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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

骨髄提供体験記 (雨宮泰紀神父)


 今年は私自身にとっても特別な年だった。約6年前に登録した骨髄バンクからの要請で、骨髄提供する機会をいただいたからだ。この体験を分かち合うことによって、骨髄バンクについて知っていただくこと、一人でも多くの方々にドナーになっていただくことができたらと願っている。
 
 実は今回で提供の要請があったのは2回目である。横浜のサレジオ学院に奉職していた時に一度要請があったが、先方の都合で中止になった。今回は、東日本大震災のボランティアに行って帰ってきた夜11時半に「至急開封してください」という骨髄バンクからの封筒を見つけた。内容を確認するとドナー要請である。しかも迅速コースでとのこと。私自身は、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、心の中で「もちろん」と言った。ドナー登録をしたことには二つの理由がある。一つは、私の身近なところに、特に私が関わってきた学校の生徒の中に、血液の病気のために長期で学校を休まなければならなかった生徒が複数いたこと。もう一つは、自分は修道司祭であるので、生涯独身を生き自分の家庭、子供を持たないが故に、直接「命の連鎖」に貢献できないことをずっと考えていたこと。何らかの形で直接「命」に貢献できないか。そのことは司祭叙階前の自分の大きなテーマであった。「もし自分の骨髄がどなたかの命に貢献できるなら」と思い、登録した。(ちなみに、横山秀夫著『半落ち』の影響もある。)

 今回は迅速コースを先方が望んでおられるとのことだったので、1週間以内に血縁の家族の同意を得、要請に答える旨を伝えた。ここからコーディネーターと言われる方を通してのプロセスが始まる。私のコーディネーターはとてもいい方で、本当に丁寧にサポートしてくださり、心から感謝している。まず、検査のための病院に赴き、そこで血液の厳密な検査と医師からの具体的な説明を受ける。その後、弁護士の立会いのもと、ドナー、ドナーの血縁の家族、医師、コーディネーターが同席して、書面の形で最終同意を行う。骨髄採取手術に至るプロセス、手術方法、手術におけるリスク、後遺症の危険性などが説明される。これにサインしたら、患者さんにドナーが見つかったことが伝えられるので、提供を撤回することはできない。

 私の場合、その翌日に手術する病院での検査等が行われた。再度血液検査、全身麻酔の手術なので麻酔科の医師からの麻酔方法とリスクの説明、肺と腰のレントゲン、肺活量などの検査が行われた。また、これは患者さんの体重によるが、骨髄採取の際に自分の体内に入れる自己血の採取が行われる。私は2回それぞれ400ccの血液を採取した。この期間運動は原則禁止である。手術前の同じ時期に、患者さんは通常の何倍もの抗がん剤治療と放射線治療を受け、自分のすべての骨髄の組織を破壊する。大変リスクの高い状態で移植される骨髄を待つことになる。

 骨髄採取の手術は普通4日間の日程で行われる。私の場合も同じであった。まず初日の午前中に入院。血液検査や身長・体重などを計る。夜から飲食禁止で、翌日手術。朝8時45分くらいにお迎えがいらして手術室に向かう。私はちょっとわがままさせていただいて、手術室までメガネをかけさせていただいた。どんなところなのか自分で見たかったので。お世話をして下さる看護師の方に知り合いの看護師の友人の方がいらして、麻酔がかかるまでしばしお話をした。・・・次の記憶は「雨宮さん、どうですか?」「・・・眠いです」「ではゆっくり休んでくださいね」という会話である。そのまま自分の病室へ。3時間の全身麻酔の骨髄採取手術だが、当然記憶はない。話によると、腰のあたりに4箇所穴を開けて、そこから30回くらい少しずつ骨髄液を1150cc(採取の量は患者さんの体重による)採取したとのことだった。採取された骨髄液は、その日のうちに他の病院にいらっしゃる患者さんに移植される。私自身は、ドーンという腰の鈍痛の他は何もなかった。夕方までゆっくり休み、夕飯も完食。翌日には点滴も取れ、一日ゆっくり休んだ。4日目の午前中に退院。自力で帰ることが出来たが、電車の乗換駅でしばし休憩。最寄り駅からは超久しぶりにタクシーを使った。さすがにその日はゆっくり休んだ。何というか、イマイチ力が漲らないというか。コーディネーターの方に聞いたところ、翌日から通常の仕事をバリバリという方もいらっしゃり、個人差があるようだ。

 一週間後に、私の骨髄を移植された患者さんから感謝の手紙をいただいた。一年以内に2往復、手紙のやりとりが許される。バンクを通して匿名の手紙である。嬉しかった。患者さんの背景がほんの少しだけ垣間見られ、そして厳しい状況であることも知った。また、移植後私の骨髄の白血球が患者さんを攻撃する。この時期は大変苦しいとのこと。そして、あまりに激しく白血球が患者さんを攻撃すると患者さんは亡くなることもあり、またあまりこのプロセスで何もないと再発の可能性もあるとのこと。さらに自分の骨髄になるまでに、3年、5年、10年と個人差がある。こんなにも長い間患者さんは戦い続けなければならない。それだけのリスクを背負って骨髄移植を受けるのである。

 私には「何らかの形で命に直接貢献したい」という気持ちがあった。それは正直な誠実な気持ちであると思う。しかし場合によって、私の骨髄のために亡くなるケースも有りうるのだ。両手を上げて「俺はすごいことをしたんだ」などと言えるはずもない。結論から言うなら、私から採取された骨髄も含め、全ては神さまの手の中にある。そのことが全てである。では私は何をしたのか。骨髄を採取したのはお医者さん。今戦っているのは患者さん。私がしたのは「腹をくくる」ことだけだった。低い確率ではあるがリスクを伴うこの骨髄提供の要請に「はい」と答えたこと。これだけである。私は謙虚さを覚えると共に、自分の一つの返答が与える影響の大きさを実感した。そしてこの体験は、今の自分の修道生活に大きなプレゼントになったと思っている。

 私は一人でも多くの方々、特に司祭、修道者の方々にドナーになっていただけたらと思っている。もちろん自由な選択であり、優劣もない。神さまからの恵みとして、ドナーとなって頂けたらと思っている。

 骨髄バンクについては、以下のホームページを参照していただきたい。
 http://www.jmdp.or.jp/