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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ6月:僕の名前はショーン・ケイド~思いがけない贈り物の物語~


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2022年6月)

 

僕の名前はショーン・ケイド~思いがけない贈り物の物語~

 

 

親愛なる読者、『ボレッティーノ・サレジアーノ』の友、とりわけドン・ボスコのカリスマの友である皆さんに心からの挨拶を送ります。世界の若者のための聖人、ドン・ボスコ自身への皆さんの共感に、また教会と世界においておドン・ボスコの使命を続けて行こうとする私たちに皆さんが示して下さる親しみ、敬意、関心に、いつも感謝しています。心の底から、ありがとうございます!

今日私は、わずか1週間前に経験したことを皆さんと分ち合いたいと思います。私はジンバブエのサレジオ会を訪問中でした。より正確に言うならば、ワンゲという小さな町にいました。そこで私はサレジオ会の兄弟たち、他のサレジオ家族の会員、地元のサレジオ会事業で働く教師の皆さん、およそ200人の若者たちに会いました。その中にはマラウィやナミビアから大きな犠牲を払って寛大な心でやって来た若者たちもいました。

ワンゲでの3日間は、いのち、喜び、出会い、挨拶で満ちあふれていました。訪問の始めから近所の家の50人以上の子どもたちが集いに来ていました。彼らは私たちの間で時間を過し、目にしたもの、歌やダンスや歓喜に驚いていました。

アフリカの最高の豊かさの一つは子どもたちだと言えるでしょう。子どもたちはどこにでもいて、いつも明るく微笑んでいます(自分たちが生きている貧しさには気づかないかのようで、顔は絶えず微笑みで輝いているのです)。

さてここで、ショーンのことをお話ししたいと思います。すべての子どもたちの中で、この少年は仲間と一緒にほとんどずっと参加していました。彼は12歳ぐらいでした。彼は離れず、こわがりもせず、何かが行われているとき、大体1メートルくらいのところで起こっていることをすべて眺めていました。彼にとってはすべてが新しかったのです。

もちろん私は全員に何度も挨拶しました。朝、午後、そして彼らが帰って行く夜に。私たちは話もしました。

次の場所に向うため、トラックで数時間の旅に出発する時がやって来ました。そこにはあの少年がいました。ちょうど私がトラックに乗り込もうとしたとき、彼は前に進み出て、私の近くに立ちました。そして固く握った右手を差し出したのです。何かを私にくれようとしているのだとわかりました。それが何かは全く見当がつきませんでした。頼みごとかもしれない? 何か必要なものがあると私に知らせたいのかもしれない……。私は手のひらを差し出して彼がくれるものを受け取りました。すぐにそれは贈り物 ― 彼の贈り物だとわかりました。私は彼が手渡してくれたものを眺め、手の中に握り、微笑みながら彼に感謝の言葉を伝え、ポケットにそれをしまいました。別れの最後に彼は紙切れをくれました。

皆さん、これは一体何だったのかと思うでしょう。贈り物は何だったのか、紙には何が書かれていたのかと。それをここでお教えしましょう。私が思うに、あの少年は私がそこにいたこと、たぶん私が彼に挨拶したこと、あるいは彼や彼の友人のそばにいたことに感謝したいと願ったのでしょう。そして彼は自分にできることを私にしてくれたのです。贈り物は小さな石でした。地面に転がっている数知れない石の一つです。けれども、彼が私のために選んでくれたものです。彼は、差し出せるせいいっぱいのものを私にくれました。それを私は受け取ったのです。私は今もこれから先もそれを持ち続けるでしょう。紙切れにはこう書いてありました。「しんぷさまのたみにいのります。ぼくのなまえは しょーん・けいど ですPray fou you. My name is Sean Cayd」。ショーンは確実に私に祈りと思い出をプレゼントしてくれたのです。

私の心はこの経験に感動せずにいられたでしょうか。あのいのちあふれる顔とまなざしを忘れることができるでしょうか。あの地の人々を訪ねるためにはるか遠くの外国からやって来た私に、何かをプレゼントしなければならないと感じたあの少年の心と頭によぎったものは何だったのかと、思い巡らさずにはいられませんでした。

あまりに多くの問いかけがあります。起きたすべてのことから、私は多くのことを深く考えさせられました。福音書の中で、エルサレムの神殿の献金箱に2枚の硬貨をひっそりと納めた、年老いた貧しい女性をイエスがほめたたえた場面が思い出されました。それは彼女の持てるすべてでした。ショーンによって私は、教育者として、毎日すべてのサレジオの家で行われている教育活動について真剣に考えさせられました。同じことは家庭や家族におけるすべてのしぐさ、言葉、抱擁についても言えることです。

実際この話の教訓、私が自分自身の心に刻みたいことは、言葉、微笑み、挨拶、そしてまなざしさえもが少年、少女、思春期の子ども、青年の心にどれだけ届くか、それが彼らの人生にどういう意味を持つかは、推測することなどできないということです。与える側にとって何気ないことが、受ける側にはすべてとなり得るのです。

ドン・ボスコの生涯は意味深い出会い、耳にささやかれた言葉、心と魂を貫いたまなざしで満ちあふれていました。例えば、やがてドン・ボスコの2番目の後継者となるパオロ・アルベラ、10歳の時まなざしを交わして、決してドン・ボスコから離れはしまいと約束したルイジ・ヴァリアラ。ヴァリアラは後にサレジオ会員、宣教師、ハンセン病患者を世話し愛徳を生きる修道会の創立者となり、今では福者となっています。

こうしたことは、私がしばしばお話しする世界中のサレジオの家で日常的に経験されている「奇跡」の一部だと私には思われます。実に、私の友ショーンは、私の心にふれ、私に大きな教訓を与えてくれたのです。よき主が皆さんを祝福してくださるように祈ります。

親愛なる友である皆さんのご多幸をお祈りします。世界中で多くの善が行われていることを信じ続けましょう。この道を共に歩んで下さり、この理想を共有してくださることに感謝します。心をこめてご挨拶申し上げます。

 

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

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