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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ「マリアのマントの下に」


 

総長メッセージ(2017年5月)

アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

マリアのマントの下に

私たち家族にとって、扶助者聖マリアは細やかに心を配り、慰めをあたえてくださるお母さんです。マリアはヨハネ・ボスコにしたように、私たちの手を取り、この世の道を歩む手引きをしてくださるのです。

 

 ちょうど昨日のことでした。困難な時を過ごしている、ある若い婦人と信仰について話し合っていたとき、彼女が私にこう言いました。「神父様、私は確かに信仰をもっています。信仰と共に、信仰によって生きていきたいと望んでいます。毎朝起きて、足を床につける前に、はじめにすることは扶助者聖マリアへの祈りだと、はっきり申し上げられます」。

 私の思いは直ちにドン・ボスコへと向かいました。そして彼がどれだけ扶助者聖マリアに全き信頼を寄せていたかを思い出しました。ドン・ボスコは何度も言っていました。「マリアの愛を通ることなしにイエスのもとに行くことはできません」。そしてさらに「マリアはいつも私の導き手でした。マリアに信頼する人は決して落胆することはないでしょう」と。

 ほぼ冗談のように私は以前こう言ったことがあります。「もしもあなた方の誰かが一所懸命祈ったにもかかわらず、それがむなしい結果になったと知ったら、私はすぐに聖ベルナルドに手紙を書いて『おとめマリアよ、あなたのご保護のもとにかけより、あなたの助けを祈り求め、あなたのご保護を願った人が、あなたから見離されたということは誰も聞いたためしがなかったことを想起してください』というのは間違いでしたね、と言うでしょう。けれども私がこういう手紙を聖ベルナルドに書くことは決してないでしょうね」。(訳注:聖ベルナルドの聖母のご保護を求める祈りMemorare参照)

 あの若い婦人や、天の御母に絶大な信頼を寄せて生きている多くの人びともまた同じ思いを抱いていることでしょう。扶助者聖マリアへの信頼は、祈りを聞かれない人、見捨てられる人は誰一人いないという保証です。

 こうした事柄はすべて、ドン・ボスコの敬虔な思いだけにとどまらず、さらに多くのことを私に伝えてくれます。世界中のさまざまなマリアの巡礼所で主の母マリアにまなざしと心を向ける数えきれないほどの人びとの素朴な信仰について幾度となく黙想してきましたが、その都度私は無関心ではいられず、深い感動をおぼえます。そして、さらに「大聖堂で、ヴァルドッコから生まれた私たちのサレジオの世界」で、扶助者聖マリアがどれだけ大事な方かを見るとき心を強く動かされます。この同じ空間、この中庭―小石は別のものでしょうが―を歩くドン・ボスコの姿を想像してみます。彼の少年たち、青年たち、最初のサレジオ会員たちが天の御母に対するその強く親しみのこもった愛に「心を奪われる」よう、日々その愛を植え付けているドン・ボスコを。

 サレジオの教育者として成功への道をたどりたいなら、少年少女の心が私たちの幸いな母への愛で強く脈打つようにすることが不可欠だというドン・ボスコの声が聞えます。それなしには、「善きキリスト者」を育てる私たちの教育は本質を欠くことになってしまいます。

 確信をもって皆さんに言います。世界中を旅しながら、私は日々サレジオの予防教育法の実りである紛うことない奇跡を目にしています。それは、神のうちに人生の意味を見いだすことが理にかなうと納得させてくれる人物を信頼させる教育、子ども・青年たちに生きるすべを教え成長を助けながら、彼らにとってのよきことだけを探し求める教育者たちの真の愛情を感じさせる教育です。

 ドン・ボスコの聖母はいつも大きなマントをまとって描かれます。彼の多くの夢の中でそれは避難場所、保護された場所なのです。

 最初の夢でマリアは「やさしく私の手を取りました」。ドン・ボスコは決してその手を離すことはありませんでした。こうして平凡な事柄の中に非凡なことが開花することになります。これが真の信仰なのです。「ドン・ボスコがいるところにマリアがおられる」と言うことができます。まさに具体的現存です。

 ドン・ボスコがニッツァに集まったシスターたちに説明しようとしたことにそれがうかがわれます。

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 「聖母があなた方を強く強く愛しておられるということだけを私は言いたいのです。おわかりでしょう。聖母はここにあなた方の中におられます!」するとボネッティ神父はドン・ボスコが感極まっているのを見て彼をさえぎり、彼の気をそらすために話し始めた。「そうですとも。ドン・ボスコは聖母があなた方のお母さんであること、あなた方を見守り、保護してくださると言いたいのです」。

 「いや違う」ドン・ボスコが再び口を開いた。「私が言いたいのは聖母がまさにここに、この家におられるということです。聖母はあなた方のことを喜んでおられます。もしもあなた方が今と同じ精神を持ち続けるなら、それこそ聖母が望んでおられることなのです」。よき父は前にも増して感動にふるえた。ボネッティ神父はまたもや話し出した。「そうです。ドン・ボスコが言いたいのはあなた方がいつも善良なら、聖母は喜んでくださるということです」。

 「そうではない」ドン・ボスコは気持ちを落ち着かせようとしながら、説明を試みた。「聖母は本当にここに、あなた方の中におられるのだ、と言いたいのです。聖母はこの家の中を歩き、マントで覆ってくださるのです」。

(「メモリエ・ビオグラフィケ」第17巻、513ページ)

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 これが現実になるとき、世界中のサレジオの家に豊かにいのちがあるのを目にし、行われている善にふれるとき、こう言うことができるでしょう。「聖母がすべてを成し遂げた……扶助者聖マリアに信頼すれば、奇跡とは何かがわかるでしょう」。

 私たちの御母が、母親たちだけが与えることのできる愛をこめて皆さんを祝福し続けてくださいますように。