副総長メッセージ3月:私たちは今日のドン・ボスコ
副総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2025年3月)
私たちは今日のドン・ボスコ
「君は私が始める仕事を仕上げるだろう。私はスケッチをする。君が色を付けるんだ」(ドン・ボスコ)
親愛なる友人、読者、サレジオ家族のメンバーである皆さん、『ボレッティーノ・サレジアーノ』今月号のメッセージで、私は現在サレジオ修道会が開催している非常に大切なイベントに焦点を当てたいと思います。第29回総会です。この集まりは修道会にとって最も重要なもので、6年ごとに開催されます。
私たちの人生には多くのことがつまっていて、この聖年は、様々な大事なイベントが行われます。しかしながら、私はこの総会というイベントを取り上げたいのです。皆さんからは遠いものに見えても、私たち全員に関わることだからです。
私たちの創立者ドン・ボスコは、自分の代ですべてが終わるわけではない、これから続く長い旅の始まりに過ぎないのだと気づいていました。1875年のある日、60歳のとき、ドン・ボスコは最も親しい協働者の一人だったジュリオ・バルベリス神父に言いました。「君は私が始める仕事を仕上げるだろう。私はスケッチをする。君が色を付けるんだ。[…]私は修道会の大まかな下書きを作り、それを見事に仕上げることを後に来る人たちに託そう」。
この幸いな、預言的な言い方で、ドン・ボスコは私たちが歩むように呼ばれた道を描き出しました。その頂点となるのが、今私たちがヴァルドッコで行っているドン・ボスコのサレジオ会の総会なのです。
あめの預言
現代の世界はドン・ボスコのそれとは違いますが、共通の特徴があります。大きな変化の時なのです。この世の物質的、精神的、両方の事柄における青少年の全人的でバランスのとれた、責任感のある人間としての成長がドン・ボスコの本当のゴールでした。彼は少年たちの「内面」を満たし、「良く養われた精神」、「誠実な市民」へと育てることに勤しみました。現代の世界において、これはかつてなかったほど大事なことになっています。今日の世界はドン・ボスコを必要としています。
何よりもまず、一人ひとりがごく単純なことを自分に問いかけなくてはなりません。「私はありきたりの人生がいいのか、それとも世界を変えたいのか」。それにしても、今日、目標や理想について話すことができるのでしょうか。川が流れるのをやめると、沼になってしまいます。人間も同じです。
ドン・ボスコは決して前進することをやめませんでした。今日、彼は私たちの足で前進しています。
彼は青年たちについてある確信をもっていました。「人間社会のこの最も繊細で貴重な部分、その上に幸福な未来の希望が築かれるこの部分は、それ自体は悪い本性をもっているわけではない…… 時として、その若者たちがすでに悪いことに染まっているなら、それはしばしば身についた悪さのためではなく、しっかりとした考えのない軽率さのせいなのだ。そういう若者たちは、まさしく彼らの世話をし、悪さから遠ざけて徳を実行させるように導く善意の手を必要としている……」。
1882年、ジェノヴァのコオペラトーリへの講話でドン・ボスコは次のように語っています。「危険の中にいる若者たちを悪から引き離し、指導し、教育することによって、市民社会全体にとってよいことを行うことになります。もし若者たちがよい教育を受ければ、これから先、よりよい世代が形成されることになります」。まさに、教育だけが世界を変えることができる、ということです。
ドン・ボスコは、未来へのビジョンを描く力を、恐ろしくなるほど持っていました。彼は決して「これまでは」とは言わず、常に、「これからは」と言います。
著名な大学教授ギイ・アヴァンツィーニは、「21世紀の教育学は、サレジオ的なものとなるか、なくなってしまうかのどちらかだ」いつも繰り返していました。
1851年のある夕方、ドン・ボスコは2階の窓から少年たちに向って一握りのあめを投げました。皆は大喜びで、一人の少年が窓から微笑みかけるドン・ボスコを見て叫びました。「ドン・ボスコ、世界中がオラトリオでいっぱいになるのを見られたら、どんなにすばらしいでしょう」。ドン・ボスコは穏やかなまなざしを遠くに向けて答えました。「どうだろうね。オラトリオの少年たちが世界中にいる日がくるかもしれないよ」。
遠くをながめる
さて、総会とは何でしょう。なぜここで、サレジオ会固有のテーマを取り上げるのでしょう。
サレジオ会の会憲は第146条で総会について次のように定義しています。「総会は、本会の多様性における一致の第一のしるしである。総会は、サレジオ会員が福音と創立者の霊能(カリスマ)に忠実な者、また、時代と場所の必要に敏感な者となるために、共同で審議するための兄弟的な出会いである。
総会をとおして本会が努めることは、教会によりよく奉仕するため、歴史のある時期において、主の霊の導きのもとに神のみ旨を知ることである。」
ですから、総会は奉献生活を送るサレジオ会員だけのものではなく、サレジオ家族全体、ドン・ボスコの精神を生きる人々にとって大切な、私たち皆に関わる極めて大事な集いなのです。その中心には、人々、使命、ドン・ボスコのカリスマ、教会、私たち、皆さん一人ひとりがいるからです。
時のしるし、様々な場所におけるしるしを見ながら、神とドン・ボスコに忠実であることがその中心にあります。この忠実は、継続的な運動、刷新、大地にしっかりと足をつけながら、はるか前方を眺める能力です。
そのために、世界中からおよそ250名のサレジオ会の兄弟たちが集まり、ドン・ボスコへの忠実のうちに、祈り、考え、対話し、はるか彼方を臨んでいるのです。
そしてこのビジョンを築き上げたのち、ドン・ボスコの後継者である新総長と最高評議会が選出されます。
これを読んでいる親愛なる友である皆さんの人生に総会は無縁なものではありません。皆さんの存在とドン・ボスコへの「愛情」のうちにあるものです。なぜそう言うのでしょうか。皆さんが祈りによって総会の歩みに寄り添うからです。教会へのよりよい奉仕のために、総会議員皆が神の思いをわかることができるよう、聖霊に助けを祈ってください。
私が思うに、いいえ確信しているのは、第29回総会は次のことにつきるということです。これまでの総会がドン・ボスコの計画に忠実に行ってきたように、ドン・ボスコが私たちに遺したスケッチのいくつかの部分を「きれいに仕上げる」ことを神が助けて下さる経験です。
現代の顔、音楽、色彩が添えられた私たちのカリスマへの忠実さのうちに、主イエスに忠実であるよう、今日でも私たちは照らされ続けていると私は確信します。
この使命において、私たちは孤立しているのではなく、私たちの母、キリスト教徒の扶け手、教会の扶け手、忠実の手本である聖母マリアが、私たちの歩みを支えてくださることを私たちは知り、また実感しています。
副総長 ステファノ・マルトリオ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》
■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内の以下のリンクからお読みいただけます。どうぞご利用ください。
〇英語