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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ5月:いとも美しき方、マリアよ


総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2021年5月) 

いとも美しき方、マリアよ

TOTA PULCHRA ES MARIA

(YOU ARE ALL BEAUTIFUL, O MARY)

 

~人類の歴史において2000年たった今も、御母であるあの方が私たちの母であるとますます強く感じる時、大いなるできごとが起きようとしているのです。~

 

「ボレッテイーノ・サレジアーノ」の読者である皆さん、世界中に広がるドン・ボスコのカリスマの友である皆さん、この復活節に、心よりご挨拶申し上げます。

この聖母月、私たちはナザレのマリア、イエス・キリストの母であり私たちの母であるあの方に目を向けます。そうせずにはいられません。

この何年か、私は世界中のサレジオ会員とサレジオ家族を訪問した際、多くの国々で天の御母に関することとなると、人々の心がどれほど深く人間的で優しくなるかを経験する恵みを頂きました。

私はマリアに捧げられた多くの聖堂・巡礼地を訪れ、信仰を祝うことができました。とりわけ心に残っているのは、ファティマ(ポルトガル)、グアダルーペ(メキシコ)の、アパレシーダ(ブラジル)、ルハン(アルゼンチン)、ロレート(イタリア)の聖母、そしてチェストコーワ(ポーランド)の黒い聖母です。皆さんの想像どおり、私は世界中の扶助者聖母に捧げられた多くの大聖堂や教会も訪れました。その中心は、聖母がドン・ボスコに「ここは私の家、ここより私の栄光は出ずる」と告げたように、ヴァルドッコ、御母の家です。

つねに、例外なくつねに、私は人々の深い信仰に心を打たれてきました。大聖堂で目にした数知れない人々、様々な人生を抱え、涙を浮かべ、受けた恵みに感謝を表す彼らのことを思いめぐらしながら、私はいつも感動をおぼえました。すべてが、神におけるある神秘を私に語りかけます。人類の歴史において2000年たった今も、御母であるあの方が私たちの母であるとますます強く感じる時、大いなるできごとが起きようとしているのです。

ブラジルのボイ・ボロロ族のジャングルの「大聖堂」

私がかっこを付けて「大聖堂」と書くのは、ボイ・ボロロ族の大半が住むブラジルのジャングルには、たしかに石の大聖堂も、木の大聖堂すらありませんが、それでも、御母マリア、扶助者聖母をたたえて人々が歌う様子を見聞し、感動を味わったからです。彼らと数10年間共に生きてきたサレジオ会員は、私たちにとって特別なこの信心を先住民に伝えることにおいて素晴らしい働きをしてきました。

その宣教地を訪問した際、ミサの後でADMAに属する男女と子どものグループがお祭りの衣装と美しい羽根を身につけて扶助者聖母のご像のまわりに立ちました。彼らは自ら率先してそうしたのです。司祭が指示を出すのを待っていたのではありません。そういうことではなかったのです。彼らと御母との間の貴重なひとときでした。それ以上のものは必要なかったのです。私は彼らの美しい歌を聞きました。私たちの愛するドン・ボスコの宣教の夢の中でこの歌が歌われたなら、きっとドン・ボスコを大喜びさせたことでしょう。実際、現代の彼らは、ドン・ボスコのいずれかの夢に現れたのかもしれませんよ。

その感動の時、おそらく私たちの多くが知りまた感じていることに私は思いを馳せ、確信を与えられました。あまりに多くの人々が遠ざかり、どこに行くべきかわからずにいる信仰の領域で、私たちの母であるあの方が、安全な小道、開かれた扉、私たちの歩みの導き手であり続けてくださるのだと。

ドン・ボスコは「マリアの教育学」の天才でした

マリアに親しむよう少年少女を導くことについて私たちが何かしら知っているとすれば、それはドン・ボスコのおかげです。彼は「マリアの教育学」の天才でした。彼は少年たち - 多くは親を亡くしたり、親元から離れたりしていました - に、イエスは友であり、イエスの母は彼らにとっても母であると感じさせました。ドン・ボスコは、人生に困難や苦労が多いにせよ、生きることをいつも喜び祝い、幸せで快活なものにする具体的で地に足のついた教育を行う天才だったのです。このため、今日までサレジオ会がある所では、何世代もの卒業生や若い人々が御母への愛を心に刻み付けられています。御母に信頼をおくことで、まさにドン・ボスコが約束したように真の奇跡とは何かを発見できると彼らは確信しています。

今年の復活節、私たちはかつてなかったほど希望を抱く理由があります。なぜなら復活されたイエス・キリストのうちに、いのちは今もそして永遠に、豊かな意味をもつからです。私たちは自分たちの苦しみを、魂を引きちぎられるような御ひとり子の喪失を耐え忍ばれた聖母の苦しみに結びつけます。そうするとき私たちは、神からのこの永遠の贈りものを享受するのです。パンデミックに打ちのめされ続け、光を垣間見ながら依然として暗いトンネルの中にある世界にあって、美しい5月に聖母に捧げる私たちの祈りが十全な意味をもつのはそのためなのです。

そこで今日、私はこの詩の言葉を祈りとしたいと思います。これは信仰の篤い女性でチリの偉大な詩人、ガブリエラ・ミストラルの、聖母に捧げられた詩です。

  母よ、私はもうここにいます

  あなたの足元に私の心を残します

  あなたなしの人生は悲しく

  苦しみは長く、痛みは終ることがありません

  あなたの幅広いマントのひだの奥深くで

  この久しい疲れが私を眠りにつかせます

  私の涙をかわかして

  死が訪れる前に日の光を与えてください

  母よ、私はもうここにいます

  私は平和を失わせ、苦しみを引き起こしました

  心がついにあなたの内に憩うことがないなら

  どこに憩いを見いだせばよいのでしょう

 

親愛なる友である皆さん、どうぞ聖なる復活節を過し、よき聖母の祝日をお迎えください。

私たちは最も大事なものを持っていて、心を憩わせることができます。

皆さんが幸せでありますように。

 

愛をこめて

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》