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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ6月:感謝の手紙


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2021年6月) 

感謝の手紙

Letter from a Grateful Heart

書類や書き物を片付けていたとき、私は手紙が入った封筒を見つけました。ブラジルのサレジオ会サン・パウロ管区の、「アメリカーナ」と呼ばれる事業所を訪問したときに若い女性から手渡されたものでした。

『ボレッティーノ・サレジアーノ』をいつも読んでくださる皆さんに心からご挨拶申し上げます。ドン・ボスコのカリスマの友である大勢の皆さんに。

私は、ドン・ボスコが1877年に創刊し大切にしたこの「場所」に共にい続けられるようにとの願いをこめた挨拶として、毎月皆さんにささやかな記事を送れることに喜びを感じています。ドン・ボスコの生前に発行された多くの号で(ドン・ボスコは『ボレッティーノ・サレジアーノ』の創刊から11年後に亡くなりました)、彼自らヴァルドッコと他のサレジオの家でなされたことについて読者に報告していました。アルゼンチンに始まり、やがて他の国々からも、アメリカ大陸からの知らせがあるときは、少年たちや読者をワクワクさせたものでした。

今日でも行われている善を知らせることによって人々の熱意を温め寄り添う義務が私たちにはあると思います。ちょうどこの時期そうであるように、たとえ痛みの中にあっても。それはコロナウィルスによって私たちが苦しめられてきたこの長い15ヶ月のことだけでなく、現在、特にブラジルとインドが置かれている苦しい状況のことです。この現実は他者のまなざし、そして痛みにも私たちを近づけるものでなければなりません。言い換えれば、人生そのものに、感謝すべきたくさんの事柄、喜ぶことと共に、涙を流し、苦しむ人々の傍らに寄り添わせる多くの理由があるのです。

この7年間、私のメッセージを読んでいらした方々は、私がことさら人生の体験の何がしか、世界中で主が私に発見させわからせて下さった「数々の奇跡」、また心を捉えた素朴な証しを分ち合おうとしてきたことにお気づきでしょう。今回、紹介するのもその一端です。

たまたま、書類や書き物を片付けていたとき、私は手紙が入った封筒を見つけました。ブラジルのサレジオ会サン・パウロ管区の、「アメリカーナ」と呼ばれる事業所を訪問したときに若い女性から手渡されたものでした。

その時の訪問で16~24歳の少年少女、若者たちときわめて豊かで意義深い出会いをし、対話したことを覚えています。私たちは2時間にわたり、「人間らしさと神聖なもの」について語り合いました。私はそこのサレジオの家に集う100人ほどの若い人々と素晴らしい意見の交換をしました。

この手紙を見つけ、読み返した私は、エリアンはきっと許可してくれると推定して、この飾らないメッセージを皆さんと分ち合うべきだと自分に言い聞かせました。あるサレジオの家で、自分の生き方を変える居場所、空間、人々を見つけた若い女性の心からの言葉が綴られています。私は考えました。「ドン・ボスコは成された善を、そして彼の教育と福音宣教の方法がどれだけ少年たちの生き方を変えるかを知らせることに情熱を傾けた。だから現代の多くの若者たちが語っていることを世に知らせることも喜んでくれるだろう」と。もちろん、全員が幸せというわけではありませんが、多くの若者たちはドン・ボスコの家で幸せを感じています。彼らはそこで遊び場や共に過す友人たち、これからの人生に備えさせる学校、自由のうちに神を知るように手助けしてくれる生活の空間、無条件に迎えてくれる家を見つけるのです。そう、エリアンにとってそうであったように。

私の人生に起きた変化

手紙には次のように書かれています。

2017年10月12日アメリカーナにて

親愛なるアンヘル神父様、

私は17歳でエリアン・T・Sといいます。私はとても緊張しています。というのも、本当に素晴らしく偉大な仕事をする人々、私の人生を大きく変えてくださった人々を代表するような方に接することなど、めったにないからです。

サレジオ会の事業についてよく知っているか、あるいはただ触れる機会のあった人は皆、宗教、民族、肌の色に関わらず、決して以前とは同じではなくなると私は言い切れます。私たち若者に伝えられた教育、価値、愛情は生涯を通じて消えないほどの強い力をもっています。

2005年に7歳でアメリカーナに来たことを覚えています。異なる宗教的背景で育ったにもかかわらず、私はサレジオの世界を知り、その一員になる喜びにどんどん関わっていきました。ドン・ボスコの物語や事業を知ることで、私は人生について多くを学ぶことができました。この世で多くの若者たちが探し求めながら見つけることのできない事柄についてです。人生で困難なことがあっても、午後の終りには手助け、親しさ、微笑みで乗り越えられることがわかりました。私が多くの時間を過すこの家にいる神父様たちがよい友人、相談相手になってくれること、私たちの人生に働かれる神のみわざに勝るすばらしいものなど何もないことを知るようになりました。

いつでも順調だったとは言えません。何度も疲れや苛立ちを感じ、問題や仕事を投げ捨てたくなりました。けれども幸いなことに、ドン・ボスコをきっかけに、私はどんな時でも助けてくれる人々に出会いました(その人たちの顔を、親しみを込めて思い出します)。彼らは私を「放っておき」ません。彼らは心を開いてくれました。イエスが愛したように、若者の父であり教師である方が少年たちを愛したように、愛することを示し教えてくれました。そうして私は宣教チーム、イエスのみこころグループ、聖ドミニコ・サヴィオのオラトリオに参加することができました。私は今、そこで奉仕しています。一緒にいる子どもたちの笑顔を通じて、すべてに価値があることを経験し感じているので、私にとってかけがえのない場です。

しゃべり過ぎたかもしれません。けれども私が話したりここで書いたりしたこれらの言葉は、私たち若者のために自分を捧げたあの信仰の人、そして今日でも同じように生きる人々‐サレジオ会員、ドン・ボスコの家で働く男性、女性‐に対する私の感謝と愛情を表すには決して十分ではないでしょう。何て素敵なのでしょう!

すべてのことに、そして私たちの総長様でいてくださることに感謝します。

心からの愛をこめて

エリアン・T・S

 

以上がこの若い女性の手紙です。彼女が今どこにいるか、私にはわかりません。大学に通っているかもしれないし、人生の新たな一歩を踏み出すところかもしれません。あるいは働いているか、それともこれからのことや人生のプランについて思いめぐらしているのでしょうか。それとも、もしかしたら…しかし、疑いないのは、彼女が胸に抱いていること(この手紙はささやかですが、その貴重な見本です)が、すばらしい女性として人生を歩み他者のために最善を尽す力を、きっと彼女に与えるだろう、ということです。私たちを人生に備えさせ、つねに他者のために最善を尽せるようにしてくれること。これこそが教育と家族の意味なのです。

いのちの主が皆さんを祝福してくださいますように。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》