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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ7月 夢を見て、夢を持たせなさい


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2020年7月)

夢を見て、夢を持たせなさい
DREAM AND HELP OTHERS DREAM

この時期を生き延びるためになすべきことに加えて、生涯をかけて何か偉大な素晴らしいことをしようという若者たちの夢と願いを、もしも私たちが打ち壊し、無いものとし、傷つけているとすれば、彼らはどれほど不幸なことでしょう。

 親愛なる友人、『ボレッティーノ・サレジアーノ』の読者の皆さん、ドン・ボスコを愛する皆さんには、この問いかけは奇妙に思えるかもしれません。

 世界中のドン・ボスコのカリスマの友である皆さん、もしくはドン・ボスコ自らが創刊し、心から愛したコミュニケーションの手段である「ボレッティーノ・サレジアーノ」をたまたま手にした読者の方々にご挨拶申し上げます。今日お送りするメッセージには、教皇フランシスコの全サレジオ家族への感動的な親しみと家族精神が反映されています。それは、総会開催中に教皇様からサレジオ会員に送られた言葉にあふれていたものです。

 素朴な神の人でありながら、世界中で最も信頼できる「リーダー」である教皇様は2020年3月27日、夜が更けようとしているとき、冷たい雨の降るサン・ピエトロ大聖堂前の人気のない広場においてたった一人で人類のために祈りました。もしかすると今世紀におけるほどプロメテウスのようであったことがかつてなかった人類、同時に、地上を無力にしたウイルスに打ちのめされてかつてなかったほどに脆くなっている人類のために祈ったこの神の人は、祈りにおいてこれほどまでに孤独であったことはありませんでしたが、同時にこれほどまでに寄り添われたこともありませんでした。まさにこの神の人が、メッセージを通して、ちょうど3週間前に私たちの総会に立ち会うことを望まれたのです。それは形式ばったものとは程遠く、ドン・ボスコの子どもたちにとって、家族的な親しみのこもった、指標となる、挑戦的なメッセージでした。

 私たちに多くの重要なことがらを語りかけてくださった教皇様は次の言葉でメッセージを締めくくっています。「すべてのサレジオの家で皆さんが毎日、一日の終りに行っているボナノッテとして、夢を、さらに大きな夢を抱いてくださるように招きつつ、私から皆さんにおくりたい言葉があります。ほかのものは加えて与えられるでしょう。開かれて実り豊かな、福音宣教する家を夢見てください。そこでは数多くの若者たちに主が無条件の愛を示され、皆さんは、招かれている素晴らしい召し出しを味わうことができるのです。あなたたち自身のため、そして修道会のためだけでなく、すべての若者たちのため、イエス・キリストとの友情に見出される力、光、慰めを奪われ、支えてくれる信仰の共同体、人生とその意味を示してくれる地平線を奪われている若者たちのためにも夢見てください。夢見て……そして夢見させてください!」

 ドン・ボスコの家族の一員である数多くの人々、そして、若者たち、少年、少女たちのために生きたこの聖人(少女たちのためには、聖マリア・ドメニカ・マザレロと共に、扶助者聖母への感謝を表す生きた記念碑として夢見、創立したサレジアン・シスターズを通じて)に大いなる親しみを感じる多くの人々にとって、何と素晴らしい挑戦でしょうか。

 世界が直面しているこの重大危機に人々が味わっている痛みに対して私はそれを沈黙させたり無視したりするわけではありません。私がこの原稿を書いている時点でおよそ37万7千人もの人々がこの深刻なパンデミックにより命を奪われ、他の深刻な問題があることも看過できません。2ヶ月の間に1億以上の人々が仕事を失い、世界中で数千万もの人々が賃金を得られず、食料もありません。その中には何らかの形で政府の援助を受けられた人々もいますが、大多数には救いの手が差し伸べられていません。私はまた家庭、子どもたち、若い人々、とりわけその人々と直接関係ないように見えることでも社会が打撃を受ければいつでも一番影響を受ける最も貧しい人々のことを忘れてはいません。

 まさにこうした現実を無視せず、目を背けることもしないからこそ、私は教皇フランシスコの言葉を実現させる緊急性を感じるのです。すなわち、夢見るよう、大きな夢をもつよう若者を助けることを、目標としても責務としても引き受けることです。現実的でありながら大きな夢を見ることは可能だからです。この時期を生き延びるためになすべきことに加えて、生涯をかけて何か偉大な素晴らしいことをしようという若者たちの夢と願いを、もしも私たちが打ち壊し、無いものとし、傷つけているとすれば、彼らはどれほど不幸なことでしょう。生きるためのしっかりとした意味、毎日を始めるためのやる気とエネルギーを与えるような意味を見出せないなら、彼らには何が残るでしょう。

 私はふと思います。私たち大人は自分自身の夢を覚えているでしょうか。皆さんは自分の夢を覚えていますか。私たちが夢を覚えていて、何らかの形でそれが実現していると私は思いたいのです。

 さてそれでは、多くの人々が「ユートピア」は崩壊したと言っている今世紀にあっても、将来の展望と理想そして夢を持ち、分ち合うことは可能であると信じ続けましょう。このパンデミックが終結したのち、私たちの世界と社会が、そして私たちが、ただ元に戻り、あたかも「残念ながら失われた時を取り戻すために」これまで生きてきたこと、行ったことを全く同じように繰り返すことはないと考え、またそう望み続けましょう。考え直す必要のあることがいくつかあるとわかっています。私たちの共通の住い-すなわち地球-が、より心地よく感じられるところ、しっかりと呼吸できるところになるように真剣に取り組むことなどです。いのちであれ、ストレスであれ、私たちが地球に与えることがそのまま私たちに戻って来るからです。もっと公平な社会のために私たちがあきらめることなく歩み続けることを私は夢見て、希望したいのです。この世界のいくつもの場所で(それは私たちが考えるよりはるかに勢いがあるのですが)存在する人種差別がなくなっていくことを、私は夢見て祈りたいのです。

 私たちが、若者たちとこれから続く世代を信頼し、信じることを私は夢見て願いたいのです。

 だからこそ、私は教皇フランシスコの言葉を自分のものとします。夢見ながら、そして夢見るよう出会う人々を助けながら。

 よき主が皆さんを祝福してくださいますように。

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》