ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族への教皇フランシスコの手紙(6月24日)


 

 2015年6月21日、教皇フランシスコはイタリア・トリノを訪問。サレジオ会事業発祥の地ヴァルドッコにある扶助者聖マリア大聖堂で、サレジオ家族と分かち合いのひとときを過ごされました。教皇はドン・ボスコの墓の前で祈った後、30分以上にわたり自らのサレジオ的ルーツやサレジオ家族へのメッセージを親しく語られました。(当ホームページ 7月28日の記事参照

 この時に、教皇フランシスコは、サレジオ会のフェルナンデス総長とサレジオ家族に宛てた手紙を渡されました。その全文を掲載します。

※イタリア語、英語は、下記リンクからダウンロードできます。
2015.6.24教皇フランシスコのサレジオ家族への手紙(イタリア語)

2015.6.24教皇フランシスコのサレジオ家族への手紙(英語)

  * * * *

 

ドン・ボスコのように、若者と共に、若者のために

 

  教皇フランシスコの手紙

 

            聖ヨハネ・ボスコ生誕200周年にあたり

  サレジオ会総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父様

 

 聖ヨハネ・ボスコの記憶は教会の中に息づいています。ドン・ボスコは、サレジオ修道会、サレジアン・シスターズ、サレジアニ・コオペラトーリ、扶助者聖マリアの会の創立者として、そして現在のサレジオ家族の父として思い起こされます。ドン・ボスコはまた、教会の中で、聖なる教育者、若者の牧者として、若者のための聖性の道を開き、ひとつの霊性でもある教育法を差し出し、現代のためのカリスマを聖霊から受けた人として記憶されます。

 

 ドン・ボスコの生誕200周年にあたり、創立者の遺骸の眠るトリノの扶助者聖マリア大聖堂に集ったサレジオ家族と出会うという喜びの機会を、私は得ました。このメッセージを通して、再び皆さんとご一緒に神に感謝し、同時に、ドン・ボスコの霊的、司牧的遺産の本質的側面を思い起こし、勇気をもってこれを生きるよう、皆さんに勧めたいと思います。

 

 イタリアも、ヨーロッパや世界も、この200年のあいだに大きく変化しましたが、若者の魂は変わりません:今日も、少年少女たちは、人生に、神と人との出会いに開かれています。しかし、実に多くの若者が、失望、霊的無気力、疎外にさらされています。

 

 ドン・ボスコはまず私たちに、何もせずに傍観するのではなく、若者たちに全人的な教育体験を提供することによって、前線に身を置くようにと教えてくれます。その全人的教育の体験は、宗教的次元にしっかりと立脚し、神に創造され、愛されている人として常にとらえられる若者の精神、感情、人格全体に影響を及ぼすものです。それは、真に人間的な、キリスト者のための教育、予防と、さまざまな人を受け入れるための配慮によって活気づけられる教育へと至らせます。特に労働者層と社会の中で疎外されているグループの子どもたちへの関心であり、その子どもたちに、善いキリスト者、誠実な市民となるため、教育と職業訓練の機会を提供します。ドン・ボスコは、人の道、市民としての生き方、文化を若者に教育することによって、幸福、勉学、祈り、言葉を換えれば、仕事、信仰、徳を合わせた独自の人間観に従いながら、人々と市民社会の善益のために働きました。このプロセスのなくてはならない部分は、一人ひとりの召命の成長です。主が呼ばれる、教会における具体的な生き方を、一人ひとりが歩み出せるようになるためです。ドン・ボスコが自らのモットーDa mihi animsに集約したこの幅広く要求の高い教育のビジョンは、私たちが今日、「福音化することによって教育し、教育することによって福音化する」(聖職者省, 要理教育のための一般的指導書[1997年8月15日], n.147)という言葉で表現するものを達成しました。

 

 ドン・ボスコの教育に特有の特徴は、慈愛です。それは、表現され、感じ取られる愛であり、心にかけること、愛情、理解、相手の生活・人生に関わることに表れるものとして理解されます。ドン・ボスコによれば、教育の体験的プロセスにおいて、愛するだけでは十分ではなく、愛は、具体的で効果的な表現のうちに表されなければなりません。この慈愛のおかげで、サレジオの環境に置かれた実に多くの子ども、青少年が、充実した、穏やかな情緒的成長を体験してきました。その成長が子どもの人格形成のため、また人生の旅路において、非常に価値あるものであることが明らかになっています。

 

 この枠組みの中に、ドン・ボスコの教育法のそのほかの顕著な特徴があります:家庭的環境;若者の父、先生、友としての教育者の存在。それは、サレジオ教育の有名な言葉、アッシステンテが伝えるものです;喜びと祝いの雰囲気;歌や音楽、芝居のために盛んに場が設けられていること;運動場、遊び、スポーツ、遠足の大切さ、などです。

 

 私たちは、ドン・ボスコの人柄の際立った面について、次のように総合して言うことができるでしょう:ドン・ボスコは、霊魂の救いのために身をささげるなかで、神に自分自身を全面的に明け渡して生き、神と青少年への忠実を、一つの同じ愛の行いのうちに生きた、と。これらの姿勢によってドン・ボスコは、“出かけて行き”、勇気ある決断を行うように導かれました:貧しい人々による貧しい人々のための幅広い運動を起こすことを目指し、貧しい若者のために献身するという決断;そして、ドン・ボスコの疲れを知らない宣教への強い促しのおかげで、言語、人種、文化、宗教の境界を超えてこの奉仕を広げるという決断です。ドン・ボスコはこの事業を、出会い同伴する一人ひとりを喜びのうちに受け入れ、親身に心をかけるスタイルを通して実現しました。

 

 ドン・ボスコは、聖マリア・ドメニカ・マザレロの、また信徒の人々の協力を引き出すことができました。そうして、ドン・ボスコの遺産を受け取り発展させてきた、サレジオ家族という大きな木が生まれました。

 

 端的に言えば、ドン・ボスコは青少年の救いへの大いなる情熱を生き、教会との、特に教皇との深い交わりのうちに、イエス・キリストの信頼できるあかし人、その福音の卓越した使者として現れました。ドン・ボスコは、絶えず祈りと神との一致のうちに生き、無原罪のおとめ、キリスト者の扶けと呼んだ聖母への揺るぎなく優しい信心を持っていました;ドン・ボスコは、神秘体験と、少年たちのための奇跡の賜物を与えられました。

 

 今日もサレジオ家族は、教育と宣教事業の新たな前線へと開かれています。広報の新たな手段が示す道、また発展途上国で、あるいは移住者の多い場所で、さまざまな宗教を持つ人々の中で多文化の交わりの教育が示す道を、たどっています。19世紀トリノの挑戦は、グローバルな次元を持つようになりました:お金の崇拝、暴力を生みだす不平等、イデオロギーが蔓延し多くの人の心を支配したことや、都会という環境の中で生じる文化的な挑戦などです。ある側面は、例えばインターネットの普及など、若者の世界により直接的に関連します。したがってそれらは、ドン・ボスコの息子、娘である皆さんに挑戦を投げかけるものです。皆さんは、それに応えるべく働き、危機的状況の中で、さまざまな痛みと共に、聖霊が触発されるさまざまな手段・資源にも心をとめるよう、呼ばれているからです。

 

 サレジオ家族として皆さんは、若者たちの中で、特に辺縁の場peripheriesにある若者たちの中で使徒職に献身するとき、皆さんのカリスマに特徴的な創造力を、教育機関の中で、またその壁を超えて、再び生き生きと発揮するよう呼ばれています。

 

 「伝統的なやり方で行われる青少年司牧も、社会の変化の荒波を受けました。若者は、自分たちの心にかかっていること、必要、悩み、痛みなどへの答えを、通常の構造の中に見いだせずにいることが多いのです。彼らの心にかかっていること、求めていることを理解するために、そして彼らに理解できる言葉で語りかけるために、忍耐強く耳を傾けることを、私たち大人は難しく感じています。」(使徒的勧告『福音の喜び』105)教育者として、また共同体として、若者たちの旅を共に歩むようにしましょう、若者たちが、あらゆる通りや広場、地上の隅々にイエスをもたらす喜びを感じるように(同106参照)。

 

 若者の深い希求を落胆させることがないように、ドン・ボスコが皆さんを助けてくださいますように:その希求とは、生きること、心を開くこと、喜び、自由、そして未来;より正義にかなう、兄弟愛のある世界を築くため、すべての民族の発展向上を育むために、自然と生活環境を守るために、共に働きたいという若者たちの願いです。皆さんはドン・ボスコの模範に倣い、恵みのうちに生きること、すなわちキリストとの友情のうちにあって、はじめて人は最も真正な理想に到達するということを体験できるよう、若者を助けるでしょう。皆さんは、若者たちが大事な決断をするとき、あるいは複雑な現実を解釈しようとするとき、信仰、文化、生活の統合を探求する彼らの歩みに同伴する喜びを得るでしょう。

 

 特に、若者の置かれている現実を識別することから浮かび上がる2つの任務を指摘したいと思います:一つめは、キリスト教的人間論に則して、広報の新たな手段とソーシャル・ネットワークの言語を教育することです。この言語は、若者の文化と価値の体系を、したがって、人間や宗教という現実に対する若者たちの見方を、深く形づくっています。二つめは、社会に貢献するボランティアのさまざまな形を促進することです。人間の尊厳や仕事の価値よりも市場しじょうや生産性を上に置くようなイデオロギーに任せ、あきらめてしまうことがないように。

 

 福音宣教する教育者であることは、自然と恵みの賜物ですが、養成、勉学、省察、祈り、修徳の成果でもあります。ドン・ボスコは若者たちによく言っていました:「わたしは君たちのために学び、君たちのために働き、君たちのために生き、君たちのために命さえ捨てる覚悟がある。」(サレジオ会会憲第14条)

 

 今日、かつてないほどに、教皇ベネディクト十六世がしばしば「教育の緊急事態」(参照2008年1月21日, ローマ教区とローマ市民への手紙, 若者の教育という緊急な務めについて)と表現された状況を前にして、私はサレジオ家族を招きます。世界のさまざまな大陸で、青少年に奉仕する皆さんの多様なカリスマをもって前進するために、教会の、また一般のさまざまな組織との、教育のための効果的な連携を促進してください。特に、若者たちの家庭の参加を巻き込むことが不可欠であることを思い起こしてください。実に、良い家庭司牧なしに、効果的な青少年司牧もありえません。

 

 サレジオ会員は、多くの人間関係や務めのただ中で、常に、初めて告げられる福音を響かせる教育者です。それは、直接的な形であれ、あるいは間接的な形であれ、決して不在であってはならない良い知らせです:「イエス・キリストはあなたを愛し、あなたを救うためにいのちをささげました。キリストは今なお生きておられ、日々あなたのそばであなたを照らし、力づけ、解放してくださいます」(使徒的勧告『福音の喜び』164)。ドン・ボスコの忠実な弟子であるために、皆さんは、ドン・ボスコの生涯にわたる取り組みであったカテケジスを選ぶことを、新福音宣教の使命(同160‐175参照)の中でそれを理解しながら、新たにするよう求められます。この福音化するカテケジスは、サレジオの学校・施設において名誉ある地位にふさわしいものであり、神学と教育学における優れた力量をもって、また教育者の透明性あるあかしをもって実施されなければなりません。それは、神のみ言葉に耳を傾けること、秘跡にたびたびあずかること、特にゆるしの秘跡と聖体にあずかること、そして聖母マリアとの子としての絆を含む歩みの過程を必要とします。

 

 愛するサレジオの兄弟姉妹の皆さん、ドン・ボスコは、キリスト教信仰に幸せの源があるとあかしします。それは愛の福音だからです。喜びと祝いがその一貫性と継続性を見いだすのは、皆さんのサレジオの教育活動においてもそうですが、この源泉からなのです。「私たちは、人間を超えるものになるとき、十全な人間となります。私たちの存在の最も十全な真理に到達するため、神にゆだねて自分の限界を超えるよう運んでいただくときに。ここに私たちは、福音宣教のためのあらゆる働きの源泉とインスピレーションを見いだすのです。」(使徒的勧告『福音の喜び』8)

 

 教会は、若者の司牧に関して大きな期待を抱いています;聖霊が聖ヨハネ・ボスコに与えたカリスマも、大いなるものです。このカリスマは、あらゆる大陸の若者への情熱的献身をもって、そして数多くの司祭、修道者、信徒の召命を花開かせながら、サレジオ家族によって担われ発展してきました。そのため、皆さんの創立者、父の遺産を取り上げるようにと、皆さんを心から励ましたいと思います。ドン・ボスコが、考え、言葉、行いにおいて自らのものとした福音の徹底した生き方をもって、ふさわしい有能さと惜しみない奉仕の精神をもって、ドン・ボスコのように、若者と共に、若者のために

 

2015年6月24日

洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日

バチカンにて

 

150728_ph01_news

SS Papa Francesco Visita Pastorale a Torino 21-06-2015 @Servizio Fotografico - L'Osservatore Romano

SS Papa Francesco Visita Pastorale a Torino 21-06-2015
@Servizio Fotografico – L’Osservatore Romano