総長メッセージ6月 若者たちがいなければ
総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2020年6月)
若者たちがいなかったら、私たちはどうすればいいでしょう。
WHAT WOULD WE DO WITHOUT YOUNG PEOPLE IN OUR LIVES …?
若者たちは、私たちを愛している、教育者として、友人や兄、親として本気で私たちを愛している、と言ってくれました。今日の若者たちは、父性愛の大きな欠如に苦しんでいるのだと。
親愛なる友人、『ボレッテイーノ・サレジアーノ』の読者の皆さん、ドン・ボスコを愛する皆さんには、この問いかけは奇妙に思えるかもしれません。
私はこれまでの人生で、若者にはいつも警戒して身構えなくてはならないと考える数多くの大人たちに出会ってきました。
皆さんが思っているよりも、これはかなり一般的な見方なのです。これは不安や恐れによるもの、私たちとは違うメンタリティーによるものなのでしょうか。
しかし、私はいつも自分に言ってきました。そして、トリノのヴァルドッコ(まさに私たちの父ドン・ボスコが少年たちと生活していたところです)でこの間行われた第28回サレジオ会総会閉会後にも繰り返し自分に言い聞かせています。若者たちは私たちの存在理由なのだと。ちょうどドン・ボスコと彼の「ビリキーニ(いたずらっ子たち)」の場合のように、若者たちは私たちをよりよい人間にし、私たちの心を広げて寛容にさせ、私たちが希望を抱き笑顔を浮べて人生を見るように導いてくれます。
私は心からそう信じています。もしサレジオの教育者が、修道者でも信徒でも、この経験がなければ、その人は教育の現場で生計を立てている単なる「働き手」に過ぎず、情熱をもって「教える技」を生きてはいないのです。
総会での旅路には5大陸出身の16人の若者たちが私たちと共にいてくれました。彼らは25歳から30歳の若者たちでした。到着するやいなや、彼らはすぐに仲間同士、そして私たちとも見事に打ち解けました。彼らが私たちに語りかけ、さらに尋ねたことを皆さんとも分ち合せてください。
「私たちの心は同じ鼓動を刻んでいます。サレジオ会員である皆さんは、皆さんとつながる機会を与えてくださいました。私たちは、一緒にいてほしいと願っています。皆さんはサレジオ会ならではの仕方でそれをしてくださいました。私たちのすぐそばにいて、そして私たちが主役になれるようにしてください」。
彼らも私たちも多くのことを理解するようになりました。その中でも私にとって非常に興味深かったのは次のことです。彼らが互いに理解し合うのが難しかったのは、単に言葉の違いのためだけでなく(全員が英語で意思疎通できるわけではなかったのです)、一人ひとりのものごとの捉え方、習慣、価値観をわかることが容易ではなかったからだと若者たちは言ったのです。彼らは皆、年の近い若者たちでした! 彼らの間にジェネレーションギャップはありませんでした。
彼らがこのことを話したとき、私は彼らの言うことがわかると言い、そして彼らが知っているサレジオ会員のことを理解するように頼みました。異なる年齢、国籍、メンタリティーの人々が共同体にはいるのだと。以前はそのことを考えもしなかったけれど、今、直接体験できた、と彼らは言いました。
言い換えれば、共同体を作り、共通のプロジェクトを行うことは、互いに似ているとか、共通点があるからできるのではない、むしろ同じ理想、同様の価値観を選択することで成し遂げられるのだと、私たちの意見は一致しました。あとは努力と信仰によるのです。
この同じ若者たちが(男女共に)話したことで、私たちは言葉を失いました。おそらくそれは私たち自身でも想像できたことだったかもしれませんが、彼らの口からあのような大きな集まりで聞かされたときの衝撃はかなりのものでした。
若者たちは、私たちを愛している、教育者として、友人や兄、親として本気で私たちを愛している、と言ってくれました。なぜなら、と彼らは付け加え言いました、今日の若者たちは、父性愛の大きな欠如に苦しんでいるのだと。
彼らは旅の道連れになってほしいと私たちに頼みました。私たちが彼らに何をすべきで何をすべきではないと教える必要はないと言いました。自分たちにとって物事を楽にしてもらう必要もないと。どのように考えて生きるべきかを教えられることも望まないと。しかし、たとえ彼らが過ちを犯すときにも、そばにいてほしいと。人生の旅路で寄り添い、彼らが大事な決断をするときにも近くにいてほしいと彼らは私たちに頼みました。
彼らが目に涙を浮べながら話すのを聞いて、私は心が揺さぶられました。神が彼らを愛していること、愛である神、無条件に彼らを愛する神がおられることを私たちが彼らに示してほしい、誰かが今日の世界で、すべての若者にこのことを繰り返し伝え続けなければならないと、彼らは訴えました。
私たちは何も言えませんでした。若者たちが再び、私たちに福音を伝えたのです。
私の先任者の一人であるファン・エドムンド・ベッキ神父はかつて「若者が私たちを救うのです」と書きました。その通りです。若者たちは、毎日の生活の同じ繰り返しから、いくら睡眠を取っても拭い去ることのできない疲労から、私たちを助け出してくれます。安楽な生活をすることからも、希望も信仰も失った人生を送ることからも救ってくれます。結局、凡庸な人間になることから、私たちを救ってくれるのです。
親愛なる若い皆さん、今日の世界に生きる私たちサレジオ会員はあなたたちに言いたいのです。私たちはあなたたちを愛しています。私たちの人生はあなたたちのためのものです。ドン・ボスコにとってそうであったように、「あなたたちのために私は学び、働き、生きています。あなたたちのために私は自分のいのちを捧げる覚悟でいます」。
皆さんが主において大いに幸せでありますように。
サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》