東日本大震災被災地ボランティア@塩釜(6/11-14)後編
東日本大震災被災地ボランティア@塩釜(6/11-14)後編
雨宮泰紀神父
翌日13日(土)、朝6時半からミサ(写真⑨)。シスター、信徒の方々の他、信者ではないボランティアの方も出席されて、小さな部屋に椅子+正座で12人のミサになりました。大きな苦しみと悲しみの場面に直面しているのに、どうして私たちは「神」なるものに向かおうとするのか。某雑誌緊急増刊号には「ヒト殺しの神だけが生き残る無法地に氷雨」という言葉がありました。確かに「こんなことが起こるなんて、神は本当にいるのか?」という言葉が叫ばれても仕方がないと思うほど、悲惨な現場です。なのに、どうしていつもより神を近く感じるのか。長い間教会を離れていた人が、なぜミサの中で祝福をいただこうとするのか。不思議な、そして聖なる時空が存在しているような気がします。
塩釜の港から1時間半ほど船に乗って浦戸諸島の朴島に向かいました。船上では、作業全体を仕切っている蒲池さんが既に3週間ほど「餌付け」したカモメたちが船の「伴走」をしていました(写真⑩⑪)。このカモメたちにも、3ヶ月前にこの場所を襲ったこの海にも、全く違った時間が流れているようでした。
現地に入り、まず民家の側溝の泥出しの作業と船着場に近い所にある側溝の泥出しをしました。後者の泥はまさにヘドロ、東松島で作業したときはかなり砂地のものでしたが、今回は本当に真っ黒で強烈な臭いを発する正真正銘のヘドロでした。蒲池さんのリーダーシップのもと、声を掛け合って作業を進めます。その日の分かち合いでも出た話ですが、このカリタスジャパンのボランティアの良さは、「チームで働く」ことだと思います。「自己完結型」がキーワードの今回の震災ボランティアですが、ボランティアが本来の意味での力を発揮するのは、一人ひとりが各自の健康・安全管理をしっかり行いながら、それでいてお互いのニーズに敏感に気づき合いつつ、リーダーシップをリスぺクトして、チームとネットワークで働く時だと思います。この「チームワーク」がある、共同体性があるのがカリタスジャパンのボランティアの特徴であり、強みであると思いました。
昼食は船着場で、朝握ってきたおにぎりと魚の缶詰(写真⑫)。束の間の休憩がこんなに心地よいとは。思わず鉄板入の長靴を脱いで、仰向けに寝転びました。御陰で変な日焼けになってしまいましたが。
満潮時と大潮が重なり、あっという間に作業をしていた場所が海水で一杯になり、午後の作業は1時間弱で終了。自然の摂理にはかないません。でも、翌日来るボランティアにはつなげる作業が出来たと思います。
1時間半の船での移動後ベースに戻り、蒲池さんの案内で、七ヶ浜の津波の現場を見に行きました。この景色も凄まじいものでした。恐らく農地は後回しになっているのかもしれません。まるで3か月前のままかのような現場がありました。またいわゆるビーチに面する住宅やアスファルトは、その砂地の上に建てた故に津波の海水に侵食され、見るも無残な状態でした(写真⑬)。同じビーチには仙台港から流れ着いた大きなコンテナが沢山打ち上げられ、私たちとはまるで無関係に打ち寄せては引いていく波によって、半分以上砂地に埋まっていました(写真⑭)。そして津波によって破壊され撤去された様々なものを山積みにした場所を見ました。ありえないほど大きな山、どうやってあの上にブルドーザーなどの重機が登れるのだろうかと思うほどでした。そして、それと反対側の車窓には、本当に通常通りの生活を送っているように見える町が見えました。そのギャップにしばしば混乱しました。そしてそこで生活されている方々は、その混乱をどのように胸に抱いて生活されているのだろうと思いました。
翌日14日(火)、島に渡っていくボランティアのメンバーを見送ってから、近くの甘納豆の工場を少し見学しました(写真⑮)。もう日本には一つしかない、本物の石窯で煮る甘納豆を作っておられました。販売所は被災されましたが工場は大丈夫だったそうです。その日は浅草と銀座に出すもの、とのことでした。本当にいい香り、「この旨みは機械では絶対に出ない」という逸品。東京に戻ってから食べてみましたが、全くそのとおり。本当に美味しい甘納豆でした。近々日比谷公園でも販売されるとのことでした。
その後、スタッフにお礼を述べてベースを後にし(写真⑯)、サポートセンターにて報告して、仙台城を見学(写真⑰)、牛たんランチを頂いて帰京しました。これは私見ですが、初めてボランティアされる方には、帰宅後通常の生活に戻るために、ギリギリまで作業するよりも少し余裕をもったスケジュールをお薦めします。想像以上に心が疲れています。体力はまだ行ける!と思っても、震災の現場に立つだけで相当の精神力を使っています。実際帰りの車の中で、今回初めての田中さんもしばしボーっとしていて、「大丈夫?」と声をかけると、「石巻の光景が焼き付いて離れない」と言っていました。この点に関しては、自分自身を労わったほうがいいと思います。
3人で軽い夕食をしながら、今回のことをいろいろとたくさん話し合いました。今の気持ち、自分たちのボランティアについて、復興の意味についてなど・・・結論が出たわけではありませんが、「もう一度行きたい」という強い気持ちは同じでした。
お世話になった方々、特に深川先生、蒲池さんはじめ、ベースのスタッフの皆さんに心から感謝いたします。また、一期一会になるかもしれない一緒に作業した仲間と現地の方々にも心から感謝したいと思います。そして、この機会を与えてくださった神に感謝を捧げたいと思います。