ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ6月 流された血がいのちをもたらす



総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2019年6月)

流された血がいのちをもたらす

ボロロ族が暮らすこの地で、共に集ったボロロとシャバンテの若者たちと出会い、また彼らと日々の生活を共にする宣教師たちに会い、私たちの殉教者が死を迎えたまさにその場所で信仰を記念しミサを捧げることは私にとって心を揺さぶられる体験でした。

 

 親愛なる読者の皆さん、

 この手紙に付けられたタイトルが何を意味するのか、これから私が何についてお話ししようとしているのか、皆さんはおそらく首をかしげていらっしゃることでしょう。それもごもっともです。疑問を取り払うために、最近私が訪れたサレジオ会の事業所での出来事から皆さんと分ち合うことにしましょう。

 ついこの間、私はブラジルのマト・グロッソと南マト・グロッソでのサレジオ会の活動の場を訪問し、人びとと共に時を過ごしました。サレジオ会の最初の宣教師たちは125年前、ここに、クイアバという小さな村に足を踏み入れました。クイアバは、今では美しい小都市になっています。

 パラグアイのエル・チャコですでにしたように、マト・グロッソの先住民族と共にある私たちの仕事場を訪問したい旨を、私はサレジオ会の兄弟たちに伝えました。数十年間にわたり、私たちはアヨレオ族、マスコイ族、チャマココ族のもとで活動してきました。ですから、マト・グロッソの宣教地を訪ねたいと思ったのです。私たちは夕闇が迫る頃、メルリの先住民ボロロ族の居住地に到着しました。

 1894年、当時のサレジオ会の宣教師たちは、その地域のインディオ、シャバンテ族と初めて接触しました。その最初の出会いは悲しいものでした。先住民たちは、最初に出会った2人のサレジオ会員を殺害してしまったのです。それにもかかわらず、宣教師たちはまもなくイエスのみこころの入植地を建設し、その地に住むボロロ族に福音宣教を開始しました。1906年、サングラドゥロ入植地が造られました。やがて、パラブブリの地域から追放され、ほぼ壊滅状態にあったシャバンテ族がこの入植地に迎えられました。

 1926年の頃には、サレジオ会の宣教師たちはこれらの入植地のシャバンテ族とボロロ族のもとで、たゆみない、着実で安定した活動を行うようになっていました。サングラドゥロ、サン・マルコス、メルリなどの事業は、現在に至るまで堅固なものとなっています。シャバンテ族はサングラドゥロの入植地にたどり着いたとき、わずか900人足らずでした。彼らはサレジオ会員と、歴史上は敵同士だったボロロ族に歓迎されました。今日では、さまざまな団体や行政組織との協働や良好な関係を築くための養成指導に加えて、手厚い保護と固有の文化の尊重のおかげで、シャバンテ族は3万人を数えるまでになりました。

 メルリの人びとは私たちを、愛情をこめて伝統的な仕方で歓迎してくれました。皆さんもその様子を写真で見ることができるでしょう。また、この先住民の人びとと生活を共にするすべての宣教師と会うことができ、有意義な時を過ごしました。18人のサレジオ会員、8人のFMA会員、そしてラウリータスと呼ばれる聖ラウラ修道女会の2人のシスターです。この2人のシスターはコロンビア出身で、兄弟姉妹である先住民のために、私たちと仲良く働いてくれています。

 翌朝、私たちは非常に意味深い、歴史的にも有意義な2つの行事を体験しました。最初のものは、私たちが滞在していたので、1日を共にすごすためボロロ族のもとにやって来た40人のシャバンテ族の少年少女を迎えたことです。それまで2つの民族は、そのような形で一緒に集うことは決してありませんでした。歴史上、大人たちが成しえなかったことをボロロとシャバンテの若者たちは成し遂げたのです。私たちは一緒になってしゃべり、若者たちはいろいろな質問をし、対話の時を過ごしました。若者たちは伝統的なダンスを披露しました。私たちはミサを捧げ、皆で共に食事をしました。数百人ほどがそこにいました。

 次に意義深かったのは、ドイツ人サレジオ会宣教師ルドルフ・ルケンバイン神父とボロロ族のシマオン・クリスティーノが“オス・ファセデイロス”(大農園の所有者たち。サレジオ会が先住民の味方となり、彼らの土地の権利を守ろうとしていたことに強い不快感をもっていた)に暗殺された、村の中央のその場所でミサを捧げたことです。1976年7月15日、農園主たちは入植地にやって来て、短い口論の後、ルドルフ神父を撃ちました。そして、神父を守ろうと駆けつけたシマオンも殺されました。

 私はその日、当時、刺されたけれども一命を取りとめたというひとりの老人に挨拶し、言葉を交わし、来てくれたことに感謝を伝えることができました。その人は慎ましい態度で私たちの朝のミサに与っていました。

 その2人の殉教者の列福列聖調査は目下進行中です。彼らは現在「神の僕」です。

 ボロロ族が生活している場に居合せ、その機会を共に過ごしたいと望んだボロロ族とシャバンテ族の若者たちに出会えたことは私にとって感動的でした。先住民と日々の暮らしを共にする宣教師の兄弟姉妹たちと出会い、殉教者が死を迎えたまさしくその場所で私たちの信仰を祝えたことも私の心を突き動かしました。先住民がよりよい暮らしができるように努力し、先住民を守ろうとしただけで、2人はいのちを奪われてしまったのです。

 翌朝早く、再びボロロ族の共同体と共に私たちは短い行列を行い、入植地の墓地を訪れました。そこに眠るシマオンとルドルフ神父の墓前で私たちは皆のために祈りました。

 私の思いはそこからアフリカへ、ブルキナファソとトーゴの国境へと飛んでゆきました。スペイン人サレジオ会宣教師セザル・アントニオ・フェルナンデス神父は2か月ほど前、理に合わない国境封鎖で足止めをされ、司祭で宣教師であるというだけで、過激派によるさらに理不尽な銃撃により命を奪われたのです。

 この手紙のタイトルは、ここに記したふたつの出来事に応えようとするものです。流された血はひどい苦しみをもたらしますが、いのちをも生み出すのです。私はこのことをボロロとシャバンテの村で見ました。そして日々「いのちの奇跡」が起きているアフリカでも、私たちはそれを見るのです。

 この紙面を借りて、限りない寛大さで身を捧げたじつに多くの人びとに感謝を表したいと思います。また友であり、「ボレッティアーノ・サレジアーノ」の読者である皆さんにも感謝します。皆さんは、私たちがこの世で共に行う善に信頼を寄せ続けてくださいます。この世界は、善いこと、心を明るくするニュース、人びとの生き方を変える事実を今も必要としています。世界で起きていることすべてが、悪いわけではありません。その反対に、この世界は贖われているのです。日ごと種まかれ、芽を出している善は多大なものです。しかし、よいことはニュースになりません。邪悪なこと、悲劇、暴力、死ばかりがニュースになるようです。

 さあ、よき知らせを広める人になりましょう。私が最後に皆さんと分ち合いたいのはこれです。死の痛みの中にも、いのちをもたらす現実があるのです。

心をこめて
ドン・アンヘル

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

 

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》