ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ11月:未来の記憶


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2023年11月)

未来の記憶

私たちには最高の富である夢があります。

 

200年前、一人の9歳の男の子が夢を見ました。彼は貧しく、農夫になる以外の将来はありませんでした。翌朝、彼は夢のことを母、祖母、兄たちに話しましたが、兄たちには笑われてしまいました。祖母は言い聞かせました。「夢など信用しないことだよ」。それから何年もたった後、かつてのその少年ジョヴァンニ・ボスコは書きました。「私も祖母の意見に賛成でした。それにしてもこの夢を忘れ去ることはどうしてもできなかったのです」。

それはほかの多くの夢とは異なり、夜明けと共に消え去るものではなかったからです。

その夢は何度も何度も戻ってきました。それは新たな活力を与えてくれる、喜ばしい支えと尽きない力の源でした。彼のいのちの源だったのです。

 

彼は夢を見た

ドン・ボスコの列福のための教区調査で、彼の最初後継者だったドン・ルアは証言しました。「彼女の兄のもとをドン・ボスコが度々訪ねていたルチア・トルコは、私に話してくれました。ある朝、ドン・ボスコがいつもより嬉しそうな様子でやって来たそうです。その理由を尋ねると、前の晩に夢を見て、その夢によってすっかり元気づけられたとのことでした。どんな夢だったか話してほしいと彼らが頼むと、ドン・ボスコは、1人の婦人が自分に向って来るのを見たと説明しました。彼女はとても大きな羊の群れを後ろに従えていて、彼に近づき名前で呼んで、言いました。『ジョヴァンニーノ、ごらんなさい。この群れをあなたに任せます』。彼は尋ねました。『どのようにして、これだけ多くの羊の世話をしたら良いのでしょう。たくさんの子羊も。世話をするための牧草地をどこで見つけられるでしょう』。婦人は答えました。『おそれないで。私があなたを助けます』。そして婦人の姿は見えなくなりました」。

そのとき以来、司祭になるため勉強をしたいという彼の願いはますます強くなりました。しかし、深刻な問題が彼の道に立ち塞がっていました。家族の経済的困難と異母兄アントニオの反対でした。兄は自分のように弟も畑で働かせたいと望んでいたのです

実際、すべてが不可能に見えました。しかし、イエスの命令は「有無を言わせないもの」で、聖母の助けてくださるという約束には優しい確かさがありました。

ドン・ボスコの生涯の最初の研究者、レモエン神父は夢を次のようにまとめました。「彼には、白い衣を身にまとった神なる救い主を見たように思えました。非常に輝かしい光を放ち、数えきれないほどの若い人々の一群をまさに率いておられました。主はジョヴァンニの方を向いて言いました。『ここに来なさい。この子どもたちの先頭に立って、あなたが彼らを導きなさい。』『私にはできません』とジョヴァンニは答えました。しかし、神なる救い主が先頭に立つよう求め続けたので、ついにジョヴァンニは少年たちの群れの先頭に身をおき、命じられたように彼らを導き始めました」。

神学院で、ドン・ボスコは自分の召命の動機として、賞賛すべき謙虚さをもって次のように記しました。「モリアルドでの夢は消えることなく私の心に深く刻まれていました。それはほかの折々に、よりはっきりした形で繰り返されたので、それに従いたいと願うなら、司祭職を選ばなくてはなりませんでした。私は司祭職に心ひかれましたが、夢を信じたくはありませんでした。私の生き方、また司祭の身分に必要な徳の絶対的欠如のため、その道を選ぶことは、疑念を抱かせる、難しい決断でした」。

ドン・ボスコは主と主の御母を認識したのだと私たちは確信できます。謙遜でありながら、天の訪れがあったことを全く疑っていませんでした。それらの訪問が、自分の未来と仕事について示すものであることさえ、彼は疑いませんでした。彼自身、言っています。「サレジオ修道会は、超自然による薦め無しに、一歩も歩み出したことはありません。主から特別に命じられていなければ、修道会は現在の姿にまで発展しなかったでしょう。最もささやかな詳細に至るまで、私たちの過去の歴史を、前もって記すことができたでしょう」。

このことからサレジオ会の会憲は「信徳唱」をもって始まるのです。「わたしたちは、聖フランシスコ・サレジオ会が人間的な計画のみによってではなく、神の創意によって誕生したことを、謙虚に、感謝の念をこめて信じる」。

 

ドン・ボスコの遺言

教皇ご自身がドン・ボスコに、夢のことを息子たちのために書くようお命じになりました。それは次のような書き出しになっています。「ところで、この話はいったい何の役に立つのでしょうか。過去から教訓を引き出し、将来の困難を克服していくうえでの拠りどころになるという点で役立つことでしょう。また、いつ、いかなるときにも、どれほど神ご自身がすべての点で導いてくださっているかを知るうえで役に立つことでしょう。わたしの子らが、父に関する事柄を読んで、喜び楽しむのに役立つでしょう。そして、わたしが、神に召されて生涯の報告をするためにこの世を去ったのち、彼らは以前にもましてずっと強い関心をもってこの書を読むことになるでしょう」。

ドン・ボスコは、語られる冒険に読者を引き込み、読者自身が、自分にも関係あるものとして物語に参加し、そのまま冒険を続けること、そのような自らの意図を明らかにしています。夢の物語はドン・ボスコの「遺言」になっているのです。

ここに使命があります。最も小さい者、若い者、見離された者……から始まる世界の変容です。方法がそこにあります:慈愛、尊敬、忍耐。そして、聖なる三位一体が守ってくださること、聖母の母としての優しい保護があることが、約束されています。

『オラトリオ回想録』で、ドン・ボスコは、1824年の最初の夢の20年後に見た夢ついて書いています。

「その夜、再び夢をみましたが、それはわたしが9歳のときベッキでみた夢の続きのような気がしました。

夢の中でわたしは、数多くの狼、山羊、子山羊、羊、めん羊、犬、鳥に囲まれていました。これらの動物は皆騒がしく鳴きたて、音をたてていました。とういよりも、あまりのやかましさに、どんなに度胸のよい者でも驚き恐れるほどの騒々しさだったのです。わたしは思わず逃げ出そうとしました。するとそのとき、羊飼いの身なりをした1人の貴婦人が現れ、ご自分が先頭に立っているこの奇妙な動物の群れについてくるよう、わたしに合図なさいました。(…)

かなり歩きまわったのち、野原に着きましたが、例の動物たちは互いに傷つけ合うこともなく、仲良く跳びはねたり、草を食んだりしていたのでした。

すっかり疲れ果てたわたしは、近くの道端に腰をおろそうとしましたが、例の羊飼い姿の婦人は歩き続けるようにわたしを促すのです。少し先に進むと回廊に囲まれた広い中庭に達し、その端に教会が見えました。その時、あの動物たちの5分の4が羊に変わっているのに気づきました。羊の数は増える一方でした。ちょうどその瞬間、羊たちの番をするために何人かの羊飼いがどこからともなくやってきました。しかし、ほんのいっとき留まっただけで、早ばやと引き上げていきました。すると、驚くべきことが起こったのです。なんと、数多くの小羊たちが若い羊飼いに変身し、成長していくにつれて、小羊たちの世話をするようになっていくではありませんか。

わたしは(…)その場を立ち去ろうとしました。しかし、羊飼い姿の婦人は南のほうに目をやるように促すのです。目をやると、とうもろこし、じゃがいも、キャベツ、ビート、レタス、その他たくさんの野菜類の種がまかれている畑が見えました。

『もう一度ごらんなさい』とその婦人は言いました。そこでもう一度見てみると、高くそびえたつ立派な聖堂が目に映りました。(…)その聖堂の内部には白い垂れ幕がさがっており、その上には大きな文字で『これこそわたしの家。この家からわたしの栄光が生まれる』と書かれていました」。

このため、扶助者聖母大聖堂に入る時、私たちはドン・ボスコの夢に入るのです。「私たちの」夢になることをドン・ボスコが願っているその夢に。

 

~ジョヴァンニーノ・ボスコの9歳のときの夢は、200周年を迎えます。サレジオ会はこれを記念し祝います。どのように夢は与えられたのか、その夢はドン・ボスコとその子らにどのような影響を与えたのか、思い起こす時となるでしょう。~

 

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ枢機卿

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 

■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内の以下のリンクからお読みいただけます。どうぞご利用ください。

英語

 

イタリア語

 

スペイン語

 

ポルトガル語

 

フランス語