総長メッセージ10月:ツナミの後に
総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2021年10月)
ツナミの後に
AFTER THE TSUNAMI
パンデミックは私たちと世界との関わり方、他者、そして自分自身との関わり方を変えてしまいました。私たちはより強い連帯感と意識をもって再建に取り組み、再び歩み始めなくてはなりません。痛み、隔離、死の悲しみ、恐れの刻まれた沈黙の災厄から立ち上がるためです。もしドン・ボスコが今ここにいたら、何をするでしょう。
『ボレッティーノ・サレジアーノ』の読者、親愛なる友人の皆さん、
短い訓話で今日の手紙を始めることにします。
ある綱渡りの芸人が、にぎわっている市場の上に、程よい高さにロープを張りました。数人の曲芸師たちが技を見せていましたが、彼らのショーが予想より長引いてしまったので、辺りは闇に包まれました。綱渡り師は反射板を使った光に頼らなければならないほどでした。
夕暮れ時の薄暗さで、綱渡り師は小さな男の子がこっそり自分の後について梯子を上がってきたことに気づきませんでした。ロープに第一歩を踏み出した時、彼は男の子が後ろにいるのを知りました。
「この高い所で何をしているの」綱渡り師は男の子に尋ねました。
「一緒にロープを歩きたいの」
「怖くないの?」
「一緒にいれば平気だよ」
見物客たちは息をのんで見守りました。
綱渡り師は男の子を肩にのせ、くらくらするような高さと暗さから、そしてめまいをおこす危険から男の子の気をそらすために言いました。「きれいな星を見上げてごらん。星に目をとめるんだよ」。
瞬く星のきらめきを見つめ続けるかぎり、男の子は細いロープの上をたどる危険や大きな落差を気にせず、広場全体に及ぶ距離を運ばれるままに身を任せることができたのでした。
ドン・ボスコは子どもや若者たちと共に「ロープに上る」最初の人になったでしょう。彼は率先してそこにいて、自分のもてる能力、創造性、技術を生かして予防的なやり方で若者たちを希望に向わせたでしょう。彼は若者たちに自信を持たせ、リーダーになる機会を与え、皆が調和のうちに暮らし成長する喜びについて一人ひとりに語りかけ、若者たちが他者、ことに最も困っている人々のために勇気をもって尽せるように育て上げたでしょう。
私たちの時代の希望とはまさに、生徒・学生、家庭、教育者、専門家から成るチームとして、共に成長し学ぶ機会があることです。この危機から学び取ったこと - より健康的な環境、ゆっくりした生き方、家族と一緒にいること - 、また生徒・学生たちの必要に迅速、効果的に応じた多くの教育者の創造的で革新的な取り組み(たとえばバーチャルなもの)を私たちは評価するべきです。
物事はこれまでと違うものになるでしょうし、私たちもそれを望んでいます。以前と同じものはありません。生活も人間関係も、空間も時間も。前のところには戻りたくありませんが、よりよく変りたい、刷新し、創造し、自分たち自身、自分たちの持てる力や資源、変化のための大切な要因としての教育を信じたいのです。
新たな規範と新たな応答を生み出すために、私たちには創造性が必要です。本当に新しいものの担い手となる生き方の大胆さ。やがて現実となる新しい生き方のビジョンが必要です。この任務は、つらく時間のかかるものになるからです。とっさに思いついたようなものは要りませんが、私たちの証しの確かさと希望の喜び、私たちが頂いている権威の確かさが必要です。そこに私たちのあり方がかかっているのです。かつてなかったほど、私たちがそこにいることと私たちの証しが必要です。さらに以前にもまして、若者たちに関わらなければいけません。いつの世も若者を放っておくことはあってはならないことでしたが、今ほど差し迫ってそういえることはありませんでした。若者たちはもろ手を挙げて私たちを待っているのです。すべてに打ち勝つことのできる愛の力で再び生きてゆくために。愛だけがすべてを克服するからです。私たちは改めて若者たちの夢を夢見なければなりません。
人間の結びつきへの意識を深めたこと、任されたすべての子ども、若者たちに良い教育を提供すると固く決意すること、人間の優しさの持つ力により深く気づくこと、未来に向けて教育するために家庭やさまざまな組織と共に働くことに焦点を当てること―こうしたことを私たちが学んだことを願っています。
私たちのサレジオ的予防教育法において、それは以下のことを意味します。
心を込めて全面的に迎え入れること。ドン・ボスコと若者たちとの会話は彼が心をこめて全面的に彼らを迎え入れる度量を持っていたことを明らかにします。それは人間的関わりに基づくサレジオの教育の基本的要素です。形にとらわれない、その時々の状況に応じた、そしてまた友情のこもった交流のあり方を通して、ドン・ボスコは「ソーシャル・ディスタンス社会的距離」のすべての障壁を乗り越えて若者たちの心に到達することができました(「あなたに話しかける若者たちが皆、あなたの友達になるようにしなさい」『メモリエ・ビオグラフィケ』10巻1085より)。このようにして誰もが迎え入れられ、愛されていると感じるでしょう(すべての少年が自分こそはドン・ボスコの「お気に入り」だと思っていました)。人間の成長において大切なのは、一人ひとりが自分の生活、自分の歴史の主演者となることです。
注意深く耳を傾けること、共感に満ちた打ちとけやすさ。ドン・ボスコはサレジオ会員たちに、いつでも関心と優しさをもって若者たちの近くにいることを薦めていました。
若者一人ひとりを、また彼/彼女の可能性を知ること。ドン・ボスコの教育法によれば、若者はつねに、自分の中に可能性を見つけることができるのです。若者はその能力を活かすなら、神の恵みに伴われ、向上と克己のための新しい目標を掲げ、そこに到達することができるでしょう。
日常生活の教育的で司牧的な経験。教育的な同伴は日常生活の中で実行されます。たとえば運動場、そこは教育者が若者と出会い、同伴できる(形式張らない)最良の場所です。非凡なことが、平凡な日常生活の中で起こるのです。日々の生活の折々に教育者と生徒はひんぱんに対話し、互いに知り合い、深い友情にまでつながる人間関係において勉強・仕事や休み時間を一緒に過ごすのです。そうして信頼、献身、素直さが築かれてゆきます(「恐がられるのではなく、愛されるようにしなさい」)。
教育的環境と家庭的スタイル。自分の家庭で経験したことを再現するため、ドン・ボスコはこの家庭的精神をヴァルドッコでの日常生活に取り入れようとしました。教育者と若者がこのように生活を共にすることは、両親と子どもたちの生活と同様のものであるべきです。
技術は教師の代わりにはならない。教育は高度に人間的な相互作用の活動であり続けるでしょう(またそうであるべきです)。ですから将来の主たる挑戦は、テクノロジーの道具の採用を進めることと、人間的側面にひきつづき投資することとの間に、良好なバランスを見つけることです。
私たちの教育法としての予防。ドン・ボスコによる「予防」の概念の本質は、ただ純粋に「世話すること」でも「保護すること」状態でもありません。それは「向上させること」であり、目指しているのは人を打ち壊してしまうような人生の否定的要因を乗り越えられるよう「力づけること」です。
新型コロナウィルス感染症拡大の状況で、新しい教育上の戦略が求められています。明日の成人市民となる生徒たちが、いのちの尊厳、持続可能な発展、倫理的責任を考慮に入れて解決策を見出せるように、彼らの意識を高め、育成するためです。
霊的指導としての個人的同伴:聖性。ドン・ボスコの教育者は人間のレベルに止まらず、霊的なレベルを目指します。彼のゴールは完全な幸福(「天国」)です。その目的のために、彼は「無鉄砲にまでなる」ほどです。綱の上を歩くことは、いつも困難で危険です。けれどもドン・ボスコの肩に乗り、私たちも恐れることなく未来に向って行きます。天の星々をしっかりと見据えながら。
心をこめて。
総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》