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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

エチオピア 貧困が招いた悲劇 ゴミ山崩壊で死者多数


 

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(ANS – 2017年3月16日 エチオピア・アジスアベバ)
http://www.infoans.org/en/sections/news/item/2871-ethiopia-swamped-under-rubbish-a-tragedy-of-poverty

 アジスアベバ郊外の「コシェ」と呼ばれる巨大なゴミ捨て場には、木材と泥で、運の良い住人のものは金属板で出来た何百もの小屋が林立し、ここで何百もの人々が日々暮らしている。3月11日、轟音とともにゴミの山が崩壊し、巻き込まれた百人以上が亡くなった。その多くは女性や子ども、中には地元のサレジオの学校に通う生徒もいた。ゴミの山は、住人の多くにとって主要な収入源である。修理し、再利用し、売ることのできるものを見つけるのだ。

 コシェとは、土地の言葉、アマリク語で「塵(ちり)」の意。40年以上にわたり、アジスアベバのゴミが年に3千トン捨てられてきた。すでに2010年、ゴミの山が拡大、住居や学校に接近していたため、市当局は警告を発していた。市のスポークスマンによると、「悲劇の再発を防ぐため、この地区に住む人々はほかの地区に移された」とのこと。

 サレジオ会は悲劇の起きた地区でNGO, VIS(サレジオ国際ボランティア)と協力して働いている。生徒たちの中に犠牲者の出たサレジオの学校は数日間休校となった。悲しみの癒えない中、捜索が続いたからである。

 エチオピアのVISのプロジェクト・マネージャー、ジャコモ・スピガレッリはバチカン・ラジオで次のように伝えた。「この悲劇は大きな傷跡を残しました。残念ながら、またもやいちばん打撃を受けたのは最も弱い人々、子どもや女性だからです。ゴミ溜めで働いていたのは、主に女性や子どもたちだったのです。」

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エチオピア メカニッサのドン・ボスコ・センター、7人の生徒を悼む

(ANS – 2017年3月20日 エチオピア・アジスアベバ)
http://www.infoans.org/en/sections/news/item/2889-ethiopia-don-bosco-centre-of-mekanissa-mourns-the-death-of-seven-of-its-pupils

 3月20日までに確認されたコシェのゴミの山崩壊による115人の犠牲者の中に、首都アジスアベバ郊外、メカニッサのドン・ボスコ・センターの7人の生徒たちが含まれていた。センターの教育共同体全体が悲しみに包まれたこの悲劇を受け、エチオピア政府は全国民が3日間喪に服すことを宣言した。

 亡くなった7人のうち2人はドナート・ガレッタ修道士の運営する給食プログラムを受けていた。ほか小学生1人、中学生2人、高校生2人が犠牲となった。さらにセンター・スタッフの1人は両親や親せきを含む家族全員を亡くし、独り取り残された。

 3月17日、サレジオの学校のキャンパスで犠牲者の追悼式が行われ、2千人以上の生徒と教育共同体全体が集い、沈黙のうちにろうそくと花束をささげ、仲間たちに最後の別れを告げた。

 メカニッサのドン・ボスコ・センターはコシェとコレの地区に暮らす貧しく疎外された人々に奉仕するため、約18年前にアジスアベバ郊外で活動を始めた。サレジオ会はスイス、ルガーノのピエル・ジャコモ・グランパ名誉司教の協力を得て、3月1日に新たな管理棟をセンターに開設したばかりだった。

 コシェのゴミ廃棄場はエチオピアで最大。日々の糧を求め、その周りに何百もの人々が住みついていた。昨年、市当局によって閉鎖され、住人は別のゴミ廃棄場に移るよう求められていた。しかし、新たなゴミ廃棄場の近隣住民の反対を受け、市は方針を撤回していた。