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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長「ドン・ボスコは生き生きとしている!」


 

総長メッセージ(2017年1月)

アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

「ドン・ボスコはかつてなかったほどに生き生きとしている!」

アレッポの会員たちが私に言いました。サレジオ会員全員がここに残り、愛する父の姿を 映し出しているのです。

 

 「ボレッテイーノ・サレジアーノ」の読者の皆様、そして親愛なるサレジオ家族の皆様、中東管区の長上との胸を締めつけられるような対話を終え、私は新年のご挨拶をしたためています。アレッポ出身のシリア人であるムニール・エル・ライ神父が、現地の人々の痛みや苦しみだけでなく、銃弾、爆撃、破壊の中にも姿を見せる信じがたいほどの貴重な現実について涙を浮かべながら私に語ってくれました。

 「ドン・ボスコは生きています。シリアのアレッポで、かつてなかったほどに生き生きとして。絶望や虐殺のさなかでサレジオの家は毎日数百人もの子ども、若者たちを迎え入れるために扉を開いています。私たちは多くの死の中でも日々の暮らしが続くことを強く望んでいるからです。青年たちの人数は減るどころか、増えていると断言できます。はじめの頃の2倍の1500人以上の少年少女、青年が出会いを求め、生きて祈り、遊ぶためにドン・ボスコの家にやって来ようとするのを見て、私は感動に震えます」。

 「私のサレジオの兄弟全員が人々と共にここに残ることを選びました。私がこのことで涙が出るほど感動したことを是非ともお伝えしたいのです。彼らにはここを立ち去る権利があり、波を立てずにそうすることもできたのです。けれども誰ひとりとして自分の持ち場を離れず、同じ運命を分ち合っています」。

 私は彼の話を聞いて一言も口にすることができずにいました。それほどまでに話に引込まれて、心底から感動していたのです。私は確信に満ちています。ドン・ボスコはかつてなかったほど生き生きと現存している、と。天国のあの世で神のうちに、しかしここでも私たちの中に、私たちと共に。なぜなら、何百人ものサレジオ会員、兄弟姉妹、信徒や若者―彼らはドン・ボスコの夢を絶やさず、教育者、福音宣教者としての務め、少年少女、青年一人ひとりとの個人的な出会いを引き継いでいるからです。

 歌にもあるように‐
≪ジョヴァンニ・ボスコは生きているよ、たくさんの事業を始めたんだ
今も世界中に行き渡るドン・ボスコの父のような心遣いがわかるでしょう?
大勢の娘や息子に歌いかける彼の歌声が聞えないの?
その娘、息子たちは、僕らの愛する父の姿を映し出す
彼らは純粋な愛と信仰、犠牲に従う者:
すべての若者、キリストのもの…
父ドン・ボスコのように心から感動し、
困難にぶつかった若者の痛みに向き合う≫

 

世界の数多くのヴァルドッコで

 アレッポについて私が皆さんに話したことは他の場所にもあてはまります。

 ドン・ボスコはサレジオ会員たち、ことにアメリカ大陸に向った最初の宣教師たちに次の務めを強調して言い聞かせていました。「君たちは特に病気の人、小さな子ども、お年寄りと貧しい人を心にかけなさい」と。これはアレッポでのサレジオの奇跡を説き明かしてくれます。誰もが居場所を見つけることのできる家のことです。食べ物はどこでも足りないのですから、そこでも多くを見つけることはできないでしょう。しかし、誰もが死についてしか話さない状況にあっても、その家ではいのちの歌と未来への希望が途切れることはないのです。

 このことが私を喜びで満たし、ドン・ボスコに対する賞賛と感謝の言葉を私のうちに呼び覚ましてくれます。少しも大げさではなく、ドン・ボスコは偉大な人でした。一瞥を向けただけで、沈黙のうちに、あるいは一言で、人々の心の奥深くに触れることができたのです。それは今日でも世界の数多くの「ヴァルドッコ」で起きています。ドン・ボスコの大いなる心についての小さな出来事を私は思い出します。ヴァルドッコで長年ドン・ボスコと共に過ごしたサレジオ会員アレッサンドロ・ルケッリ神父が、聖人が亡くなってから数年後に話してくれたことです。1884年、トリノのヴァルドッコのオラトリオでは規律がとても厳しくなっていました。サレジオの伝統には反することでした。そこに住んでいたドン・ボスコ自身、悲しい気持ちでいくつかの事例を目にしていました。有名な「ローマからの手紙」はそうした彼の心配を物語るものです。ドン・アレッサンドロによると、「ある日、私は自習室に上ってゆくため行列を作って待っている少年たちを見張る役目をしていました。私は厳しい目つきといささか威圧的な態度で彼らの列が乱れないようにしていました。そのときドン・ボスコが通りかかり、私の肩に手を置いて言いました。『放っておきなさい』。ドン・ボスコは列が好きではありませんでした。少年たちの人数が増えて他に方法がないときだけ、やむを得ず我慢して列に並ばせていました」。

 これは、家庭や家族そしてサレジオの家の若者たちのことを、どのように小さなことでも気にかけてくれる父親の心を私たちに示す数多くの証しの一つに過ぎません。アレッポでそうであるように、シエラレオネで、ガーナで、コロンビアのドン・ボスコの町で、エチオピアで、ドイツのサレジオの家に迎え入れられた難民の少年たちの中で……さらに何百ものケースを加えることができるでしょう。

 アレッポのムニール神父と共に、私は次のメッセージを今日皆様に送ります。ドン・ボスコは生きている! 世界中のサレジオの家の日常に、世界中の彼の息子たち、修道者たち、信徒たちの情熱的な献身の中に。「今日のドン・ボスコである」ために何事も厭わない彼らの生活の単純さの中に。