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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ4月 香油と炎の二つとして


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2020年4月)

香油と炎の二つとして

私自身が身を委ねている主からいただく恵み、主の助け、世界中のさまざまな場所にいるすべてのサレジオ会員の助け、そして私たち皆が若者──特に最も貧しい若者たち──に抱いている愛、これらのことだけが私に必要な平和と勇気を与えてくれるのです。

 

 親愛なるサレジオ家族と友人の皆さん、私の新たな6年の任期が始まるにあたり、私の心の内にある気持ちを皆さんと分ち合いたいと思います。何よりもまず、神に感謝します。神の愛情深いみ手の中で私たちは互いに出会い、神にあって私たちは皆、動き存在しているのです。神はこの瞬間まで、私たちを導いてくださいました。私がもう一度発した「はい」という言葉は、神と皆さん全員への信頼から出たものです。皆さんは、私たちが愛するこの大事な家族の素晴らしい魂と心を形作っています。

 私の感動は高まっています。

 私はドン・ボスコの後継者、サレジオ家族全体の「父にして統一の要」であることにまだ圧倒されています。ドン・ボスコの霊的遺言で、私たちの父が残したものを読むとき、私は再び言葉にできないほどの感動をおぼえます。そこには次のように書かれています。

 「永遠の世界に旅立つ前に、私はあなたがたに対するいくつかの義務を果たし終えて、私の心の熱い望みを満たしたいのです。(…)私はあなたがたを地上に残して去りますが、それもつかの間のことに過ぎません。(…)あなたがたの総長は世を去りました。しかしもう一人の総長が選出され、あなたがたと、あなたがたの永遠の救いについての配慮に当たることでしょう。私にしてくださったと同様に、彼の言葉を聴き、彼を愛し、彼に従い、彼のために祈ってください」(『聖ヨハネ・ボスコの回想録』第17巻;サレジオ会 会憲会則p.274-275、聖ヨハネ・ボスコの霊的遺言の抜粋)。

 私たちの愛するドン・ボスコの言葉は私の精神と心の中で同時に香油と炎として鳴り響きました。彼の姿はあまりに立派で、私は自分が小さくまたふさわしくないと感じざるを得ません。私自身が身を委ねている主からいただく恵み、主の助け、世界中のさまざまな場所にいるすべてのサレジオ会員の助け、そして私たち皆が若者──特に最も貧しい若者たち──に抱いている愛、これらのことだけが私に必要な平和と勇気を与えてくれるのです。

 大勢の兄弟たちが、私にどう感じているかを尋ねました。私の答えはいつも同じでした。とても平和で自由な気持ちだと。総会と識別のあいだ、私はいつもそれを感じました。選挙の前にも後にも私が感じたのはそれでした。平和と自由──なぜなら、私は以前も今もこの役目を得ようと求めたことはなかったからです。私は精神的には仕事を続ける準備ができていました。これまでの6年間を恵みの年月だったと感じているからです。とは言え、もちろん問題がなかったわけではありませんが、いずれも私から希望や修道会に対する個人的忠誠への望みを取り去るものではありませんでした。しかし、主のみ名において集った総会の思いであるなら、私は自分の奉仕を終える覚悟もできていました。

 この平和と自由をもって、私は総長について期待されていることを私の心に刻むのです。できる限り、私は真の意味で神の人になるように務めます。すなわち、強いカリスマ的・司牧的アイデンティティー、前向きな思考と先見の明を具え、物事の現実を読み取るとき、信仰と希望をもって眺めることができる人です。またできる限り、父親らしさと父としての愛情をもち、私たちの兄弟の近くで寄り添うことのできる人であり続けたいと心の奥底から望んでいます。

 私は一致を築くこと、他者と関わること、寄り添うこと、共通のビジョン/目標を創り出すこと、それぞれの違いを調和させながら一致をもたらすこと、自分の周りに交わりを築くこと、チームワーク、務めを委任することができるように多くのエネルギーを注ごうと思います。

 最後に私は若者たちに目を向けます。彼らは私たちにとって、神との出会いの「秘跡」です。彼らは、神のみ名によって私たちが近づく「燃えるしば」です。彼らは、私たちとすべての人が聖化されるために、ドン・ボスコにおいて神が私たちに与えてくださった聖なる領域です。

 総会での若者たちの存在は、彼らの若さあふれる言葉の力によって私たちを感動で満たしてくれました。

 若者たちは、一緒にいること、見捨てないこと、彼らを成り行きに任せて見捨てたりしないことを私たちに頼みました。彼らは愛してほしいと願いました。私たちを求め、私たちを愛しているからです。彼らは人生の旅路で寄り添うことを私たちに頼みました。そして神が彼らに対して抱いている愛について語れる人になることを私たちに望んでいます。彼らは私たちから建物、たくさんの壁、計画の管理、いろいろな活動すらも求めてはいません。

 第28回総会に宛てたメッセージで教皇フランシスコは、若者たちはドン・ボスコの協同創立者だったとおっしゃいました。教皇様は書いておられます。そのため、彼らと彼らの声音は私たちの最良の音楽であり、そうでなくてはならないのだ、と。ですから、私たちは見捨てられ、危険にさらされ、貧しく、道をそれた多くの若者たちの生活に入り込むように招かれています。彼らは希望のまなざしを待っています。自分たちにとって兄弟、時には父、そしてつねに友になってくれるようなサレジオ会員を彼らは待っているのです。

 目の前に子どもたち、少年たち、若者たちがいるなら、私たちは忠実にならずにはいられません。私たちは二重の忠実を期待されています。若者たちへの忠誠と聖霊への従順です。

 ヴァルドッコで第28回総会を行ったことは、私たちにとって大事なことでした。教皇様ご自身が「ヴァルドッコの選択」と呼ばれたことについて語ってくださいました。私はそれをすでに現実になっているけれど、これからもそうであるべき夢として解釈します。というのも、ドン・ボスコのように私は夢見ているからです。21世紀のサレジオ会員が希望に満ちあふれ、イエス・キリストのために情熱をもつ人物であることを。ちょうどドン・ボスコが築いたような、ヴァルドッコの精神をもつサレジオ家族を夢見ています。子どもたちと若者たちのために、また彼らと共に生きる、主のみ名によって心底彼らを愛する家族です。

 私はまさにドン・ボスコがそうであったように、最も貧しく、見捨てられ、「投げ出され」、除外され、何らかの虐待や暴力に苦しむ人たちを最優先するサレジオ家族を夢見ています。

 もしそれがかなうなら、キリスト者の扶け手である私たちの母は、この修道会とこのサレジオ家族のうちに、すべてをなし続けてくださることでしょう。

 ですから、皆さんに大いなる愛をこめて教皇フランシスコの言葉を繰り返します。夢見てください、大きな夢を。夢見て、他の人びとにも夢見させてください。

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》