総長メッセージ9月:ステファン・サンドル、家に帰る
総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2022年9月)
ステファン・サンドル、家に帰る
一連の奇跡的な巡り合わせが重なり、殉教した福者ステファン・サンドルの聖遺物を祝福する荘厳な式の雰囲気を盛り上げました。「サレジオ会員である」がために、彼は処刑されました。
『ボレッティーノ・サレジアーノ』の読者であり、ドン・ボスコのカリスマの友である、友人の皆さんに心からの挨拶を送ります。今回の私のメッセージの中心となる人物は私が訪問先で出会った若者ではなく、ハンガリーで殉教し列福された若いサレジオ会員です。
ステファン・サンドルとの出会いは感動的で素晴らしいものでした。
武力紛争や何らかのイデオロギーに基づく全体主義体制について語ることは、つねに難しくデリケートです。そこに関わる人々の感じ方や家族の中で引き継がれる政治的立場、文化的背景は様々だからです。それを認識しつつも、歴史は変えられません。真実をおろそかにして歴史を書き換えることはできても、起こったことは変えられないのです。
ステファン・サンドルはサレジオ会の若い修道士(司祭ではありませんが、奉献生活を送るサレジオ会員でした)で、ハンガリー共産政権の暗黒時代に39歳で死刑を宣告され、処刑されました。青年活動、スポーツや職業訓練のために若者たちを集めていた、ということが彼の犯罪でした。当時の政府にとって、それは重大な反逆でした。
その上でステファンの物語は特別です。彼の抱いていた確信、一緒に捕らえられた6人の青年たちのいのちを助けたこと、処刑と名前も記されずに集団墓地に埋められたこと、70年を経て、かつての若者、サレジオ会学校の元学生、3人の歴史とDNA鑑定の専門家のおかげで遺体がみつかったこと。この発見のおかげで、2022年6月4日、私はハンガリー、ブダペストのクラリッセウムに行くことができました。福者の信仰における家、彼が絞首台に送られるために捕らえられた、その場所への彼の帰宅を記念するためです。しかも、かつて追放され、戻ることを禁じられていたその場所は、70年を経てドン・ボスコのサレジオ会に返されたのです。
クラリッセウム再開
数週間前、クラリッセウムの優雅な建物がサレジオ会の所有物として返されました。かつてそこには、ハンガリー管区の本部といくつかの建物がありました。その1棟はステファン・サンドルが働いていた印刷所でした。72年前、共産党政府が国有化したのです。
この写真で私たちが外の入り口から中に入る瞬間を見ることができます。70年間、この時まで不可能だった1歩です。
ヨーロッパと世界の歴史上のこの瞬間にも私たちが直面する数々の困難にもかかわらず、私は心から信じています。今もいつも、神こそが最後の言葉、生と死についての決定的な言葉を発せられるのだと。若いサレジオ会員ステファン・サンドルにとって、まさにそれに尽きるのです。
2022年6月4日、私はハンガリーのブダペストで、これらすべてのことに目を見開かされました。すべてはみ摂理のなせるわざのようでした。
「私が生きているのは彼のおかげです」
ステファンは彼と共に処刑されるはずだった6人の若者のいのちを助けました。
この写真で、私は車椅子の男性と一緒にいます。彼の奥さんは重い病気のために来ることができませんでした。彼は6人の若者たちの1人で、22歳の時、ステファンと共に政府に対する反逆者として逮捕されました。拷問を伴う苛酷な尋問の後、若いサレジオ会員はどうにか機会をとらえて6人と話すことができました。そして、共産党員たちから責められたら、すべてを自分のせいにするように頼みました。若者たちは抵抗しましたが、ステファンは自分たちを結ぶ友情とイエスへの信仰のゆえに、彼らはいのちを守るべきだと説得しました。そして、そのようになりました。クラリッセウムのアニメーターだった元学生の男性が私に話してくれたことです。実際にステファンは死刑を宣告されましたが、若者たちに言い渡されたのは8年の禁固刑でした。幸いなことに、その3年後、ハンガリーの共産政権が倒れ、彼らの刑は取り消されました。(訳注:1956年のハンガリー動乱により当時の政府が失脚。)
切手のDNA
70年間、ブラザー・ステファンの遺体がどこにあるかわかりませんでした。彼は他の5人と共に処刑され、ブダペスト郊外の森の中にある集団埋葬地に埋められました。手がかりとなる碑銘などは全くありませんでした。処刑した人々の思惑通り、埋葬は夜に行われ、何も残されなかったのです。70年の間、彼の遺骸を見つけることは不可能だと信じられてきました。けれども、かつての若者の1人であった卒業生の粘り強さと、当時のブダペストの歴史に詳しい専門家の経験、精緻な知識のおかげで(その時代の多くの埋葬状況を分析して、ステファンたちが埋められた場所が推測できました)、数か月前、処刑された6人の男性の遺体が発見されました。ちょうど6名分が発見されたことは信じがたいような驚きでしたが、そのうち1人が福者ステファンであるかもしれなかったのです。
切手から採取されたDNA―ステファンによって書かれた手紙と、ステファンの弟が貼った切手の付いたもう1つの手紙から採取されたもの(弟はステファンを探し続けましたが、3年前に亡くなったため、再会はかないませんでした)―により、2人の優れたDNA鑑定の専門家(私は2人に会い挨拶することができ、大きな喜びでした)がステファンの遺骨を特定できました。遺骨はここに見られる繊細な棺に収められています。
装飾のレリーフは、ハンガリー語の『ボレッティーノ・サレジアーノ』を読むステファン・サンドルを描いています。彼がどのようにしてドン・ボスコとサレジオの世界を知ったのか、また彼が印刷技術の先生として教育の場で果たした役割を思い出させるものです。
これまで書いたことと他のさまざまな事情から、私たちが経験したことは類を見ないものだと言えます。あの朝のミサと一日を通して分ち合われた多くの人々の感動と衝撃は、筆舌に尽しがたいものだったと私は証言できます。今は年老いたかつての青年が、自分たちのために犠牲となり同じ運命から解放し、命を救ってくれた、サレジオの教育者である友、殉教者の棺に手を置くことができた感動を、私は証言できます。私は自分が経験したことから、これらすべてのことは偶然ではなかったと証しできます。それをはるかに超えるものです。人間の自由と共に、歴史の出来事のうちに神が現存されるのです。
だからこそ、冒頭で言ったことを、皆さんに確かに伝えることができます。福者ステファン・サンドルは家に帰りました。そして今日のサレジオ会員たちも、今そこにいる若者たち、将来やって来る若者たちと一緒に、ハンガリー、ブダペストのクラリッセウムに、彼らの家に帰るのです。
総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》
■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内の以下のリンクからお読みいただけます。どうぞご利用ください。
〇英語