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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ「イエスはカクマでとどまった」


 

総長メッセージ(2017年6月)

アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

イエスはカクマでとどまった

私は見たのです。途方もない苦しみのただ中でサレジオ会員たちが希望と慰め、そして共生と教育のために家を開放しているのを。


 読者の皆さん、人間らしさに根ざす深い体験から私が得た印象を皆さんと分ち合いたいと思います。数週間前、幾人かのサレジオ会員と共にケニアのカクマにある国連の難民キャンプを訪れる機会がありました。難民キャンプで受ける衝撃がどれだけ強いか、皆さんも想像することができるでしょう。この訪問には特別な動機がありました。私がそのキャンプに行ったのは、南スーダン、ルワンダ、ブルンジ、コンゴなどの難民に会うためだけではなく、そこにある素晴らしい共同体の兄弟たちを激励するためでもありました。タンザニアとケニア出身の5人のサレジオ会員が15万人もの人びとと生活を送っています。その人たちの多くは幼児、少年少女、若者です。

 その共同体はすでに何年も前から難民キャンプの中にあります。それだけでも普通のことではないのに、その成り立ちも変わっています。国連から共同体の設置を許可されているだけでなく、そこにあり続けることが望まれているのです。というのも、サレジオの事業は共生、社会性、教育、人格形成にとって大事な働きをしているからです。


私は21世紀のヴァルドッコに出会いました

 それでは、詳しく説明しましょう。

 部族間の衝突により流血の絶えない南スーダンとの国境の町カクマに着くと、トゥルカナ族に出会います。ケニアの北西部で灼熱の乾ききった土地に住む34万人の人びとです。干上がってしまった川床を横切ると、そこには国連の難民キャンプがあります。様々な人種、部族、多様な習慣や宗教がひしめき合っています。そのような「バベル」の真っただ中に私たちの兄弟であるサレジオ会員の姿があります。ヴァルドッコの若者たちのためにドン・ボスコがしていたことを彼らもしているのです。私はそこで、徹頭徹尾アフリカ的な21世紀の新たなヴァルドッコに出会いました。

 毎日250人以上の若者たちが職業専門学校に通ってきます。大工、電気システム、電子工学、木工、マネージメント、秘書などの技能をサレジオ会員や教員たちから学ぶためです。若者たちが安住の地に移った時に、人間らしく生きて行けるような職業を身につけさせるのです。

 学校の若者たちとそれ以外の人びとのために毎日食事も提供されます。大部分は国連がまかなっています。私たちも共に食べました。大きな喜びとたくさんの笑顔で味付けされたお米の料理でした。私は若者たちが実際に学んでいるところを見せてもらいました。彼らの大半は成人した若者たちでした。

 そこはまさに人生の学校だと実感しました。仕事を身につけることは大事です。けれども、もっと価値があるのは彼らが日々体得することです。多様性の中で、平和と調和を保って共に生活すること、同じ目的のために力を合せること、いろいろな意見や、文化や宗教の表現を尊重することを学び取っていきます。

 私は国連の責任者の女性ともサレジオ会の事業に関して言葉を交わすことができました。彼女は私たちに合流し、お米の料理を一緒に食べました。そして、彼女の口から、この世界の片隅で行われている国連とサレジオ会の協働、それに携わるサレジオ会員に対する賛辞を聞き、私はこの上ない喜びを味わったのでした。


干上がった川床の向こう側に行く

 国連があの若者たちの中で働く許可を私たちに与えてくれたことに対して、私はその責任者の女性に感謝を伝えました。当初はただ寄り添い、生き延びさせることが主だったかもしれませんが、今や若者たちに生活の手段を準備させ、近い将来に具体的な希望を持たせられるようになったのです。

 私はカクマの家と周囲の喜びに満ちた雰囲気がとても気に入りました。若者たちはまさにそこにいる間、自分の家にいるように感じています。キャンプ内に難民としてではなく住めるのはサレジオ会員だけですが、私たちは孤立してはいません。若い司教が私たちに心を寄せてくださり、数年前からトゥルカナ族の中で宣教に関わるシスターたちの共同体と私たちのために協力してくださるのは嬉しいことです。

 これからの夢は難民キャンプの中ではなく、トゥルカナ族の中に新しいサレジオの共同体を作ることです。乾ききった川床の向うにトゥルカナの若者たちにも役立つような職業学校を大きな規模で設けたいのです。

 カクマの共同体は難民キャンプのための小教区と広大な地域にある9つの聖堂を管理しています。信仰を探し求める人びと、主イエスへの信仰を深めようとする人びと、彼らに対する兄弟たちの働きぶりを見れば、難民キャンプでも復活祭が祝われたことを確信せずにはいられないでしょう。イエスはすべての人のため、ことに最も弱く貧しい人びと、この世から押し出され忘れ去られた人びとのためによみがえられたのです。

 私は帰って来ましたが、兄弟たちは残りました。貧しさのただ中で、愛である神の大いなる現存と豊かな人間性にこの手でふれた私の心は喜びで満たされていました。

 

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》