総長メッセージ5月「聖母はおられる、いつも、そこに」
総長メッセージ(”Salesian Bulletin” 2018年5月)
スターバト・マーテル。
聖母はおられる、いつも、そこに。
「すべてをなさったのはあの方です」とドン・ボスコはつねづね口にしていました。
私たちの聖なるみ母は、今日もベイルートでそうなさったように母親としての優しさを放ち続けておられます。
私はそれを目の当たりにしました。
ベイルートからヴァルドッコまで、私たちの聖なる母はいつもそこに共におられます。
読者の皆さんにご挨拶申し上げます。
4月1日に主のご復活を祝った翌日、私はレバノンのベイルートでこのメッセージを書いています。4月1日の復活の主日はサレジオ家族にとって、とても大切な意味をもっています。
何よりもまず私は、この機会を逃さずに、ドン・ボスコと復活祭との関係について触れたいと思います。次の日曜日に200人以上もの少年たちをどこに集めたらよいかわからずゲツセマネの苦しみを味わった後、ドン・ボスコがみ摂理のおかげでピナルディの小屋(現在はヴァルドッコのピナルディ聖堂)を手に入れたのは、まさに1846年の復活祭のことでした。その時の復活の主日から今日に至るまで、私たちはみ摂理と聖母による助けを数えきれないほど経験してきました。
1934年4月1日、ドン・ボスコが聖人に列せられた雨の日曜日も復活の主日でした。そして今年も4月1日に、世界中の置かれたあらゆる場で、さまざまな状況において、復活祭を祝う賜物を主はくださいました。美しい教会で祝うこともあれば、木の下で祝うこともあります。サレジオ会の共同体が最も小さな人々や見捨てられた人々と生活を分ち合っているウガンダのパラベクや南スーダンのジュバの難民キャンプでのように。このようないのちと復活のしるしを与えてくださった主に感謝しましょう。人々は貧しさと痛みのうちにも自分たちが主にとって特別な存在であることを感じているのです。そうした理にかなわない状況をつくり出しているのは神ではなく、私たちに他なりません。
主の受難の金曜日であれ、ご復活の朝であれ、聖母はいつもそこにおられます。私が強調したいのはこのことです:私たちの御母は、キリスト者の世界全体で、ご自身に魅きつけられる心を人々のうちに呼び覚ましておられます。
今日の午後、私はサレジオ会員たちとレバノンの聖母を訪れました。そこは山中の美しい巡礼所で、巨大な聖母像がベイルートの市街を包み込むように腕を広げています。私たちは祈るために小さな聖堂に入りました。多種多様な人々が祈っていて、その多くは若者たちでした。そのことに私は心を強く打たれました。一人の若い母親と14歳ぐらいの息子に私は目をとめました。彼女は目を閉じて一心に、敬虔に祈っていました。息子はその傍らに立っていました。私には少年が黙ってそこにいることにいささか退屈しているように見受けられましたが、彼は母をじっと見つめていました。その場面に感動した私は二人を眺めました。信仰があふれていました。疑いようもなく、その若い母親の心から、もう一人の母、イエスの御母、私たち皆の母へさまざまな思いがあふれていました。
私はこの情景を、そして同じことがいつも起こる数多くのほかの場面を思い巡らしました。聖母は世界中でご自分の子どもたちのうちに豊かな愛情と思いやり、優しさを呼び起こすのだ、と。
今年の5月、私たちはドン・ボスコが聖母の願いに応えて建てたトリノの扶助者聖マリア大聖堂の献堂150周年を祝います。そこは、「これは私の家。ここから私の栄光が輝き出るのです」という御母の言葉が実現された聖なる場所です。
そして今日、御母の栄光は実際134ヶ国に及ぶサレジオの世界で輝きを放っています。サレジオの世界には教会、聖堂、聖母の巡礼所、大聖堂が点在し、そこで御母はすべての文化、すべての民族からなる子どもたちにご自分のもとに来るように、ご自分に会いに来るように呼びかけておられるのです。彼らをご自分の心に抱いて、愛する御子のもとに導くために。
私がベイルートで目にした母と傍らにたたずむ子の情景は、世界中で毎日、数え切れないほど繰り返されているに違いありません。御母が私たちを保護し、見守っていてくださるかぎり、私たちは何も恐れることはありません。
サレジオのまなざしをもって、ドン・ボスコのように「御母がすべてをなさった」と、私たちも認め、そう言うことができます。そして御母はこれからもそうし続けてくださると私は付け加えましょう。
扶助者聖マリアの祭日、おめでとうございます。5月23日、ヴァルドッコで私たちは150周年の祝いを荘厳に開始します。世界中の巡礼所、教会、大聖堂で私たちが心を一つにする、またとない機会となるでしょう。今日もベイルートでそうなさったように、聖なるみ母が母親としての優しさを放ち続けておられるそれらの場所で。私はそれを目の当たりにしたのです。
サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》