総長メッセージ2026年5月:マリア - 開かれて与える心の模範
総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2026年5月)
マリア - 開かれて与える心の模範

Joigny, FRANCE – 01-28-2025: Stained glass (19th century) of Visitation of the Virgin Mary to her pregnant cousin Elizabeth.
マリアのように、神の住まいである私たちは、
呼ばれ遣わされる者として自分を捉えましょう。
マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った(ルカ1:39)。言葉は少ないですが、意味に満ちています。この単純で疑いのない行動には、神をお迎えし真にその住まいとなった心の内的構造が表れています。マリアの出発はありふれた普通のそれとは違います。内省的な生き方から生まれる応答、耳を傾けて識別することを学んだ上で、応えるために行動する魂の応答です。受胎告知を経験した後、マリアは身に起きたことを振り返るために立ち止まったりされません。特異で奥深い経験の中に閉じこもり、それをご自分の内にとどめたりされません。反対に、みことばに形作られ、導かれるようにご自身をゆだねるのです。そして、他者に向って出かけて行かれます。
マリアの動きは霊的なものです。マリアはみことばを迎え入れ、今やみことばが彼女の内にあって隣人へと向かわせるのです。神に愛されていると感じその結果、真に愛する人々は、自分のことを忘れて、他者に進んで仕えます。開かれた心は、選択肢の一つのような徳なのではなく、まさにそのような心を通して、神を信じる者の生き方の内に神の愛が形作られるということを、マリアは私たちに教えます。
狭い見方の枠から出ること―囚われない心
マリアのように、内に住まわれる神を宿した私たちは、自分たちを、呼ばれ派遣されている者と捉えます。マリアの行動は、他者に応えることなく自分の内に閉じこもった「私」の上に築かれる生き方とは対照的です。狭い視野の中だけで世界を見ようとするとき、私たちは、自分の意見の内に真理全体があると決めつけてしまう危険を冒しています。常にある誘惑はこれです:現実を、すでに見たり、計ったり、計画したりしたことだけのうちに狭めてしまうことです。私たちの考え方や見方だけが、唯一正しい基準となるのです。
心の広さはまず、自分の利己主義を取り除くことだと、マリアは示してくださいます。慈愛に導かれることなく、自分の中に閉じこもり続ける時、私たちは、神の贈り物を受け取り、そして隣人へと向かうという心の動きを失ってしまいます。真の心の広さは人間の決断によるものではありません。何よりもそれは、求め、自由に受け取り、守り、毎日実行するべき恵みなのです。神が私たちの心のうちに生きておられなければ、私たちは十全に、自由に、喜びにあふれて他者と出会うことはできません。神が、私たち自身の小さく貧しい人間的論理を超えるものに私たちの目を開かせ、解き放ってくださいますように。
自分を空にすることは愛の最初の形
私たちのような文化では、自己陶酔の危険がつねに巧妙に潜んでいます。まるでますます小さくなっていく鏡をのぞき込むかのように、自分だけを見ることによって、自分のアイデンティティーを構築できると信じるのです。マリアは、生きることへの別のまなざしを示してくださいます。心の内におられるみことばへ、次にエリサベトの必要へと、ご自分の全存在をもって向き直られたのです。これは、隣人の必要を神との関係から生まれる呼びかけと見なす選択です。だからこそマリアは、助けを必要とする人のもとへ急いで出かけたのです。
他者の必要に応える真に自由な態度は、たとえ自分にとって損失に見える時も自らを問い、自己を捨てる勇気に根ざしています。それは、ひけらかすための寛大さではなく、惜しみなく他者に自分を与えることによってのみ自分自身になれることを発見し、そこから生じる内的自由を生きることです。ここで、開かれた、他者に応える心が果たすのは、トロフィーを掲げることではなく、御父のみ旨に自らを明け渡すことなのです。
親切な行動ではなく、私たちの心に住まわれる神への従順
マリアがエリサベトのもとに向ったのは、年老いた従姉が手伝いを求めているという人間的な思いからだけではありません。従姉の訪問は、単に親切な行動なのではありません。むしろ、胎内におられる御子が、御母を、ご自身の姿にかたどっておられるのです。他者へ向う旅という形をとった、エリサベトのもとへ向かうマリアの旅は、神ご自身の使命なのです。
マリアの訪問は、ご自身の内に御子が来られたことによって生まれた使命です。イエスが本当に私たちの人生の一部になるとき、私たちの存在と行うことのすべては、この唯一の源泉から流れ出るのです。使命は、キリストとの出会いからほとばしり出ます。
無条件に応えること:結果を超えて
このようなマリアの自由で寛大な選択を前にして、彼女をまねたいという私たちの願いには、非常に微妙でありながら、つねにありがちな誘惑がついてまわります。私たちの選択にどのような結果が生じるのかを見たいという誘惑です。直ちに出発するマリアの姿は、すでに満たされ、外的な安全や確実さを求めようとはしない心の決意を私たちに伝えます。ある使命とその成功は、内に住まわれるみことばとの生きた関係のうちに測られるからです。
自由な心のしるしであるマリア― みことば、信仰、愛
マルティーニ枢機卿は、短くも奥深い本質的な省察を私たちに提供しています。みことばは種、信仰はそれを迎える胎、愛徳はその実り。マリアはこのダイナミズムを十全に生きた女性です。謙遜にみことばを迎え入れ、信仰をもって急いで立ち上がり、愛徳をもって自らを与えられました。「急いで向かう」からは、それが、信仰を支えるみことばに照らされた、自由な、解き放つ心を映す、愛徳の行動であることが伝わります。
開かれた、呼びかけに応える心は、ただ感傷的に良い心なのではありません。むしろ、受け取り、抱きとめた福音と、それを待つ兄弟姉妹との間、内的恵みと旅するべき道との間、神の神秘と人々の必要という具体的現実との間にある緊張のうちに歩むことを学んだ心です。
マリアは、出発するために、すべてを理解するまで待つ必要はないことを私たちに教えてくださいます。
総長 ファビオ・アッタールド神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》
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