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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ12月:神の微笑みに驚かされますように


総長メッセージ(Bollettino Salesiano 2021年12月)

神の微笑みに驚かされますように。

“MAY WE ALLOW OURSELVES TO BE SURPRISED BY GOD’S SMILE.”

ドン・ボスコがこよなく愛した定期刊行物「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者である友人の皆さんに心からの挨拶を送ります。

今日、私はタイトルにこめられたメッセージを皆さんと分ち合いたいと思いますが、これは私の言葉ではありません。昨年のクリスマスに、ヴァチカン市国で働く人々とその家族への挨拶のテーマとして「微笑み」を選んだのは、教皇フランシスコでした。人間らしさと互いへの敬意のこもったふるまいがしばしば失われているために、微笑みがあまりにも乏しいこの時代にふさわしいテーマとして。

私は自分を驚かせるある現実をたびたび思い返します。私たちは気づいています。愛想のよさ、互いへの尊敬、優しい配慮と相手への尊重を表すこと、兄弟愛と連帯感の表出、私たちの生活のいろいろなところに息づく愛が、私たちの人生、人間の心の奥深くを満たすということを。それにもかかわらず、社会的には、民族、地域、国家としてそれを実現すること、人々の間に一致の交わりを創り出すこと、私たちをより人間らしくするために力を合わせることは大変難しいのです。この問題は、しばしば利害の対立する大局的な政治やマクロ経済に関してだけでなく、家族、兄弟姉妹、親戚の間にも見られ、珍しくはないのです。それが実状だと誰もがわかっています。

こうした現実を認めながらも、クリスマス、神の御子である私たちの主イエス・キリストの誕生は、救いが私たちに与えられたこと、贈り物として与えられたことを私たちに思い出させるのです。そして私たちは、愛で私たちを包んでくださる神がつねにますます現存する世界を築き続けなければなりません。もちろん、時として私たちにとってそれは難しいことです。作るか壊すか、築くか倒すか、足すか引くか、私たちには完全な自由が与えられているからです。そのため、よりよい人間性に向う道を前進しながらも、時に私たちは大きく後退するようにも見えるのです。

今年のクリスマス、パンデミックは(あるいは少なくともその脅威は)続いていますが、かなり制御され、コロナウイルスの脅威と共存することを学んでいる中で、皆さんに呼びかけたいと思います。神の微笑に驚かされることをあきらめないようにと。それは実に多くの単純なことのうちに感じられるものです。ひとつの素晴らしく人間的な例は、赤ちゃんを前にした時の私たちの反応です。赤ちゃんを前にすると、私たちはすぐに、自然に微笑みかけます。赤ちゃんの微笑みをひきだそうとし、また赤ちゃんがほほえむからです。それは大きな感動をもたらす美しく純心な単純さのしるしです。

教皇フランシスコはつぎのように言っています。「イエスは神の微笑みです。御父の愛を私たちに伝えるために来られたからです」と。そのメッセージはマリアとヨゼフによって受け取られました。ふたりはイエスの微笑みのうちに、自分たちへの、メシアを待つすべての人々への、神のいつくしみを認めたのです。

現代の私たちは、今年のクリスマス、人として生まれた神の御子の前で、神が御子のうちに、私たちに、地上のすべての貧しい人々、救いを待つすべての人々、より兄弟的な世界 ― 戦争も暴力も乗り越えた世界、すべての男性、女性が神の息子、娘としての尊厳のうちに生きられる世界 ― を待つ人々に、微笑んでくださるのを感じることができます。

ヴァルドッコのじゅうたん

数週間前、私の心を打った静穏な情景を思い浮かべています。その話を皆さんにしたいと思います。なぜ心を打たれたかわかってくださるでしょう。私はヴァルドッコにいて、午後の三時でした。中庭を横切っていると、あること(ある人、と言ったほうがいいかもしれません)に注意をひかれました。よく見ると、それはドン・ボスコの部屋の下の小さな回廊で祈っている一人の若者でした。祈る人がそこにいたのです。彼はムスリムでした。地面にじゅうたんを広げてメッカの方を向き、彼の宗教の儀式に則って、跪いたり立ったりして祈っていました。

その若者は自分の宗教が表現するしきたりと作法で、「彼の神」ではなく、「唯一の神」と交流していたのです。彼は祈りにとても集中していたので、誰が通り過ぎようと気にもしていませんでした。そして私が、邪魔をしないように大きな敬意を払いながら、彼を見つめ思い巡らしていることも、彼は確かに気づいていなかったのです。

その時、たまたま私は、ちょうどピナルディ聖堂から出てきたところでした。聖堂内には一日中、主イエスの現存であるご聖体が顕示されています。ヴァルドッコと、ドン・ボスコが何度も若者たちと共に集い、共に祈ったその回廊が、その若いムスリムの祈りを迎え入れ、受けとめていることを私は素晴らしいと感じました。神の微笑みは、この私たちの世界の、神のすべての息子、娘のためだからです。私たちは皆、神の愛と創造の果実なのです。

まさにヴァルドッコの回廊のように、世界中のサレジオの家は毎日、数多くのあらゆる宗教の少年少女、若者たちを迎え入れています。そして、彼らはそこで、サレジオの家で、人間らしく成長し、自分たちの家族、部族、民族の宗教が生き、表す信仰においても、しかし常に唯一の神の息子、娘として成長しながら、人生の準備をするのです。

親愛なる友人の皆さん、私は自分にできる限りの人間らしさと信仰をこめてクリスマスの挨拶を送ります。そして、神が私たちのために抱いておられる夢により近い人間の姿に向かって歩むため、世界は私たちのささやかな貢献を必要としていると信じる人々の一員に、皆さんもなってくださるようお願いします。

クリスマスに寄せ、教皇様の言葉を借りて私の挨拶とします。

「この願いをあなた方の大切なご家族、ことに病気の人やお年寄りに届けてください。その方々が皆さんの微笑みの愛を感じられますように。すべての微笑みは相手を優しく包みます。微笑むことは、心をこめて、魂をこめて抱擁することです。祈りにおいて一致しましょう」。

神が皆さんを祝福してくださいますように。どうぞ聖なるすばらしいクリスマスをお迎えください。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》