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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ7月 3本のストラ、3つの物語


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2019年7月)

3本のストラ、3つの素晴らしい物語
それを忘れない心

私は、すべての出会いのはかりがたい価値を証言したいと思います。短いものでも、長いものでも、深いものでも、瞬時のものでも。それが人と人との出会いであるなら、いつでも特別なものであり、私たちはそれを特別なものとしなくてはなりません。こういう生き方ができれば、私たちはよりよく生きることができるでしょう。

 

 親愛なる友であり、「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者である皆さん、

 いつものように皆さんに心からのあいさつを送り、ドン・ボスコが創刊し、こよなく愛した雑誌上で分かち合うすべてを共にしてくださることに感謝します。「ボレッティーノ・サレジアーノ」を通して、ドン・ボスコはサレジオの家、とりわけサレジオの宣教地において行われた善いことが知られることを願っていました。同時に、若者たちの中で使命を遂行することを手伝ってくれる多くの人びとを見つけることも望んでいたのです。

 今回は、世界中のサレジオ会員を訪問している際に私に起った3つの出来事について皆さんと分ち合いたいと思います。いずれの場合も主役はストラです。

 まず、読者の皆さんにとって、必ずしも身近なものではない、典礼の祭服にまつわる言葉、ストラについて説明したほうがよいでしょう。ストラは司祭が身につける祭服の特徴的な一部となるものです。司祭はストラを首の後ろから前にかけ、ウエストより下まで垂らすようにします。ストラは、神の民に仕える者としての司祭の尊厳と奉献を表しています。私たちの主のやさしい軛(くびき)、司祭職の義務を思い出させ、またある意味で、よき牧者が肩に負う羊を象徴するものでもあります。

 この数か月間に、私は大事な意味をもつ3本のストラを贈られました。

◆名前を知らない女性のストラ

 最初のストラは5月24日、ヴァルドッコでの扶助者聖マリアの祝日に贈られました。それは豪華な金糸で手刺繍を施された美しいストラで、仕上げるために何百時間も費やされたに違いありません。扶助者聖マリアとドン・ボスコに対する敬虔な信心をもつひとりの女性が、ミサとその夜の荘厳な行列でそのストラを着用してほしいと望みました。ひとえに大いなる犠牲と貧しさのうちに、寛大さと聖母への豊かな愛によってそれは作り上げられていました。私はもちろんそのストラを身につけてミサを捧げ、行列で祈りました。その場に集った何千もの人びとのすべての祈りをささげ、とりわけ、心が扶助者聖マリアへの愛と主に対する信仰で満ちあふれているその女性(ストラは匿名で贈られたので、私は彼女のことを知らないのですが)のために私は祈りました。

◆爆撃下の若者たちのストラ

 私は2本目のストラをシリアのダマスカスで、何百人もの少年少女がオラトリオに集ったある日の午後に受け取りました。その午後、100人を超える大学生アニメーターたちも共にミサをささげました。ミサの終わりに、平和はすぐそこに来ていると信じて、平和を喜び祝えることをすべての人びとに知らせるべく、1羽の白い鳩を飛ばしたその瞬間、すぐ近くに迫撃砲が落とされました。
 その午後、あの素晴らしいアニメーターたちは、内面化し生き抜いている信仰を深いまなざしにたたえながら、私に美しいストラを贈ってくれました。それにはアラビア語で「ミサをささげるたびに、いつも私たちのことを思い出してください」と刺繍されていたのです。

◆若い囚人たちのストラ

 私が3本目のストラを受け取ったのは、1か月前にブラジルのマト・グロッソを訪問したときでした。若者たちとの集いの終わりに、ひとりの教員が私に1本のストラをくれました。その裏側には、サレジオの家にいる56人の若者たちの姓名が消えないインクで書かれていました。彼らはありきたりの人生を歩んできたわけではありません。彼らは以前なら、少年院、更生施設に送られるようなことをしました。何らかの罪を犯したため、彼らに自由はなく、裁判を経て私たちに預けられたのです。
 その56人は私たちの集いに来ることはできませんでしたが、自分たちのことを忘れないで欲しいと私に頼み、彼らも私のことを思い出すと約束し、名前の書かれたそのストラを先生に託し、私に届けてくれたのです。私は毎日、ミサの中で彼らのことを思い起こしています。

◆私は信じます

 私は心の共鳴と交わりを深く信じます。私は祈りの力を強く信じています。とくに私たちが他者のために祈るときにそれを信じます。他者のために祈ることは真の愛の表明です。直接彼らのことを知っていようといまいと、私たちがその人たちのことを思い出すその瞬間に彼らは私たちの心に住まうのです。ここ数年、なぜ教皇フランシスコが自分のために祈ることを繰り返し私たちに頼むのかを、私は一層理解できるようになりました。
 ですから、私はこの3本のストラの貴重な価値の証しを皆さんにも伝えたいと思うのです。

 私は、すべての出会いのはかりがたい価値を記憶に刻みたいと思います。短いものでも、長いものでも、深いものでも、瞬時のものでも。それが人と人との出会いであるなら、いつでも特別なものであり、私たちはそれを特別なものとしなくてはなりません。こういう生き方ができれば、私たちはよりよく生きることができるでしょう。
 信仰がどのように人の心と意志を動かし得るかを、私は思いに刻みつけたいのです。サレジオの世界を巡る旅で、私はあらゆるところでそれを目にしてきました。

 ドン・ボスコがヴァルドッコの少年たちに宛てて、彼らから遠く離れていたときに書いたことを、私が日ごとによりよく理解できることを記録にとどめたいと思います。ドン・ボスコは少年たちを「泥棒」と呼びました。そうなのです。彼は彼らをそう呼びました。「君たちは泥棒だ」。そしてこう付け加えたのです。「私の心を奪ってしまったのだから」と。
 他者の善のみを探し求めるとき、人の心が自由に無償で、ささげもののようにして奪われることがあるのを感じることは実に素晴らしいことです。

 皆さんに祝福を贈ります。そして約束します。あのストラのどれかひとつを身につけるとき、その深い意味を分ち合った皆さんのことも思い起すと。

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》