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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長「最も貧しい人々を心にいだくサレジオ家族を夢見て」


 

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総長メッセージ(2016年4月)

「最も貧しい人々を心にいだくサレジオ家族を夢見て」

     アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

 

 主の恵みの年として過ごしたこのドン・ボスコ生誕200周年の実りとして、世界中のサレジオ家族とドン・ボスコの友人たちのために私がいだいているもう一つの夢は、ドン・ボスコの生き方の規範だったものです:最も貧しい人、特に子どもたち、少年、少女、若者、最も困窮し、最も恵まれない状況にある子どもたちを心にいだくということです。

 こうして皆さんにあてて書きながら、シエラレオネの18日間の訪問のことが、今も目の前に、そして心の中にあります。そこでは、私たちの深い喜びの真実な理由のいくつかに出会うことができました:路上から集められた少年たち、隷属させられていた性的搾取から解放された少女たち、エボラ出血熱で親を失った子どもたちです。この子どもたち皆とフリータウンのサレジオの家で出会い、子どもたちの人生に今、新たな地平が現れているのを見て、ドン・ボスコがヴァルドッコで、そしてマリア・マザレロがモルネーゼで最初の若者たちとの出会いの中で感じた同じ喜びを、私は感じることができました。

 首都の更生施設を訪れ、全体の1割(1600人中160人)にあたる入所者たちと会ったときは、トリノのジェネララ刑務所でドン・ボスコが抱いた感情を私も感じました。入所者のうち1200人は18歳から25歳までの若者なのです。

 ガーナの首都アックラのサレジアン・シスターズの家で、シスターたちと集まった少年たちに会ったとき、そして「ドン・ボスコ」で人身売買の犠牲となっていた子ども・若者たちを目にしたとき、私は心をゆさぶられ、これほどの暗闇のただ中で一条の光となる恵みをサレジオ家族にくださった主に感謝せずにはいられませんでした。

 アジスアベバのメカニサ(エチオピア)で、私たちのもとで毎日十分な食事をとり、学校で勉強することのできる500人の子どもたちに会い、路上から救い出され、職業訓練を受けている少年たち、あるいは路上生活をしながら、食事をするため、友達やサレジオ会員と過ごすために毎日やって来て、あてのない生活に戻るのか、それともその家の若い生徒の一人となるのか、決めようとしている28人の若者たちと出会ったとき、私の心はドン・ボスコの心と一つになって鼓動していました。ドン・ボスコは確かにイエスと共にこのすべての働きを支え、引き続き最も貧しい若者たちのところへ行き、彼らに手を差し伸べるようにと私たちに求めています。

 そこで同じ家族の兄弟姉妹の皆さん、ドン・ボスコの友人の皆さん、私は、抱いている確信について再び皆さんに申し上げます。最も貧しい人々こそ、教会におけるサレジオ家族としての私たちの存在理由であり、最も貧しい人々に献身することが私たちの生きる理由なのだと。

 若者たちのために、真の教育と福音宣教の情熱をもって、日々、人生をささげている実に多くの会員のあかしがどれほど尊いものであるか、私は確信しています。貧しい人々に優先的に愛のまなざしを向けるサレジオの現場が数多くあることを、私は確信しています。

 そのために主に感謝をささげます、そして繰り返し申し上げます:愛する兄弟姉妹の皆さん、「私たちはさらに、もっと先へ進まなければなりません」。私たちは皆、良い羊飼いと同じ心、ドン・ボスコと同じ心、この修道家族の聖なる人々と同じ心を持たなければなりません。それは、若者のために自らの最良のものをささげようとする心です。この自分たちの取り組みを、すべての善意の人の取り組みと一致させなければなりません。

 

 教皇フランシスコは奉献生活者へのメッセージで呼びかけています:「この世を目覚めさせてください、皆さんの預言的な、流れにさからうあかしによってこの世を光で照らしてください!」

 預言的な、流れにさからう形で世を照らすサレジオの方法は、私たち皆のうちに、私たちのすべての支部によく根づいていると私は心から思っています。たとえ言葉がなくても、その暮らし方、働き方によってメッセージがさまざまな問いを生み、大いなるあかしの力を持つと、私は少しも疑いません。そしてこの生き方をすることによって、最も貧しい人々に出会う手段に欠けることがないことを少しも疑いません。私たちは皆、ドン・ボスコがゆるぎなく神の摂理に信頼したことを思い出しましょう。

 そうであるなら、ほかにするべきことがあるでしょうか? 答えは、この上昇の旅を続けることです。すべてのサレジオ会員、すべてのサレジアン・シスターズ、ドン・ボスコのカリスマから生まれたこの大きな木を形づくる30のグループ一つひとつの、サレジオ家族であるすべての人が、私たちを必要とする貧しい少年、少女全員を救うことができないことを、魂の奥底から悔やむようになるまで。私たちの心がそのように感じることができるなら、私たちはいつでも解決策を見いだし、最も貧しい若者を優先的に選ぶことに、いつも深く忠実でいられるでしょう。

 『福音の喜び』で、教皇は教父聖ヨハネ・クリゾストモを引用しています:「自分の財を貧しい人々と分かち合わなければ、彼らの財と生命を奪うことになる。これらの財はわたしたちのものではなく、貧しい人々の所有なのである」。

 教皇は、無関心のグローバル化について私たちに思い起こさせます。それは、私たちを麻痺させる繁栄の文化のなか、貧しい人々の叫びに共感を覚える力を失わせます(福音の喜び54)。大いに力ある言葉で、教皇は私たちの注意を“使い捨て”文化に向けさせます。それは私たちが社会の中に作り出したものであり、その中で「排除されるとは『搾取されること』ではなく、廃棄物、『余分なもの』とされること」(福音の喜び53)になっています。

 愛する友人の皆さん、私たちのカリスマの根本と本質をも表すこの言葉の光に照らし、申し上げます。この方向で歩むとき、私たちは使命のアイデンティティーのことも、忠実であるかどうかについても、心配する必要はありません。正しい道を歩んでいるのです!

 皆さん一人ひとりを祝福します、主がこれからも、主のみから来るあの満ち満ちた豊かさで皆さんを満たし続けてくださいますように。