ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ10月 サレジオ会ミッションのシンボル


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2019年10月)

ヴァルドッコの扶助者聖マリア大聖堂の真ん前にあるドン・ボスコの記念碑は、
世界中のサレジオ会ミッションのシンボルです。  


「ボレッテイーノ・サレジアーノ」の読者の皆さん、

 美しいインドの北西に位置し、他国と国境を接するナガランドのディマプールから挨拶を送ります。ここにサレジオ会はしっかりと根をおろし、ドン・ボスコへの忠実さを見事に示しています。

 世界中至る所で私が体験した素晴らしい歓迎の情景を振返ってみると、愛と感謝のシンボルである一つの記念碑が心に浮かんできます。それはドン・ボスコの友人たちが彼のために、まさに扶助者聖マリア大聖堂の前に建てようと望んだものです。

 数か月後、私たちはその記念碑建立の100周年を祝います。記念碑はいい具合に年を重ね、忠実な門番のように私たちの母の家を訪れる人びとを迎え入れてくれます。ありがちなことですが、あまりに見慣れてしまったため、私たちは記念碑に一瞥を投げるだけでそこを通り過ぎます。

 あの広場に記念碑を置くことはドン・ボスコ自らの発案だったのです! 扶助者聖マリア大聖堂の建設がすでに始められていたある日のこと、まだ整備されていない広場を横切りながら、ドン・ボスコは立ち止まり、大聖堂の出来上がりつつある正面の輪郭を眺め、辺りを見回しました。独特の夢見るようなまなざしと固い決意でドン・ボスコは付き添っていた司祭に告げました。「この真ん中に私は、モーゼが岩を打って水を噴き出させる場面を表す記念碑を建てたい。噴き出した水を水盤に集める形で」。

 今日広場にある記念碑はドン・ボスコが思い描いたものと同じではありませんが、さらに多くを物語っています。

 

サレジオ事業の叙事詩

 1911年9月10日、サレジオ会学校同窓会の国際大会の席でドン・ボスコ生誕100年を祝う記念碑を建てるる計画がわき起こりました。直ちに世界中から大勢の人びとがこの取り組みに参画しました。トリノ市は場所を提供し、ささやかな経済的貢献をしてくれました。デザイン・コンクールが行われ、世界中の芸術家が応募しました。その結果、ラヴェンナの彫刻家ガエタノ・チェリーニのデザインが選ばれたのです。

 すべての準備は整えられていましたが、忌まわしい第一次世界大戦のために除幕式は延期を余儀なくされ、ようやく1920年5月23日、扶助者聖マリアの祝日の前日、午前11時より式が行われました。

 記念碑をおおっていた布がおろされると、集っていた数千もの人びとは敬虔な気持ちで感動の喝采をおくりました。

 堅固な御影石の台座に置かれたブロンズ像はサレジオの事業の叙事詩ともいえるものです。

 いちばん高い部分では、穏やかにほほ笑むドン・ボスコが子どもたちに囲まれています。その子どもたちは踊っているように見えます。ドン・ボスコはそのうちの一人を抱き上げようとしているようです。これは彼のミッション、そしてサレジオ会のミッションのこの上ない見事なシンボルです。教育するという言葉はまさしく「引き上げる」、高める、成長させることを意味します。彫像の喜びにあふれる雰囲気はサレジオ会の霊性の特徴であり、教育者と若者との間の友情関係が個人の成長にとって大きな支えとなるのです。聖フランシスコ・サレジオの伝統において、真の友情、交わり、相互作用、まことに霊的なものとなる友情がなければ、導き手がいても信仰のうちに成長することは不可能だとされています。サレジオの養成者と若者の関係には「最高のまごころ」が刻み付けられていなければなりません。親しさが愛を、愛が信頼をもたらすからです。彫像の子どもたちは信頼をこめてドン・ボスコを見上げています。確実に愛されていると感じているからです。

 

 その下には人類を見事に表す彫像があり、擬人化された信仰によって差し出された十字架に接吻しようとしています。「私たちの会の始まりは簡単なカテキズムの教えだった」とドン・ボスコは述べています。この言葉は私たちをサレジオ修道会の起源と根本に引き戻してくれます。私たちはドン・ボスコから、すべての子ども、すべての人をイエスとの出会いに導く福音宣教の情熱を学びます。正面には二つの浮彫りがあります。右側にはドン・ボスコに投げキスをする男の子を抱く母親、左側には感謝をこめて、助けを施してくれる恩人を感謝のうちに見つめるハンセン病の人を見ることができます。

 両側面にはドン・ボスコが推奨した二つの「聖なる愛」、聖体と扶助者聖マリアが「すべての人へ ad gentes」の宣教と家庭のイメージの上に表されています。

 背面には三つの薄浮き彫りがあり、サレジオ会員たちが移民を助けるためにどれだけの働きを過去に行い、今日も行っているかが刻まれています。世界中でどれだけのサレジオの家があらゆる年齢の移民に扉を開いたかに私は思いを馳せます。そして難民キャンプや家族寮のことを考えます。

 側面にはサレジオの職業訓練校と農業学校が描かれています。毎日、数多くの若者たちが「よきキリスト者、誠実な市民」になるべく私たちの家に入ってきます。

 まるで鏡のトリックのように、ドン・ボスコ像のちょうど後ろ、つまり大聖堂正面の中央部には子どもたちと一緒のイエスの像が見事に浮かび上がっています。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコによる福音書10章11節)。私は世界中でドン・ボスコの息子たちが不変の情熱をこめてイエスの言葉を実現するのを見てきました。だからこそ、今でもここから新しい宣教師、宣教女が旅立って行くのです。

 何よりも、ドン・ボスコの名において受け取ったものに対する数知れない人びとの尽きせぬ感謝の気持ちを私は目にしました。世界のどこの国であってもサレジオの家に着くと、私はあの記念碑の子どもたちの輪に囲まれているような思いを抱くのです。その子どもたちの満ち足りた喜びが皆さんの一人ひとりにも与えられますように。

 心をこめて

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》