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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

四日市サレジオ志願院感謝の集い カトリック京都教区長 パウロ大塚喜直司教様 ミサ説教


今日、私たちは四日市サレジオ志願院のこれまでの歩みを、感謝をもって振り返り、聖ヨハネ・ボスコ記念ミサをささげる恵みをいただいています。

1995年の開設以来、この志願院は、サレジオ会の司祭・修道者を志す若者たちにとって、祈りと学び、そして共同生活を通して、自らの将来を真剣に見つめ、神の呼びかけに耳を澄ませる大切な場であり続けました。親元を離れ、仲間とともに生活しながら、自分の弱さや未熟さにも向き合い、少しずつ信仰が育まれ、人格が練られていく。その日々は、ここで過ごした一人ひとりにとって、かけがえのない恵みであったに違いありません。

今日の第二朗読で、使徒パウロは、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と勧めます。志願院が若者たちに伝え続けてきたものも、まさにこの福音的な喜びであったと思います。不安や迷いを一人で抱え込むのではなく、祈りのうちに神の前へ持って行くこと。急いで答えを出そうとするのではなく、感謝のうちに自分の歩みを見つめること。そのような姿勢を、この志願院は長年、若者たちのうちに育んできました。

若者の成長は、決して一直線ではありません。とりわけ中高生の思春期、反抗期の時期には、迷い、揺れ、立ち止まることもあります。その一人ひとりを急がせず、比べず、結果だけで測ることなく、忍耐強く寄り添い続けることは、決して容易なことではありません。しかし歴代の院長、司祭、修道者、職員、協力者の皆さまは、その大切な務めを誠実に担ってこられました。守ってこられたのは、単なる建物や制度ではなく、若者が神の声を聴き取るための「場」そのものであったのです。この歩みを支え、祈りをもって寄り添い続けてくださったすべての方々に、心から感謝申し上げます。

今日の福音で、弟子たちが「天の国でいちばん偉いのはだれか」と尋ねたとき、イエスは、「子どものように自分を低くする人が、天の国でいちばん偉いのである」と教えられました。そして、「わたしの名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と告げられます。ここには、福音の大切な心が示されています。神の国は、力のある者、優れた者が先にされる世界ではありません。小さな者、弱い者、守られるべき者を大切にし、だれよりも先に受け入れるところに開かれるのです。

聖ヨハネ・ボスコは、この主のみ言葉を生涯にわたって生きた人でした。ドン・ボスコは、若者たちを未完成だからといって見放すのではなく、神がすでにその人の内に働いておられる尊い存在として見つめました。だからこそ、厳しさだけで追い立てるのではなく、励まし、信頼し、忍耐をもって受け入れ、神のまなざしを伝え続けたのです。

どうか皆さまも、ドン・ボスコに倣い、小さな者をだれよりも先に受け入れる心を、これからも大切にしていただきたいと思います。それは福音にかなう教会の姿であり、現代という時代そのものが教会に強く求めている姿でもあります。人を能力や成果で測り、弱さや未熟さを切り捨てがちな社会の中で、小さな者を先に受け入れる教会の在り方は、神の国を指し示す大切なしるしとなるのです。

そしてこのことは、若者の召命を考えるときにも、きわめて重要です。とりわけ若い皆さんにお伝えしたいのは、召命とは、特別に優れた人や、最初から整った人だけに与えられるものではないということです。召命とは、「何になるか」という問題以上に、「誰とともに生きるのか」という、人生の中心を決める問いなのです。どの道を選ぶかの前に、自分の人生を誰に結びつけて歩むのかが問われているのです。

私自身も少年のころに司祭への思いを与えられ、その歩みの中で何度も自分の弱さに直面してきました。それでも今日まで歩んでこられたのは、自分の力によるのではなく、神のあわれみと忍耐によって支えられてきたからです。だからこそ申し上げたいのです。神の呼びかけは、必ずしも大きな声で与えられるのではなく、日々の生活の中に響く静かな促しとして与えられます。ですから、焦らなくてよいのです。答えを急がなくてよいのです。ただ、神の声を聴こうとする心を大切にしていただきたいと思います。

四日市サレジオ志願院が一区切りを迎える今日、この場で育まれてきた祈りと信仰、そして召命の実りが失われることはありません。神が蒔かれた種は、人の心の中で静かに、しかし確かに生き続けるからです。これまで支え、祈り、寄り添ってこられたすべての方々に、あらためて深く感謝申し上げます。

また、京都教区の中にこの志願院が置かれていたことも、大きな恵みでした。とりわけ三重地区の信徒や子どもたちにとって、神の呼びかけに応えようとする志願者の姿に接することは、召命を身近に感じる貴重な機会であったと思います。そしてそれは、教会全体の中に、召命を大切にし、ともに支えようとする思いを育ててくださいました。そのことについても、京都教区として心から感謝いたします。

どうか若者たちが、これからも神の声に耳を澄まし、キリストに結ばれて歩んでいくことができますように。皆さまがドン・ボスコの心を受け継ぎ、小さな者を大切に受け入れる愛をもって歩み続けることができますように。サレジオ会の司祭、修道士、神学生、志願生、そしてここに集うすべての皆さまの上に、主の豊かな祝福を心からお祈りいたします。