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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

ドン・ボスコはアフリカで生きている



エボラ出血熱に苦しむ人々のために

 1854年、イタリアのトリノは、コレラの流行によって多くの犠牲者を出した。特に、誕生してまもないサレジオ会のオラトリオ(子どもたちが学び、遊ぶセンター)のあった郊外の貧しい地域は大きな打撃を受けた。そのときドン・ボスコは、感染の恐れから取り残されてしまった病人を助けようと青年たちに呼びかけ、多くの若者が応えた。扶助者聖母の保護のもと、青年たちは一人も感染しなかった。今、リベリアの首都モンロビアで、キリスト教徒とイスラム教徒の5人の若者が「ドメニコ・サビオとドン・ボスコ」というグループを立ち上げ、エボラ出血熱の予防のために働いている。
 グループのリーダー、ヨセファトと4人の友人たちは異なる宗教を持ちながらサレジオの精神のうちに一致し、最も助けを必要とする人、貧しい人、見捨てられた人を救い、その健康を守りたいという願いから行動している。「コレラが流行したときにドン・ボスコがしたことを、ぼくたちも今、できると思うんです。」ヨセファトはワッツァップ・メッセンジャーを通してナイジェリアのサレジオ会員に語った。
 ヨセファトたちの前に立ちはだかった最初の問題は、首都から3時間半かかる村へ行くために、車の運転手を説得することだった。その村では、ある6人家族が全員、エボラ・ウィルスのために亡くなっていた。大きな額の謝礼を運転手に払い、ようやくその村にたどり着けた。
 グループは、保健省が広めようとしている基本的な予防知識を人々に伝えている。農村部では電気もテレビもなく、情報が伝わらず、命がけで必要な情報を伝えようとする人もいない。
 「ドメニコ・サビオとドン・ボスコ」は村の市場や家々を一軒一軒回り、ちらしやポスターを配り、予防について説明、手袋や長袖シャツ、塩素系消毒座を配布している。
 差し迫って広めなければならない情報は、病気末期の患者と亡くなった人の遺体は感染性が非常に高いということ。これは人々にとって悩ましい問題である。死者を弔う伝統、家族への愛情のため、情報がなければ無防備に感染してしまう……また、日々、生きていくために、食料を手に入れに市場へ、仕事へと出かけなければならない。
 ヨセファトと仲間たちは必要な物資や交通手段を手に入れるため、ドン・ボスコがしたのと同じことをしている:家々を回り、人々が余分に持っているものをもらい受け、農村部のための支援を町の人々から募っている。しばしば、恐れが人々の心を閉ざさせている。ナイジェリアの友人たちも、ヨセファトの活動のために支援を集めている。
 「ドメニコ・サビオとドン・ボスコ」は、情報提供、予防、心を開くこと、この3つに取り組んでいる。恐れが死をもたらすことも起きているからである。ヨセファトの近所の女性は、マラリアで亡くなった。エボラ出血熱の初期症状がマラリアと似ているため、皆が彼女に対して扉を閉ざし、女性は適切な世話を受けられなかったのである。
 病人の世話をする人々の死亡率が最も高いことを指摘し、無謀なことをしないようヨセファトたちに忠告する人、ナイジェリアに帰るよう勧める人もいる。ヨセファトはこのように答える。「でもそれは神様を裏切ることのように感じます。これが一生のあいだでぼくが差し出すことのできる唯一の愛の奉仕だったとしても、喜んで最後までやりとげたいです。神様はいのちと健康をくださった。人に仕えるためにそれを使うべきではないでしょうか。」
 いのちと健康の価値とは何だろう? 恐れから来る安全と孤立は、ほかのすべてを犠牲にして守るべき“絶対的な価値”なのだろうか?
 8月16日、ドン・ボスコ生誕200周年の祝いが始まった。ヨセファトと仲間たちは、ドン・ボスコがアフリカの顔となったことをあかししている。

(ANS – リベリア・モンロビア 2014年8月7日)
http://www.infoans.org/1.asp?sez=1&sotSez=13&doc=11181&lingua=2