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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ「私たちの夏はマリアのみ名のもとに」


 

総長メッセージ(2017年7月・8月)

アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

私たちの夏はマリアのみ名のもとに

 

「あの方がすべてをなさった」とドン・ボスコは常々言っていました。「今も変わることなくすべてをなさっておられるのは聖母である」と私は確信しています。聖母は私たちにイエスを与えてくださいます。聖母の現存、近しさ、助けに駆り立てられて私たちはいつも深い信仰をもって生きているのです。

 

 私たちの暮らす北半球では夏は「休暇」とほぼ同義語です。この時期、あらゆる種類のサマーキャンプを手がける大勢のサレジオ会員と彼らの協働者たちのことを考えます。

 そしてちょうど夏の真ん中に聖母の美しい祭日「聖母被昇天」があるのは素敵なことですね。

 学校の先生についての古い話を私はふと思い出しました。市場に臨む窓から身を乗り出していた先生は、ハイケルという生徒が大急ぎで歩いて来るのを目にしました。先生はハイケルを呼んで、上がって来るように言いました。

 「ハイケル、今朝の空を見たかい?」
 「いいえ」
 「では道は? ハイケル、今朝、道を見たかい?」
 「はい、先生」
 「今は? まだ道が見えるかね?」
 「はい、先生、見ています」
 「何が見えるか、言ってごらん」
 「人々、馬、荷車、騒がしい商人たち、暖を取る農夫たち、行き交う男の人や女の人、こんな感じです」
 「ハイケル、ハイケル」と先生は優しく諭しました。「50年か100年経っても、今のような道、今のとよく似た市場があるだろう。今とは別の馬車が別の馬を売買する別の商人を運んで来るだろう。だが、私はそのときもうここにはいないし、君だっていないのだ。だからハイケル、君に尋ねよう。空を眺める時間もないのに、なぜ走るのか」

 聖母が被昇天の祭日に私たちにくださる贈りものはまさにこれなのです。空を見上げるようにという招き。ドン・ボスコが『青少年宝鑑 Il Giovane Provveduto』の第1行目に書いた言葉を忘れてはいけません。「目を上げなさい。私の息子たち、天にあるもの、そして地にあるものを観察しなさい」。

 聖母の祭日は、世界の多くの場所でのすべてのご出現のように、人生の手引きであり、天を忘れてはならないという強い促しなのです。数多くの楽しい活動、くつろいだり、自然を満喫している最中であっても……  

 

「宣教する弟子」

 しばらく前に私はメキシコにいました。5月11日、私は幸いにも、メキシコのサレジオ家族の年ごとの巡礼に参加し、あの有名なグアダルーペの聖母の大聖堂で荘厳ミサを司式することができました。そこでもまた私は神の民の信仰、イエスの母にして私たちの母、聖母に対する人々の愛を目にし、実感し、それに手でふれることができたのです。

 その夜、さらに特別な贈りものが私たちを待っていました。聖母の姿の写った布が置かれた小さな部屋を訪れる機会があったのです。布を近くで眺め、「さわる」こともできました。それはリュウゼツランの天然植物繊維でできた布でティルマと呼ばれています。1500年代、その地域の先住民が使っていたマントの一種です。

 皆さんはグアダルーペの聖母の物語をおおよそご存じのことと思いますので、ここでは繰り返しません。けれども、1531年から今日まで、生ける神の母の聖なる像は驚くべき方法で奇跡的に布の上に姿をとどめているのです。それはきわめて丁寧に扱っても普通は20年ももたないような布ですが、グアダルーペの聖母のティルマは500年近く時を経ています。この「グアダルーペの出来事」はいくつものしるしの連なり(布地や色彩が保たれていることなど、さらに人々の信仰や信心)であり、聖母と神の民の絆、さらに世界中の人々と文化にも及ぶその絆を際立たせています。それはイエスの母マリアの近しさ、現存、優しさ、母性、助けによる絆です。インディオの聖ホアン・ディエゴに出現なさったテペヤクの丘であれ、様々な方法で出現なさることを望まれた世界の各地であれ、そして何よりも息子や娘の信仰のうちにも、聖母の現存、近しさ、助けが感じ取られ、私たちは深い信仰を持って生きてゆくように促がされます。

 聖母はグアダルーペの出来事において、500年前から今日に至るまで、胎内に「唯一真なる神、いのちの作り手である御方」を抱く母として見られることを望んでおられます。慎ましいはしためである聖母はつねに神の御子にしてご自分の子であられる方との関わりのうちに示されます。それゆえ聖母はご自分が“現れる”だけではなく、御子のことを告げ、御子のことを“顕そう”と望んでおられるのです。

 これこそ聖母が宣教する弟子としてご自分を示す仕方です。イエスをすべての民族に、私たちに―今日ここにいる私たち、地球上のすべての息子、娘たち一人ひとり―にもたらす方。

 

大聖堂の丸屋根から

 グアダルーペの聖母は「私たちの」助け手で、すべての人々をそばに引き寄せ、その助けにより私たちにイエスを「示してくださいます」。テペヤクの丘で聖母はイエスを胎内に宿していました。ご自分のためではなく、御子を知られるようにするためでした。ドン・ボスコのインスピレーションに基づきロレンツォーネが描いたヴァルドッコの素晴らしい絵では、聖母は幼な児を腕に抱いており、彼を与え、彼を示し、彼の姿を明白なものとしています。

 1週間後、私はイタリア全土と世界各地から集まった数千もの人々と共にヴァルドッコで扶助者聖母の祭日を祝うことができました。私はそのときグアダルーペで体験したのと同様な感動をおぼえました。今回は、御母がドン・ボスコにとって大切な名前で呼ばれていることから、サレジオ的な色合いを帯びたものでした。その中庭で、ドメニコ・サヴィオ、ミケーレ・ルア、フィリッポ・リナルディ、ドン・ボスコ、オラトリオの数えきれないほどの若者たち、初期のサレジオ会員たちが生活し、遊んで、聖性に至る道を共に歩んだのです。

 私はグアダルーペとヴァルドッコを結ぶ目には見えない橋を思い描くことができます。グアダルーペで出会ったメキシコの人々のために、私たちはヴァルドッコで祈りました。彼らにそうすることを約束したからです。私がその約束をしたとき、グアダルーペのサレジオ家族は喜びにわき、盛大な拍手で応えてくれました。

 ヴァルドッコで私はドン・ボスコの言葉をはっきりと理解しました。「すべてを成し遂げたのは聖母でした」。そして私はこうも確信しています。聖母は「すべてを成し続ける」と。

 テペヤクから、大聖堂の丸屋根から、アフリカでサレジオ会員によって聖母に捧げられた数多くの教会から、聖母は世界中のすべての若者とサレジオ会員を見守っておられます。ひとりとして天国への道を見失うことがないようにと。ドン・ボスコはそこで私たち皆を待っているのです。

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

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注【グアダルーペの聖母】

 16世紀前半、メキシコで先住民族の聖ホアン・ディエゴに聖母が現れ、ホアンのマントに聖母の姿が奇跡的に写ったものが現在も保存されていますが、大聖堂に置かれているのはレプリカ、本物はメッセージにあるようにふだんは一般公開されず、別の部屋に保管されています。

 聖母は先住民族の衣装で妊婦が身につける帯をしているそうです。

 聖母はホアンに現れたテペヤクの丘に、ご自分にささげられた教会を建ててほしいと司教に伝えるよう願いました。そこは異教の神殿のあった場所でした。

 聖母は、「まことの神の母となる光栄を受けた、けがれなく完全な、聖なるマリア」と自己紹介されました。

 貧しいホアンの言葉をにわかに信じることのできなかった司教がしるしを求めたので、聖母は極寒の冬の丘に咲く花を司教に持って行くようにとホアンに言いました。その場所に行くとバラが咲きほこっていて、聖母がバラを集め、ホアンのマントでくるみました。司教にバラを見せると、マントには出現された聖母の姿が写っていました。

 また、不治の病にかかっていた叔父のことで苦しんでいたホアンに、聖母は「あなたの母である私がここにいるではありませんか」と言い、病は奇跡的にいやされました。

 聖母は、「グアダルーペ」として知られることを望みました。一説によるとこれは、「石の蛇を踏み砕くおとめ」という意味の先住民族の言葉を、スペイン人宣教師が故郷の聖母巡礼地「グアダルーペ」と聞き違えたもの。当時、先住民族の宗教で石に刻まれた蛇の神に毎年多くの人身御供がささげられ、宣教師たちがその風習をやめさせようとしても止むことなく、カトリックに改宗する人も少ない状況でした。ホアン・ディエゴと叔父さんは、洗礼を受けた数少ない先住民だったのです。

 「この土地のすべての人の母です」と言われた聖母のこの出来事の後、日に3千人が洗礼を受け、瞬く間に信仰が広まりました。

 グアダルーペの聖母は南北アメリカ大陸、フィリピンの保護の聖母になっています。

 妊婦の姿であること、人をいけにえとしてささげる風習が止んだこと、すべての人の母であること、こういったことから、グアダルーペの聖母は「いのちの擁護・生命尊重」の象徴にもなっています。

 聖ホアン・ディエゴは先住民族の保護者となっています。