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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

山野内管区長「夢と信念、助け合う開かれた家族」


 

「ドン・ボスコの風」No.19(2017年7月)
 特集「”家庭”は命と愛の学び舎」のインタビュー記事より再掲
http://salesio.jp/wp-content/uploads/2017/08/Donbosco_no_kaze_No19.pdf

 

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母セシリア美智子(中央)と一緒に。左はアンヘル山野内公司(ひとし)神父、右はマリオ山野内倫昭(みちあき)神父。2016年、カトリック浜松教会にて。

 


夢と信念、助け合う開かれた家族

サレジオ会日本管区長 マリオ山野内倫昭神父

移住──家族の大きな冒険

 両親は30代の時、私たち5人の息子を連れてアルゼンチンに移住しました。「アルゼンチンはカトリックの国だから」という理由です。子どもはすぐ友達ができて、遊ぶ原っぱもたくさんあるし、家の仕事を手伝ったりと、いい環境でした。ところが、人びとはあまり教会に行かないし、教育も熱心でなく、盗難も多い。他に日本人家族はなく、言葉もうまく話せず、想像を絶するような苦労をしたと思います。アルゼンチンでさらに4人の息子が生まれ、10人目に娘が生まれましたが半年で他界しました。

大きな夢をもつ父

 父レナート誠一は大きな夢をもつ人でした。たくさんの子どもを産み育て、新しい 土地に神を伝え広めるという夢です。父は悩み多い20代の時に教会に行くようになり、体調を崩して入院した病院のシスターの勧めでカトリックの洗礼を受けました。母も父の勧めで結婚する前に洗礼を受けました。夫婦で子だくさんの家庭を築き、一緒に聖書にある神の言葉に従って歩めば、道は開けると信じたのでしょう。父は無口で頑固な人でしたが、信仰・信念をしっかりもつ人で、移住した村の人たちから大事な仲間として受け入れられ、尊敬されました。

付き合い上手な母

 母セシリア美智子は付き合い上手な人でした。両親が小さな食料品店を始めると、毎日村の人たちが訪れ、たくさんの友達ができました。裕福な家もあれば、貧しい家や物乞いをする人、複雑な事情を抱えた家庭もありましたが、皆が親しい仲間でした。母は貧しい人のために3度の食事を作り、毎週パンを10kg以上も焼いていました。逆に私たちが困った時や病院に行く時は、村の人たちが家族のように世話をしてくれました。

家族一緒に必死で祈る

 私が12歳のある日、父が50km離れた街に荷物を届けるため自転車で出かけました。夜になって母と私が家の前の国道で父の帰りを待っていると、救急車が街に向かって走っていったので、母は「この人のために祈ろうね」と言って一緒に祈りました。しばらくすると村の警察署長が飛んで来て「お父さんが車にはねられて救急車で運ばれた」と。母は幼い弟たちのために家に残って、長男の私が街の病院に行くことになりました。村の警察署で彼らの手料理を食べさせてくれて、バスで街に到着したのは深夜でした。バス停では街のサレジオ会の院長と村出身の神父様が待っていてくれました。父は数日間意識がありませんでしたが徐々に回復し、私はサレジオ会の学校の食堂で食事を世話してもらいながら、約3週間病院に寝泊まりして看病しました。父はこの入院で深刻な糖尿病であることもわかりました。

 当時まだ母は30代、5人の子どもを抱えてこの先どうやって生きていけばよいのか、すべておしまい、日本に帰ろうかと落ち込みましたが、子どもたちと一緒にひざまずいて聖母マリアにロザリオの祈りを唱え終わると、母は「もう大丈夫」と。前向きになった母を見て、子どもたちも安心しました。母は父がしていた街への行商も始めました。

神が家族を導いてくださる

 私がサレジオ会の神学校に入り、休暇で帰省した時のこと、母は20歳を過ぎた私に、家庭生活の苦しさを話してくれました。たくさんの子どもを抱え、言葉に不自由し、電気もなく、生活も商売も苦しく、夫に辛いと相談しても取り合ってもらえず、子育ての考え方も一致しない。もう夫と別れたほうがいいと考えたこともあったと。でも夫を信じたのは、夫が神を信じる人だったからだと。たとえ夫が間違ったとしても、神様はこの家族を正しく導いてくださると母は確信していました。

マンマ・マルゲリータのように

 2004年に父が他界し、母は翌年ドン・ボスコの母マルゲリータのように第2の故郷を出て、息子たちが働く日本へ再びやって来ました。浜松で滞日外国人のために働いて多忙な比嘉エヴァリスト神父(2016 年ブラジルに帰国)と山野内アンヘル神父の身の回りのことを助け、教会に来る外国人たちの話を母のように親身になって聞いています。

 9人の息子たちは今、3人がサレジオ会の神父として働き(うち2人は日本で、1人 はアルゼンチンで)、3人が地元サンホアンで山野内家の植木屋を継ぎ、3人がアルゼ ンチン各地で暮らしています。皆、夢をもつ父と、付き合い上手な母の影響を受けているようです。


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父レナート誠一と一緒に、左から次男のアンヘル公司(ひとし)、三男のフィデル良信、長男のマリオ倫昭(みちあき)。1964年、アルゼンチンに移住した時のパスポート写真。3人ともサレジオ会司祭になった。

 

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父レナート誠一(左)と母セシリア美智子。1987年、アルゼンチンのコルドバで、次男のアンヘル公司(ひとし)と三男のフィデル良信の司祭叙階式の時。

 

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母セシリア美智子を囲む山野内9人兄弟。2004年、父レナート誠一の追悼ミサのためアルゼンチンのサンホアンに集った時。