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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

8月のサレジオ家族の聖人


8月にサレジオ家族の3人の福者を記念する。アウグスト・チャルトリスキー神父、シスター・マリア・トロンカッティFMA、セフェリーノ・ナムンクラである。

8月2日、福者アウグスト・チャルトリスキー


アウグスト・チャルトリスキーは1858年ポーランド王族の家に亡命中のパリで生まれました。5歳で母が亡くなり、父の頻繁な不在による少年期の心の空隙は、深い信心によって補われました。十代の多感な時期、後に聖人にあげられたカルメル会士カリノウスキーの指導を受け、多大な影響を受けたまし。1883年にパリを訪れたドン・ボスコと出会い、家族に反対されながらもサレジオ会入会を希望し、1887年に入会、1892年に司祭に叙階されました。1年の司祭生活の後、病に倒れ1893年に帰天。
2004年4月25日の列福式で、福者ヨハネ・パウロ二世は次のように語っています。
「アウグスト・チャルトリスキーは、神のご計画を識別するために、祈りのうちに、すべての疑問と心の奥にある戸惑いを神のみ前に差し出し、それから従順の精神のうちに霊的指導者たちの勧めに従いました。
親愛なる若い友人の皆さん、人生における神のご計画を理解し、聖性の道をたゆみなく歩むために、聖霊の光と賢明な導き手をくださるよう、祈りのうちに熱心に求めることを福者アウグストから学んでください。」

8月25日、福者マリア・トロンカッティ


マリアは1883年2月16日、イタリアのブレシアに生まれ、大家族の中で幸せな子ども時代をすごしました。小教区でのカテキズムの勉強に熱心に取り組み、秘跡にもよくあずかりました。成年に達するまでサレジアン・シスターズ入会を願い出るのを待った後、1908年にニッツァ・モンフェッラートで初誓願を宣立しました。第一次大戦(1915-18)中、マリアは軍病院で赤十字の一員として働きました。この体験は、後に役立つ貴重な体験となりました。1922年にマリアはエクアドルに派遣され、シュアール族の人々のために働くことになり、福音宣教の困難な仕事に取り組みました。マカス、セビジャ・ドン・ボスコ、スクアは、シスター・トロンカッティのもたらした「奇跡」の一部で、今なお盛況です。シュアールの女性のためのシスターの仕事は、今も何百ものシュアールのキリスト者の家庭のうちに実っています。若い夫婦が自由な選びによって築いた家庭です。シスター・マリアは1969年8月25日、スクアでの悲劇的な飛行機事故のため亡くなりました。
シスターのあかしの力は、その強い信仰から来るものでした。彼女はよく祈り、人々にも祈らせました。サレジオの伝統に従い、教皇への愛、司教と司祭たちへの大いなる尊敬の心をもっていました。

8月26日、福者セフェリーノ・ナムンクラ


セフェリーノは1886年8月26日、パタゴニアのアラウカンという、力ある先住民族の誇り高く寛大な家族に生まれました。セフェリーノは、父祖の土地と同朋の人々の人間的資質のうちに肥沃な土地を見いだし、それによって高い聖性に達することができました。彼はマプーチェの人々の苦しみ、不安、希望を自らも担いました。まさに彼が子どものころ、同朋の人々は福音に出会い、信仰の賜物に心を開いたのでした。
セフェリーノはドメニコ・サヴィオを自分のお手本にしました。サン・ピエトロ大聖堂にはドメニコ・サヴィオとセフェリーノがドン・ボスコと一緒に描かれた絵があります。セフェリーノは、ドン・ボスコが少年たちに与えていた聖性への方程式をドメニコから学びました。「いつも快活でいるように。勉強の務めと祈りをよく果たすように。仲間を助けるように。」セフェリーノは日々の務めを果たすことによって福音的完徳の高いレベルに達し、聖性が例外的なもの、少数の人だけのものではないということを私たちに思い起こさせてくれます。すべてのキリスト者は聖性に呼ばれているのです。
司祭となって同朋に福音を伝えたいと望んでいたセフェリーノは1905年5月11日、結核に倒れ、19歳の生涯を神にささげた。


(ANS – ローマ本部 2013年8月1日)
http://www.infoans.org/1.asp?sez=1&sotsez=13&doc=9497&lingua=2