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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ11月:いつも全ての人に助けを求めていた神の人


総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2020年11月)

 

ドン・ボスコ

いつもすべての人に助けを求めていた神の人

 

DON BOSCO

THE MAN OF GOD WHO ALWAYS ASKED OTHERS FOR HELP

 

親愛なる友人で「ボレッティアーノ・サレジアーノ」の読者である皆さん、とりわけドン・ボスコと彼のカリスマの友である方々へ、

2020年が終わりに近づいてきたこのとき、皆さんに挨拶を送ります。この1年を私たちは生き抜いてきましたが、困難な年、多くの面で悲痛に満ちた年として今年を思い起すことになるでしょう。私たちを、私たちのライフスタイル、習慣、社会的慣習を、私たちの意図とかかわりなく、変えた年です。少なくとも私たちの個人として、家族として、共同体としての生活リズムが変ってしまったのです。

「ボレッティアーノ・サレジアーノ」の今月号には来る2021年のカレンダーが付いています。来たる年が祝福に満ちた年であることを私たちは願っています。1年の意味について考えながら、私は心の中で大切にしているあることを思いめぐらしました。受けた教育のためなのか、あるいは自分の気質のためなのかはわかりませんが、自分が値しないにもかかわらず、これまでの人生で贈り物として受け取ってきた多くのことがらに、私は絶えず感謝せずにはいられないのです。他の人々も同じように感じているかはわかりません。もしかすると他の人々は、自分でもっているものについて、いのちでさえも、与えられて当然のものとみなしているかもしれません。けれども、私はそう感じないのです。

「ボレッティアーノ・サレジアーノ」今月号の場を借りて、私はドン・ボスコの名において、私たちの恩人である幾千もの多くの方々、世界中で働く私たちサレジオ会員を助けてくださる皆さんに感謝を申し上げたいと思います。この感謝が世界中のサレジアン・ブレティン(ボレッティーノ・サレジアーノ)を通しても伝えられることを願っています。

数日前、自分にできるごく簡単なことを思いつきました。過去6ヶ月を経て、私はインターネットで流すことのできるビデオ・メッセージを作るべきだと感じました。コロナウィルスの影響を最も受けた人々を助けるために、できる限りの手段で寛大に応えてくださった方々に感謝を伝えるためです。簡潔さと真実をこめて、私はそれを果たしました。その結果、数多くのお礼のメッセージを受け取ることになりました。透明性をもって、寄付されたお金で何を行ったか、受け取った総額について説明したからです。説明しないことはあり得ませんし、あってはならないと思っています。

 

ドン・ボスコのように 

ドン・ボスコは数え切れないほど多くの人々に助けを求めることに生涯を費やしました。自分のためではなく、彼の少年たちのためでした。同時に彼は、神のみ摂理を強く信じていました。それだからこそ、彼は疲れを知ることなく、戸口をたたいて回りました。

彼は自分に任された仕事を成し遂げるために人々から金銭的援助や精神的・物質的な助けを求めました。困っている若者のために時間や私財を投じてくれる人なら誰にでも、彼はためらうことなく頼みました。彼は信徒の男性と女性、司祭に助けてもらいました。彼らはドン・ボスコの友人で、多くの方法で協力してくれました。とりわけ、彼は最愛の母、マンマ・マルゲリータから特別な助けを受けました。私は、二人が共にオラトリオを創設したと好んで言いますが、歴史的に見てもこの言い方は正しいと思います。ドン・ボスコの創造性と使徒としての才分に、女性らしい温かさを与える彼の母の母性的細やかさが加えられたからです。オラトリオを始めて、家のドアをたたく少年たちのために働くことのあらゆる困難の中で、彼女は息子に寄り添い、彼を励ましました。マルゲリータの傍らにはミケーレ・ルアの母がいました(ミケーレは最初のサレジオ会員で、ドン・ボスコの第1番目の後継者でした。1859年12月18日、他の青年たちと共に、ドン・ボスコが示したサレジオ的生き方を実践する誓いを立てたのでした)。さらにガスタルディ大司教の母とドメニコ・サヴィオの父もオラトリオで働きました。ドン・ボスコのことをよく知り、彼を愛したこうした人々は、彼の事業に特別なニュアンスを与えました。当時の他の施設とは一線を画するものです。彼らは教育の現場全体に「家庭の雰囲気」を植え付けたのでした。

助けを求める才能によって、ドン・ボスコは初めから、姿を現しつつあったオラトリオの事業のために時間を割いてくれる司祭たちに頼ることができました。司祭である友人たち、その中には、ドン・カファッソのような霊的指導者、神学者のボレル師、ドン・ムリアルドも含まれていました。他の恩人や支援者は、ドン・ボスコによって始められた事業を財政面で助けました―トリノで、同様にイタリアの様々なところで、フランス、スペイン、ラテン・アメリカの宣教地において。

時代は変りましたが、今日の世界、教会、サレジオ会所在地で人々が経験する状況は、ドン・ボスコの時代のものとよく似ていると私は断言できます。ラテン・アメリカ、アフリカ、インド、オセアニアのいくつかの国々の最も貧しい少年たちのための最も貧しい事業所を訪れたとき、ドン・ボスコがヴァルドッコで経験したのとさほど変らぬ状況を目にしていると私には感じられました。

けれどもそれは決して私を落胆させることではないのです。むしろ、私の心の中で確信は新たにされます。あらゆる瞬間に、神の霊は、この世界をより一層人間らしいものにしたいと願う何100万もの人々を立ち上がらせるのだと。疑うまでもなく、あなたも私もその中に数えられます。

皆さんのたゆまぬ働きに感謝します。この働きの価値を信じてくださることに、すべてのこと、すべての人をつねに疑う人々の「辛辣な嫌味」に皆さんが負けずにいることに、そして私たちが希望をもって生きられると信じてくださることに感謝します。これこそ、新しい年のために私がサレジオ家族に提案したいことです。コロナウィルスのこの困難な時に、かつてないほどに私たちは、希望によって衝き動かされるのです。

皆さんの幸いをお祈りしています。

 

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

 


サレジオ家族の創立者ドン・ボスコ

「サレジオ家族」という言い方は1934年4月3日、教皇ピオ11世によって初めて公的に使われた。それはドン・ボスコの列聖式の2日後のことで、列聖式にあずかるためローマにやって来た巡礼者たちに向けて語られたものだった。「皆さんはそれぞれの住まいや仕事場など様々な場所に残してきたすべての人たち、偉大なサレジオ家族全体を代表しているのです」。