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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ7月:モンフェッラートの山々をはるかにしのいで


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2021年7月)

モンフェッラートの
山々をはるかにしのいで

MUCH MORE THAN THE HILLS OF MONFERRATO

ドン・ボスコの教育法のすべてはあの秋の徒歩旅行に要約されています。親しさと仲間意識、喜びと祭儀、人生の道に沿って歩むかのような歩くための時間、会話と友情のための場、そしてドン・ボスコの寛容で優しい存在。

 

2015年8月のことでした。より正確を期するなら、8月15日の午後、私たちは国際青年の集い(SYMドン・ボスコ)のため、世界中からやって来た5200人の若い人々と共にドン・ボスコ生誕200周年を祝っていました。

当初、私たちは企画の段階で、現実とはかけ離れた理想により、5200人もの青年たちと一緒にトリノからジョヴァンニーノ・ボスコが生れた所であるベッキの丘まで歩けるものと考えていました。距離はおよそ35キロです。しかし、私たちはすぐにこの計画をあきらめなくてはならないと気づきました。あまりに大勢の青年たちとよいペースを保ち続けるのは難しいでことでしょう。結局、私たちはかなり簡単なプランをとることに決めました。ドン・ボスコが彼の少年たちとたびたび出かけた秋の徒歩旅行に直接結びつけられるものです。私たちはカステルヌオヴォ・ドン・ボスコを出発点としました。そこはドン・ボスコが洗礼を受け、初ミサの一つを捧げたところでもあります。

青年たちの大きな列はベッキまでの8キロを滝のような雨にずっと打たれながら歩きました。雨天は予報で言われたとおりにやって来ました。けれども私たちにとって天気はどうでもよく、青年達にとってはなおさらそうでした。

昼食や軽食のためのパンのかごを、そして通る先々で活気をもたらす楽器を抱えた少年たちに囲まれたドン・ボスコのことを私は思い浮かべずにはいられませんでした。

この背後には、教育的にも霊的にも貴重なビジョンがあることをおわかりでしょうか。

私が話を続けて、この考察を深めてゆくこともできますが、ここでサレジオ会の兄弟の一人であるホセ・ミゲル・ヌニェスにその役を任せることとしました。彼は素晴らしい文才を発揮し次のように伝えています。

「何年もの間、ドン・ボスコは、想像できないほどの喜びを抱いて彼を慕う少数の少年を伴いベッキでロザリオの聖母の日を祝うことにしていた。その少年たちは、オラトリオの最も優れた少年たちだった。数日の休暇をドン・ボスコと一緒に過ごせるのは、誰にとってもごほうびだった。はじめのうちはごく少数であった少年たちはたちまち100人を超えるようになった。ドン・ボスコお決まりの最初の目的地は生れ故郷と彼の愛する生家だった。兄のジュゼッペは快く大勢の少年たちを迎え入れ、必要なものをそろえ、最善を尽くして少年たちを納屋や馬小屋に泊めた。不具合はいろいろあっただろうが、心優しいジュゼッペは目をつぶり、できる限り円滑に取り仕切ることができた。1858年以降、ドン・ボスコはピエモンテと近隣の県の村々を通る本格的な徒歩旅行を計画するようになった。彼自らが前もって旅の日程を決め、友人や恩人たちに自らをゆだねた。その人々は少年たち一行を家に迎えたり、空腹を鎮圧するためなら闘う用意のあるその軍団に軽食を出してくれたりした。果物、焼き立てのパン、チーズが地元の人々から寛大に提供され、事欠くことはなかった。聖人と評判の司祭が運んでくる賑わいに喜ぶ人々の熱狂ぶりを彼は鎮めようと努めたが、ほとんどの場合功を奏さなかった。」

 

農夫たちは仕事の手を休めた

ドン・ボスコにつき従い、忘れがたい経験をした多くの若者たちによる、祝いと喜びあふれるその日々についての素晴らしい証しが残されています。その中の一人であるアンフォッシは次のように書いています:

「いつでもあの旅のことを思い出します。僕は喜びと驚きでいっぱいでした。1854年から1860年までドン・ボスコと一緒にモンフェッラートの山々を通ってゆきました。僕たち若者は大体100人くらいで、すでにドン・ボスコを取り巻いていた聖性の誉れを目にしました。彼が村に到着すると、まるで凱旋のような騒ぎになりました。周辺地域の教区司祭たちや行政の主だった人々が彼に会おうとやって来ました。人々は窓から眺めたり、通りに出て来たりしました。そして農夫たちは聖人を一目見ようと仕事の手を休めてやって来ました。……」

ドン・ボスコの教育論のすべてがこの秋の徒歩旅行に要約されています。親しさと仲間意識、喜びと祝い、人生の道を歩むかのように歩くための時間、会話と友情のための場、そして旅を共に歩む大人としてのドン・ボスコの寛容で優しい存在。彼らすべてに届けられる言葉、そして目的地にたどり着くのが困難な若者に寄り添う連帯の表現。

音楽と祝祭は若者たちの心を満たし、彼らの熱意を呼び覚ましました。彼らは自分たちが心から愛し、感謝してやまない父のそばに居られて幸せだったのです。きちんと列を成し、楽器を奏でて歩むドン・ボスコの少年たちのピエモンテの小さな村々への到来は忘れがたい出来事でした。

神は彼らと共に歩かれた

少年たちは驚きと喜びに満たされていました。若者たちの笑顔と陽気な歌声に興じて、ドン・ボスコも天にものぼる心地のようでした。村の教会での祈りと聖体降福式は欠かせないものでした。神も彼らと共に歩いておられました。

道を行くときに体験した親しさのおかげで、若者たちは父の愛情に信頼で応えるようになりました。知らないうちにその若者たちの多くは、生涯を通じてドン・ボスコと旅をし続けたのです。モンフェッラートの山々をはるかにしのぐ旅を。

今この時代に、私たちの少年たち、若者たちに、人との出会いの豊かさを経験させることがどれほど大切かと考えています。デジタルの世界に浸かりきっている「デジタル・ネイティブ」と呼ばれるこの若者たちに、携帯電話の画面を通してではなく、互いに耳を傾け合い、共に笑い、短い祈りの間沈黙し、日没に感動するというかけがえのない体験をし、通り過ぎる人々を眺めながら、家の戸口や庭のベンチで憩うお年寄り―神のおかげですでに満ち足りた人生を過した人々―に挨拶する喜びを知ってもらいたいのです。

サレジオ会総会の際に教皇様が私たちにかけて下さった言葉でしめくくりたいと思います。「私たちは、夢を見ること、人に夢を見させることが今も十分にできると私は思いたいのです」。

皆さんが楽しい夏を過せるようにと心から願っています。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》