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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

シエラレオネ 傷痕を恥じ、聖人になる夢を抱く若者


 

 将来、ストリートチルドレンを助けるために学びたいと語るラミン

 

(ANS – 2019年1月15日 シエラレオネ・フリータウン)

http://www.infoans.org/en/sections/news/item/7132-sierra-leone-lamin-the-young-man-who-is-ashamed-of-his-scars-but-wants-to-become-a-saint

 

 ラミンは「ドン・ボスコ・ファンブル」として知られるNGO、サレジオの家に暮らす21歳の若者。この家は多くの路上生活をする子どもたちを受け入れ、家庭的な愛情のある環境で新たに生活を始められるよう支援している。

 ラミンはある日、院長の執務室に現れた。非常に取り乱した様子の彼は単刀直入に打ち明けた。頭や腕の傷のこと、そして入れ墨のことが心配なのだと。それは彼の恥ずべき過去を、彼自身に、そして周囲の人びとに思い起こさせる傷だった。

 両親を亡くしたラミンは、幼いころからシエラレオネの首都、フリータウンの路上で生活し、気転を利かせて自分の力で生き延びることをおぼえた。はじめは物乞いをし、やがて盗みを働くようになった。酒、マリファナ、コカイン、買春など、あらゆることを経験した。パデンバ刑務所で2年服役し、出所したとき、ドン・ボスコ・ファンブルに助けを求めたが、誘惑に負け、路上の世界に戻ってしまった。

 再び逮捕されたとき再犯だったため、シエラレオネのやり方で「刻印」を押された。彼らはラミンの腕や指は折らなかったが、頭と腕をなたで切りつけ、また一生足をひきずるようにと、アキレス腱を切った。傷痕は「捕らえられたどろぼう」という、生涯消えない刻印を押すものだった。ラミンは自分がどん底に落ちたとわかった。そのことを認めた彼は、回復、更生、癒やしの旅を歩き始める。

 ドン・ボスコ・ファンブルの院長は彼に言った。彼の栄光はその傷にある、恥じてはいけないと。傷を隠してはいけない。「その傷痕は、回復する君の力と共に、どんなに低く落ちたとしても、人生は必ずやり直せることを示すものだ」と。

 ラミンの人生は、限界を乗り越えることを教えてくれる。彼はもうすぐ中等学校を卒業し、ソーシャルワークの勉強をしたいと思っている。将来、ストリートチルドレンを助けるためだ。今、ラミンは言う。「僕は聖人になりたい!」 彼の強い決意はドン・ボスコ・ファンブルの院長、ホルヘ・クリサフッリ神父さえ驚かせた。ラミンの抱く理想は、ようやく苦しみに満ちた過去を光で照らし、彼の人生は新たな方向づけと新たな意味を見いだした。

 自分を現代の聖人だと思うかと、あるジャーナリストに尋ねられたネルソン・マンデラは答えている。「あきらめずに努力する、決してリングにタオルを投げ込まない罪人を聖人というなら、そう、私は聖人だ」。ラミンはあきらめない。