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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ4月 サレジオ家族の「幸い」


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2019年4月)

サレジオ家族の「幸い」

 

 今年の1月、私たちは28か国から集まった人びとと共にサレジオ霊性週間を過ごしました。これは37年間続いているもので、すべてのサレジオ家族のための養成を目指す集いです。そして会を重ねるごとに重要性も増しています。昨年と同様に今年も会場は私たちサレジアンにとっての聖地であるヴァルドッコでした。

 その場所は聖霊で満たされており、あらゆるものが私たちに語りかけ、思い起させるのはドン・ボスコのことであり、彼がこの世界の少年少女、若者たちのために聖霊から受け取ったカリスマについてなのです。

 取り上げられたトピックは教皇フランシスコが使徒的勧告『喜びに喜べ』によって全教会に投げかけた呼びかけに完全に即したものでした。聖性への招き、単純な聖性、日々の聖性です。これは数えきれない何百万もの人びとが人知れず生きている聖性です。彼らは決して祭壇の高みに上げられる(列聖される)ことはないでしょう。それにもかかわらず、キリスト者としての見事な生き方を全うしているのです。親愛なる読者の皆さん、あなた方もこの日々の生活の聖人のひとりかもしれないのですよ。

 その数日間に分かち合われた振り返りの実りが、これから挙げる「サレジオ家族の幸い」です。私はこれを読者の皆さんにも知っていただきたいのです。これは何かの本から取られた理論のようなものではありません。それどころか、世界中のサレジオ家族の奉献生活者と信徒、そして若者たちがたどり、生きている、サレジオ的な生き方の集約なのです。

 私たちの7つの幸いは次のとおりです。

1.貧しさの中に喜びを見いだすサレジオ家族は幸いです。神の恵みで満たされて、最も貧しく、辺縁にある若者たちの中で奇跡を行うことができるでしょう。これは聖性です!

 総長としての5年間にサレジオの世界で体験したり見たりしたこと(現在までに85か国を訪れました)から、私は皆さんに保証できます。神は毎日、大勢の少年少女、青年、とりわけ貧しく辺縁にある彼らのために本当の「いのちの奇跡」を行い続けておられるのです。
 それらの奇跡は経済的な手段によるものでは全くなく、私たちが若者たちとどのように接するかに関わっています。個人的に、心からの愛情をもって彼らを受け入れ、ひとりひとりの状況──彼らの現状が極めて劇的であることも決して珍しくはありません──に真剣に耳を傾けるのです。

2.よき牧者の柔和と愛を体現するサレジオ家族は幸いです。愛情深く若者たちを迎え入れ、彼らに寄り添い、対話と多様性の受容を教育します。これは聖性です!

 対話することと多様な人びと、自分とは違う人びとを受け入れることを若者に教育することの重要性を私はどれだけ切実に感じることでしょう。最近のヨーロッパでの訪問の際に、ある10代の若者が、自分たちが「外国人に対する恐怖をなくす」ことができますようにと共同祈願で祈りました。私は自問しました。「私たち大人と現代社会を治める当局者たちはどういう種をまいているのだろうか。15歳の少女が、ただ自分とは違うというだけで誰かを怖がっているのだとしたら……」と。

3.他者に寄り添い、苦しむ人びとの傷を癒し、復活したキリストの喜びをもたらすことで、希望をなくした人びとに再び希望を与えるサレジオ家族は幸いです。これは聖性です!

 キリスト者の徳の一つであり、「魔法」の言葉である希望は、今日ではかなり乏しくなっています。時として私たちは他者の問題を解決することができなくても、彼らの傍にいて彼らを迎え入れ、大切に思っていることを伝えることができます。私たちは彼らの傷を癒すことができます。誰もが自分の魂や心に何らかの傷を抱えているからです。人生で負った傷の痛みをやわらげてくれる、ほんのささやかな心遣いであっても、それに感謝しない人などいるでしょうか……。

4.正義に飢え渇き、若者たちが家庭で、仕事場で、政治的・社会的務めを果たす場で、豊かないのちの人生の計画を実現できるよう、寄り添うサレジオ家族は幸いです。これは聖性です!

 私はこれまでに訪れた世界各地で、そこで出会った若者たちに、夢や理想、人生の計画を持っているかと尋ねてきました。こうしたものを持たないと、「ただ命をながらえるために生きてゆくこと」に甘んじて、惰性的に過ごし、充実した人生を生きることをしなくなるからです。
 このため、サレジオの使命の最も素晴らしいものの一つは若者たち、すべての若者たちに寄り添うことです。彼らひとりひとりの状況がどのようなものであれ、彼らが人生の旅路を歩み始めることができるように手助けするのです。その人生の計画がささやかでも壮大でも、単純なものでも重厚なものでも。彼らに寄り添うとは、強い風や荒れる海に耐えるよう彼らを支える柱に、彼らをつなぎとめることなのです。

5.いつくしみ、あわれみを実際に体験し、傾聴とゆるしに目と心を開いているサレジオ家族は幸せです。そのようにして、他者を歓迎する家となります。これは聖性です!

 今日、私たちの社会であまり使われることのない言葉の一つは「いつくしみ」です。このためにも、教皇フランシスコが頻繁にいつくしみについて話すと、悲観論者たちは直ちに教皇の言葉はばかばかしく、弱さの表れだと言い立てます。そういう人びとはキリスト者としての生き方において、向上できないままです。しかしそれではいけません。私たちは第一に、そして主に、理解、共感、いつくしみの眼差し、何よりも温かく迎え、傾聴することを通して、人生と教育を理解します。私たちの人生、生活にこのことがどれほど必要とされているか、そう思いませんか?

6.真実であること、人としてまっとうであること、透明性を求め、うわべの向こうにあるものを見つめ、ひとりひとりの内に神の恵みの働きを認める愛の眼差しを育むサレジオ家族は幸いです。これは聖性です!

 ここで取り上げる私たちの幸いは、世間が私たちに「売り込もう」としているものとは全く対極にあるものです。真によいものを生み出す事柄を信じ、支持するよりも、利益を生み出すかぎり、手っ取り早い成功、策略や闇のビジネスを信じることを「売り込む」方が簡単です。真理と正義の側に立つよりも、高慢にふるまい、「力」や権力や成功を手にしている人の側に立つ方が楽なのです。ですから私たちはよいことを行う人びと、嘘偽りのない正しさ、率直さ、誠実を信じる人びと(このような人びとも存在します)と一致協力します。私たちはどちらか一方を選ばなくてはなりません。両者を同時に選ぶことはできないのです。そして私たちは、若者たちにとって尊厳のある道を提供しようとします。たとえそれが、常に容易なことではないとしても。

 そして最後に……

7.福音の真理をもとにして、ドン・ボスコのカリスマに忠実に、新たな人類のパン種となり、神の国のために喜びをもって十字架をも受け止めるサレジオ家族は幸いです。これは聖性です!

 教会とこの世界のために神から贈られたドン・ボスコのカリスマが、かつてそうであったように、今も時代に即していて必要とされていると私たちは信じ続けています。もしもサレジオのカリスマと世界中134か国、何百万人もの若者たちとその家族の間に広がるサレジオの拠点が存在しなかったら、現代社会は大事な何かを失っていると、私たちは謙遜のうちにも信じています。
 そして私たちは信じ続けます。倒れる木は静かに成長する森よりも確かに大きな音を立てますが、私たちはその陰に多くの人びとを迎え守り、皆の家となる森(ボスコ)になりたいのです。

 幸せになりましょう、幸いな者になりましょう。

心を込めて
ドン・アンヘル

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

 

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》