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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ2月:そして、星は車椅子の上にとまった


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2024年2月)

そして、星は車椅子の上にとまった

公現祭、よき心と輝く信仰を持った素晴らしい人々との出会い

 

『ボレッティーノ・サレジアーノ』の読者である友人の皆さん、

新しい年2024年を迎え、心を込めて皆さんにご挨拶を送り、良い年であることをお祈りします。私たちの日々が神の現存と祝福で満たされる年となりますように、心から願っています。

私はいつも可能な限り巻頭言で、自分が経験し、何らかの理由で私の心を打ったことを分ち合うようにしています。

主のご公現の祭日(1月6日)、私は生まれ故郷のルアンコ・アストゥリアスにいました。自分のルーツとの、自分の誕生と成長を見守った海と自然、そして故郷の人々とのつながりを深く感じていました。その日、私はミサを捧げるために出かけました。町の教会の司祭は、私がそこでミサをすることを快く許してくださり、任されている他の教会の一つにミサを捧げに行きました。そうすることで、私たちはより多くのキリスト教共同体で祭日を祝うことができたのです。

私が皆さんにお話ししたいのは、その朝、主は私に思いがけない出会いを準備してくださったということです。私はある人々の置かれた状況について知り、痛みや病気、限界が彼らの人生に入り込んだとしても、主が慰めと安らぎを確かに与えてくださると気づかされたのです。

ミサを捧げに行く前に、私は一人のお年寄りを訪ねることで、その一日を始めました。彼は私の故郷で長い間、医師として働きました。立派な家庭医で信者、そしてサラマンカのサレジオ会の学校の卒業生でもあります。彼は、何年もの間、私の両親の話題に登場する人物の一人でした。両親は時々この医師にかかっていたからです。私は彼のお嬢さんの招きで、その家庭を訪ねました。この信仰の人は、医師として、神から与えられた多くのものをわずかばかり人に与えることができたと言いました。重い病を得て、主との出会いをよく準備できるように、それだけを良き神に願っていると話してくれました。この素晴らしい確信と平和を目の当たりにし、私はすでに「耳にささやかれる良い言葉」を聞いた思いでミサに出かけました。

ミサで、私は他の機会にもいつも会う32歳くらいの青年に会いました。彼は事故に遭い、何年間も車椅子の生活をしています。車椅子を使いながら、彼は貧しい人々と出会うために、母親とインドに行ったこともあります。彼の穏やかさ、笑顔、心の中の喜びに私は感動しました。彼はその穏やかさ、笑顔、喜びをもって日々のミサに与り、主(聖体)をお迎えしているのです。私のこの若い友人はきっと自らの「不幸」を嘆くこともできたでしょう。もっと悪いことに神様を責めることもできたでしょう。私たちは何かが自分の手に負えない時、よくそうするからです。しかし、彼は違います。車椅子を使っていても、彼は自分の境遇を悲しんだりすることなく、ただいのちの贈りものに感謝して日々を生きているのです。ミサの終りに会うと、私たちはいつも挨拶を交わします。彼の言葉にはいつも感謝が込もっています。しかし、私の方こそ彼に感謝すべきです。いのちの主への生きた信仰の証しを、彼は私たち皆に与えてくれるからです。

ご公現の日は、このように、その時点で私にとって素晴らしく感動的でした。さらに、教会の出口で、中年の夫婦が私に新年の挨拶をしてくれました。この二人とも喜びの表情をしていました。ご主人(ガンで苦しんでいました)の喜びと平安の方が、愛する奥様(彼のために苦しんでいました)のそれより勝っているようでした。それでも二人は、病気を抱えながらも、この瞬間を神に信頼して、委ねながら生きて行かなければならないという確信を私に語りました。

最後に、人々と交わした挨拶中で、まだ一つ逃せないものがありました。一人の年老いた母親が、一年前に子どもの一人を亡くしたことを私に話しました。その息子は病気で亡くなり、今、彼女はガンを患っています。彼女はただ主のみ前で自分のことを心に留めて欲しいと私に頼みました。私が具合を尋ねると、痛みはあるけれど信仰によって慰めを得ているとのことでした。その朝、出会った人々の生きた証しによって、私は心を強く揺さぶられ感動に圧倒され、言葉を失いました。

一人ひとりに私の祈りを約束せずにはいられませんでした。そして、小さな人々、人生のさまざまな状況に最も傷ついている人々、主こそ真の慰めと助けであると感じている人々に、主がどれだけ偉大な業を成し続けておられるかをさらに力強く感じながら、私はその約束を守っています。

こうしたことすべてを大切だと思う私は、それを自分の心の中だけに留めることはできません。時として、今やこういうことについて書いてはいけないように思えることもあります。流行遅れかもしれませんし、昨今の人々は他のことについて話すからです。けれども、私たちの人生において大切で奥深く希望に満ちたことを分ち合ったり、証ししたりすることを妨げるすべてのことに、私は抵抗します。どうしてかはわかりませんが、読者の多くの方々は、私が分ち合うこと、経験してきたことに共感してくださる気がします。というのも、ここで語られたこと、海辺の小さな村で公現祭の朝に起ったことは、そこでしか起きないことではないからです。つまり、これらすべては私たちが人間として体験する状況であり、主は、私たちが受け入れるなら、いつでもそのすべてを通して私たちのそばにいてくださるのです。

親愛なる友人の皆さんのご多幸をお祈りします。いつも、最も困難な時にも、私たちには希望を持つ理由があることを信じ続けましょう。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

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