総長メッセージ11月:君たちと一緒にここにいると私はくつろげる
総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2021年11月)
君たちと一緒にここにいると私はくつろげる
「君たちと一緒にここにいると私はくつろげる。君たちと共にいることこそ私の人生なのだ」(メモリエ・ビオグラフィケ)ドン・ボスコの心からほとばしり出たこの言葉は、今もサレジオ家族の秘訣なのです。
親愛なる友であり、「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者である皆さん、この定期刊行物をドン・ボスコはこよなく愛していました。これが、ヴァルドッコの少年たちの間で、また初期のオラトリオの生活を再現しようとする他の場所で行われていた、すべての善きわざを、またサレジオ会員やFMA会員によるパタゴニアでの宣教の始めの善きわざを知らせる手段だと感じていたからです。
毎月そうしているように、今日もまた皆さんに心からの挨拶を送ります。同時に、この11月のメッセージを書きながら、自分が相対立する感情の間を揺れ動いていることをお伝えしたいのです。数か月前とは違う現在のコロナウイルスの問題について少しお話ししたいと思います。それは、周囲との隔たり、不信、感染の恐怖(森の中で数10メートル以内に誰もいないとしても)の奇妙で醜悪な感覚を私の中に残しました。
「私たちの仲間でありながら、孤独の中に置き去りにされている」お年寄りのことも皆さんにお話ししたいと思います。その人たちは私たちのすぐそばにいます。彼らの数はどんどん増えています。このウイルスの感染拡大はお年寄りをますます孤独にし、私たちから遠ざけるのに好都合な口実になってしまいました。本当の意味での人生の知恵を持っている彼らは、私たちのまなざしの届かない遠い存在になってしまいました。
ドン・ボスコ・シティ
しかしながら、最終的に、もうひとつの体験が私の心を奪いました。苛酷な状況から脱け出して真の尊厳のうちに生きられるようになった若者たちの体験です。
理由はわかりませんが、そのおかげで「胸いっぱいに」きれいな空気を吸うことができ、爽やかさを与えられるのです。
わずか数日前に経験したことを皆さんと分ち合いたいと思います。ここローマで、コロンビア‐メデジン管区の管区長と個人的に話していた時のことです。好奇心から私はあることを尋ねました。彼らの家「ドン・ボスコ・シティ」が今どのようであるかを知りたかったのです。私はそこを訪れたことがあり、大勢のさまざまな状況の若者たちに会いました。路上で助け出された子どもたちもいました。特に私に強い印象を与えたのはゲリラのもとから救出された青少年、少年少女たちとの出会いでした。
私たちの2軒の家にいる元ゲリラの若者たちが今も大変意義深い日々を生きていることを知り、私は喜びに満たされました。(力ずくで連れ去られ、もしくは自分の意志により)住んでいたところから助け出されたその若者たちは、望むなら、サレジオの家で新しい生活を始めることができました。
管区長はひとりの若い女性が間もなく大学に入るところだと話してくれました。彼女は喜びいっぱいで、サレジオの教育者にとっては素晴らしい誇りでもあります。私が思いがけなく聞くことになったのは、サレジオの家で数年間を過ごし、今ではわが家のように感じているこの若い女性が、私たちの教育機関を視察に来た役人たちに語った証しでした。
彼女は喜びに目を輝かせながら言いました。「ご覧ください。私は何年もの間ゲリラに約束していました。私の身も心も魂も彼らに捧げると。そしてその通りにしました。そのあと、この家で私はドン・ボスコと出会い、ここで彼が私たち若者のために成し続けていることすべてを知りました。他の若者たちにもこれに関わるよう、私たちで全力を尽くして取り組もうと呼びかけたいです」。
私は一言も発せませんでした。かつてその若い女性が信じて身を投じたことにどれだけ打ち込んでいたか、わかったように思えたからです。けれどもその後、彼女はサレジオの家で、人生にはさまざまな道があり、他の方法で正しいことのために「闘う」ことができると気づいたのでした。彼女が立派な専門職をもつこと、結婚し、妻、母になることを夢見ているだろうと私は想像します。
そこで、親愛なる読者の皆さんに、私が自分に言い聞かせたことをお伝えします。これらの普通の事柄は、今も価値を保ち続けています。この具体的で日常的な「ユートピア」はひとりの人の生き方を変えるだけでなく、その人の内面世界のすべてを変えるからです。
大海の一滴
コルカタでマザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)の修道女会を訪れた時、私は聖女が祈った聖堂で祈り、聖女の墓所の傍らでミサを捧げ、シスターたちのすぐ隣に暮らす貧しい人々を目にする機会を得ました。シスターたちは朝早く彼らのもとに出かけ、彼らの世話をし、ひとりずつ、その世界を救うのです。その数は少ないかもしれませんが、これを読んでいる皆さんと書いている私にできる、ささやかな事柄の価値を、私はますます確信しました。
一皿のご飯はコルカタでひとりのいのちを救ってきました。ドン・ボスコ・シティのサレジオの家はひとりの若い女性が自らの尊厳を見いだし、潜在的な能力をいっぱいに成長させるのを手伝いました。そしてこのように世界中で無数の事例が、たいてい知られることもありませんが、種のように日々芽を出し、実を結んでいるのです。
悪いニュースに私はうんざりさせられます。というのは、悪いことだけがニュースになるように見えるからです。私たちは、良いニュースをテレビのニュース番組にしたいと望む人々に加勢しましょう。人生は変えられると発見したあの若い女性の話が私にそうしてくれたように、新鮮できれいな空気を胸いっぱい吸わせてくれるもので私たちの精神を養いましょう。
皆さんが熱心に私のメッセージを読んでくださったことに感謝します。そしてきっと善きことに対する私の思いを共有してくださり、ありがとうございます。
ドン・ボスコの友である皆さんに豊かな幸いがありますように。
総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》