者」であるイエスの目、新たな目で、私たちの存在・生き方を見るように促しておられます。そうすることは、闇が光に変わると言う確信をもってこの困難な日々を乗り越えるよう助けてくれるでしょう。希望は「決して失望させない徳です。もしも待てば、裏切られることはないでしょう」(教皇フランシスコ)。それは神さえも驚かせる徳であると、偉大なフランスの作家シャルル・ペギーはある詩の中で、神に次のように言わせています。「神は言われる。私が一番愛する信仰の表れは希望である……私を驚かせるのは希望だ」。

疑うまでもなく、私たちはこれほど多くの夜と向き合っていますが、いのちもまた豊かにあるのです。ナザレのマリアがみどりごのうちに私たちにもたらされるいのち。神の名によって、限りない愛をもって母親たちが生み出す多くの子どもたちのいのち。隣人、何かを必要とする人々、孤独なお年寄りに毎日手を差し伸べる、数知れない名もなき人々の寛大さがもたらすいのち。いのちとは、声も上げずに闇や悲観主義と闘う、数多くの名もなき人々が差し出すものです。私が思うに、いのちは世界中の数え切れないサレジオの拠点で日々蒔かれているものです。爆弾による死に代って、愛情を示す身ぶり、ほほえみ、パンやご飯を通じて、光と希望に出会う瞬間のうちに蒔かれるのです。これらはすべて、クリスマス、神の御子の受肉、復活によってもたらされる、いのちの神がもたらしてくださる実りだと私は信じています。最後に決定的な言葉を発せられるのは神なのですから。

祝福されたクリスマスを!

 

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

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