EAO ボナノッテ 80:聖性は自らの務めを喜んで果たすことにかかっている
(BoscoLink – 2020年11月1日 ベトナム ホーチミン・シティ)
https://www.bosco.link/buonanotte/64401
〈日本語訳〉
管区長、会員の皆様、サレジオ家族、友人の皆様、
教会の福音宣教のために祈る10月を私たちは締めくくりました。ウランバートルから40キロ離れた所にある村、シュウゥに小さな聖堂を完成させた、東アジア・オセアニア地域に所属するモンゴル委任地区の兄弟たちに、お祝いを申し上げます。サレジオ会員たちは、その町で種を蒔き、初代キリスト者共同体を成長させることができました。私は数年前、この村の小さな部屋で5、6名の信徒、数名の求道者と共に、主日のミサをささげる機会がありました。今日、共同体は、76人の信徒を擁するまでに成長しています。この宣教地のサレジオ会宣教師たちの上に神の祝福をありありと見ることができます。宣教師たちは、信仰を養い、遊牧民の人々のうちにサレジオのカリスマを文化受容させるため、労苦してきました。実に、宣教師たちは、非常に多くの困難、極寒の気候、言葉の壁を乗り越えるため、大変な努力をしています。モンゴル語は最も難しい言語の一つです。外国語を二か国以上話せる人でさえ、とても苦労します。
そして、私たちは11月に入りました。今月、教会は、天のキリスト者の栄光を祝い、煉獄の人々のために祈ります。
世の終わり、私たちの最終的な目的地に目を向け、仰ぐこの雰囲気のなか、私たちは、それぞれの人生の道で聖性において成長するよう招かれています。
サレジオの聖フランシスコが400年前に教えてくれたサレジオの霊性の学び舎で養成され、そこに暮らすことのできる私たちは幸いです。聖フランシスコ・サレジオは貴重な論説を残してくれました。『信心生活入門』で、洗礼を受けたすべての人が日常生活の中で聖性に招かれていることを聖フランシスコは強調しています。この教えは聖人の霊的家族によって広められています。ドン・ボスコは、聖フランシスコ・サレジオの霊的弟子の一人として豊かな賜物をいただき、若者のための自らの使命において、その教えを採り入れ実践しました。実際、ドン・ボスコは、サレジオ世界の普遍的なモットーのうちに、その教えを要約しています:「私たちにとって聖性は、自らの務めを喜んで果たすことにかかっている。」
第二バチカン公会議は、福音のこの招きを、教会憲章Lumen Gentiumの中で再確認しました。われらが聖ヨハネ・パウロ二世は、聖なる者になるという情熱を燃え立たせました。在位中に‐それまでの500年間に教皇たちが列聖した人数を合わせたよりも多い‐482人を列聖し、1,341人を列福したのです。パードレ・ピオ、マキシミリアノ・コルベ、エディット・シュタイン、ファウスティナ・コワルスカ、カタリナ・ドレクセルらです。教皇フランシスコは使徒的勧告『喜びに喜べ』で、祭壇の栄誉に浴している聖なる人々だけに目を向ける必要はないと呼びかけています。聖性は、聖霊によって神の民の上に豊かに注がれている、なぜなら、人々を聖なる者とし救うことは、神のみ心にかなっているからです。
実に、教皇フランシスコが説明するように、神は私たちをご自分に引き寄せられます。人間の共同体の複合的な人間関係の織物、大きな愛をもって子どもたちを育てる両親、家族を養うためにがんばって働く人々、病気の人、笑顔を絶やさない高齢の修道者、すべてをごらんになりながら。日々の堅忍のうちに、私は闘う教会の聖性を見ます。しばしば、それは私たちの隣人、私たちのただ中に暮らし、神の現存を映し出す人々の聖性です。「聖なる中流の人々」と呼んでもいいかもしれません。
これが、サレジオ霊性全体の究極の目標です。また、私たちが教育と福音宣教の使命を通してサレジオ霊性を広める道でもあります。
そこで、私たちは日々、自問しなければなりません:果たすことによって私が聖なる者になる、その務めとは何だろうか。それを果たすとき、喜びがあり、幸せだろうか、それとも悲しみがあるだろうか。
サレジオの聖人、福者、尊者、神の僕の生涯について読むとき、共通する二つの特徴を見いだします:神への愛と、他者への慈愛、共に暮らす人々、あるいは私たちが遣わされる対象である人々から始まる慈愛です。一日中、聖堂にいても、運動場にいても、祈りの時であれ、教室で教えている時であれ、事務所で、会社で働いている時、あるいは共同体や家庭で務めを果たしている時であれ、神への愛、他者への慈愛を生きることです。
管区長、会員の皆さん、サレジオ家族、友人の皆さん、
今月が、サレジオ霊性のうちに聖性において成長し、聖性の花が咲き誇る教会の庭に香りを加える実り豊かな月でありますように。神の祝福が皆さんの上にありますように。
EAO地域顧問 ヨセフ・グェン・ティン・フォック神父, SDB