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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ10月「サレジオ会の皆さんが大好きです!」


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2018年10月)

サレジオ会の皆さん、ぼくはあなたたちが大好きです!

ぼくたちの多くは、ドン・ボスコもサレジオ会員もいない人生は想像もできません。ドン・ボスコがいなければ、笑いと素晴らしい体験に満ちた、これほど「クレイジーな」表し方で神に首ったけになることなど決してなかったでしょう。

 

 親愛なる友人と「ボレッテイーノ・サレジアーノ」の読者の皆さん、ローマで行われるシノドスを通して教会は若者たちの声に耳を傾け、「母としての愛」を尽くしてそれに応えようとしています。教会と完全に一致して、私たちサレジオ会員も現在準備中の総会で同じようにするために取り組んでいます。

 私たちは若者たち、すべての若者たちの心の声を聴きたいのです。私たちのすぐ近くにいる若者からも、はるか遠くにいる若者からも、私たちを遠くに感じている若者からも。私たちに何を期待するか、どのように彼らを助けたらよいか、さらにドン・ボスコのように私たちが主により忠実であるために、彼らが私たちをどのように助けることができるかを若者たちに尋ねます。たとえ彼らが実際に第28回総会のすべての場に居合わせることができないとしても、彼らの総会への参加には「象徴的」以上の意味があるのです。若者たちは、若々しく、力強く、勇気にあふれ、「大胆」でさえある言葉を通して私たちと共にいるでしょう。そしてその言葉を私たちは喜んで心から迎えるでしょう。

 総会のテーマは「今日の若者のために、どんなサレジオ会員に?」です。これは私たちが問うことのできる最も素晴らしい、最も一貫性のある問いかけです。哲学者のウンベルト・ガリンベルトもこう説明しています。「若者たちは、情熱のある、カリスマを持った教師を求めている。魅力を感じることによって学ぶからである」。若者たちは大人に向ってこう言います。「私たちは大人を憎んではいない。それどころか、私たちがなりたいと望むものになれるよう助けてくれるなら、大人に感謝する。私たちにも夢があり、流れ星のようにその夢が消えてしまうのを見たくはないから」。

「親愛なるアンヘル神父様」

 私は例として、最近受け取ったばかりの2つのメッセージを皆さんと分ち合いたいと思います。最初のものはフェイスブックに届いた個人的メッセージで、2番目のものは最近私が訪問先で出会った若者の証しです。  文法的な誤りも含めて私はその2人が書いたものをそのまま紹介します。ひとつ目は2週間前に若い女性アニメーターから来たメッセージです。

 「親愛なるアンヘル神父様、
 第28回サレジオ会総会に関する神父様のメッセージを見たばかりです。総会のテーマは素晴らしいと思います。このことをお伝えしたくて私は神父様にメッセージを書くことにしました。私たちの現状、私たち若者が必要としているサレジオ会員像について、私は少しばかり時間をかけて考えてみました。私の成長に沿って同伴してくださったサレジオ会員たちとの実際の体験が導きとなってくれました。次の総会は養成または同伴されている若者、またはすでにアニメーターとなっている若者にも‐私たちに向けられる招きを私たちが感じ取ったそのときから‐直接関わっていると思います。
 率直に言って、時々私は一部のサレジオ会員にほんの少し悲しい思いをさせられました。明らかにその方たちはお金の勘定、修道院の所有物、お金を貯めること、建物のこと、事務的なことなどにより気を取られているからです。
 けれども、心に関わることを一番大事にするようにという招きは私を喜びで満たしてくれます。「安楽な地帯」を出るようにという挑戦は私を希望でいっぱいにします。私たちには確信、愛と熱意をもって生きるサレジオ会員が必要だからです。キリストの愛に生きた証人、ドン・ボスコが説いたことすべての模範となれる人たちです。
 そうすれば、私たちはもう一度その生き方に心を奪われ、一人ひとりが自分の務めを果たすことで、私たちの大切なサレジオ家族は大きく成長することになるでしょう。  神父様のことをいつも思います。愛をこめて」。

 次に紹介するのは、この間のメキシコ訪問の際にSYMの青年が皆の前で読み上げてから私に手渡してくれたメッセージです。

 「チャオ、アンヘル神父様。何よりもまず神父様にご挨拶をして、神父様がなさっているすべてのことにお礼を申し上げます。SYMの一員として、ぼくの共同体の体験をほんの少し分ち合えることを本当にうれしく思います。
 ぼくの名前はA.K.、23歳です。国境地域のタマウリパスにあるヌエボ・ラレドの出身です。この文章を書くのはまさに挑戦でした。ドン・ボスコの後継者の目の前で読むのだとわかっていたからです。ぼくたちの愛するドン・ボスコ、神への愛によっておびただしい数の若い人たちを回心へと、忘れがたい体験を味わうこと、自分自身をもっと深く知ることへと照らし導いた、あの方の後継者ですよ。
 ぼくは10歳の時からサレジオ会員を知っています。かつては本当にゴミ捨て場だったところにオラトリオが誕生するのを見たことは大きなお恵みでした。働くこと、変化をもたらすことを願う共同体、ぼくたち若者や子どもが平和のうちに共に生きることのできる場、ぼくたちが自分の時間、自分の労力をささげながら、自由にキリストを愛することのできる場を築いていこうとする共同体が、少しずつ出来てゆくのを見る喜び。
 その間にオラトリオをやり続けるのは大変でした。まわりには麻薬、アルコール、密売、不法移民の問題があふれていて、最も危険にさらされているのは少年少女なのです。ぼくたちが毎日経験する闘いは困難なもので、全員が当事者なのです。
 ぼくたちに寄り添い、このような状況から若者たちを開放しようと努力するサレジオの共同体とボランティアの方々のサポートを認識しなければなりません。けれども、同じように、イエスとドン・ボスコを愛して夢中になる若者たちもいます。第2の家庭、新しい友人、自分らしくいられて健全な楽しみを味わうことのできる場を見つけた若者たちです。
 こうした理由でぼくたちヌエボ・ラレドの若者はドン・ボスコに伝えたいのです。希望を失わず、何にも屈することなく、つらい状況を生き抜くときに彼のように勇敢でありたいと。どこまで行けるかわからないけれど、ぼくたちの夢のために闘いながら……ぼくたちの多くは自分自身に問いかけ続けます。ぼくたちはどんな良いことをしたためにオラトリオを知り、オラトリオで生活するように、ドン・ボスコの模範を学び、分ち合うように選ばれたのかと。
 ドン・ボスコが最も困っている人びとのために生活する場を与え、どのように時間と人生を捧げたかを知り、ぼくたちの心は燃え上がります。ぼくたちの世話をし、イエスを信じ、イエスの模範に従って生きるためのエネルギーを伝えてくれる人びとを送ってくれたのです。
 ぼくたちの多くは、ドン・ボスコもサレジオ会員もいない人生は想像もできません。ドン・ボスコがいなければ、笑いと素晴らしい体験に満ちた、これほど「クレイジーな」表し方で神に首ったけになることなど決してなかったでしょう。ドン・ボスコ、人生の方向を知らず、道に迷っていた人々をあなたは導き、この家、学校、教会、中庭の中で答えを見つけさせてくれました。
 ですから親愛なるドン・ボスコ、ぼくはあなたにお礼を言いたいのです。あなたはいつも若者たちを勇気づけ、やる気を持たせ続けています。そしてぼくの「偉大なサレジオ家族」を生き生きと活力あるものにしてくれていることにも感謝したいのです。そこでぼくは人生の最高の時を過し、素晴らしい人びとと知り合いになりました。その人たちからは、今でも学んでいます。何よりも、それまで考えもしなかったような愛し方で、神を愛する喜びを学んでいます。ここでは、ぼくがぼくであることを喜ぶことができ、他の人びとの前で不安や恥ずかしさを感じずに、自分でしたいことをしてもいいのです。ただサレジオのカリスマを最大限に生きる、そうすることでドン・ボスコのスタイルでぼくはキリストを選んだと言うことができるのです」。

 この2つの証しによって、自分たちの置かれたサレジオの環境で人生を歩むことが若者にとってどれだけ大事であるか、そのサレジオの環境がいかに彼らをイエスとの出会いに導いたかがわかります。同時に彼らは私たちが彼らのそばにいること、彼らの傍らで歩むことを求めています。特に彼らの人生、彼らの心に真に影響をもたらすような、重要な‐最も意味深い‐決断をしなければならないときに、それを願うのです。

 私たちは夢見る人の子どもたちです。ですから、若者たちの夢が流れ星のように潰えることをゆるしてはならないのです。

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父


《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》