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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ1月「ドン・ボスコは様々な色の顔をもつ」


 

総長メッセージ(”Bollettino Salesiano” 2019年1月)

現代のドン・ボスコは様々な色の顔をもっている

私たちに慰めと励ましを与えてくれる数々の素晴らしい話  

 ドン・ボスコの「ボレッティーノ・サレジアーノ」(サレジオ会会報)の読者である皆さんに心からの挨拶を送ります。ドン・ボスコにとって「ボレッティーノ・サレジアーノ」が貴重な手段の一つであったことを皆さんは知らなくてはなりません。それによって彼は、自分とサレジオ家族が行った(そして今も行っている)よいことを世に知られるようにしたのです。

 皆さんに向けてメッセージをしたためながら、私は1月のことを考えています。私たちは若者と教皇様と共にパナマで行われるワールドユースデーに参加し、神がお望みなら、1月31日にはドン・ボスコの祝日ミサも同地で捧げることができるでしょう。パナマの人びとはドン・ボスコをこよなく尊敬しているので、70万人以上が祝日の行列に参加します。そうです! 70万人という数字に間違いありません。

 サレジオ会に関係する多くの聖人の祝日があり、サレジオ家族とドン・ボスコに捧げられた1月に私は心を向けていますが、目下のところ始まったばかりの最高評議会に取り組んでいます。世界の1936か所にあるサレジオ会の拠点のどこかの訪問を終えた最高評議員たちが、その多くは4か月ぶりに、総長と共にローマに戻っているのです。

 はじめの数時間は、それぞれどうしていたか、この数か月間の体験の分ち合いに費やされました。評議員たちの証言に耳を傾けながら、私は様々に思いを馳せました。どれもが素晴らしい証しでしたが、実に多様で美しく、また時に困難に立ち向うものでもありました。そのため、私は今回のメッセージのタイトルを、現代のドン・ボスコは様々な色の顔をもつ、と付けたのです。

●モスクワから東に6000km、シベリア中央にあるヤクーツクのサレジオ共同体について、評議員から聞きました。サレジオ会共同体は、カトリック信徒がごく少数のその地で(実際にその評議員が訪れたとき日曜日のミサに与った信徒は15人でした)、人びとに寄り添い、日々の生活、喜びと困難を分ち合っています。

●別の評議員は、ヌエボ・ラレド、シウダーフワレス、ティファナやその他のメキシコの国境地帯の多くの貧しい家族と彼らの困難に差し出される同伴に感動したことを話してくれました。サレジオ会員たちはそうした多くの家族に寄り添い、子どもたちが麻薬や性的搾取のネットワークから日々ますます自由になれるよう教育を行っています。

●またある会員はナイジェリア、ガーナ、シエラレオネ訪問のことを話しました。ドン・ボスコが170年前にトリノのジェネララ少年刑務所でしたように、そうしたアフリカの地でサレジオ会員たちは刑務所にいる青年たちに同伴しています。刑務所での体験は若い司祭であった彼に強い衝撃を与え、そのためにひどい胃痛を起こさせたほどでした。それをきっかけにドン・ボスコは、青少年が出所後再び刑務所に舞い戻ることのないようにできる限りのことをする決意をしました。今日のアフリカの国々の状況は、ドン・ボスコを取り巻いていた状況より決してましではありませんが、刑務所の若い人びとはサレジオ会の友人たちの訪問を日々、受けています。

●私自身も訪れたことのあるアフリカの別の国のサレジオ会施設について尋ねました。生体移植をする内臓を取るために誘拐された子どもやティーンエイジャーを受け入れている共同体です。主のご加護により警察によって救出された子どもたちは、家族が見つかるまでサレジオ会が世話するよう委託されています。私たちのもとに数年間とどまる子どもも多くいます。

●そして私はいくつもの韓国のサレジオ会修道院を訪れたときの素晴らしい体験を分ち合いました。たいていの場合、10代やそれより少し上の青年で軽犯罪のために判決を受けた男子が家族的な、まさに「自分の家に」いるような雰囲気の中、サレジオ会員と共に生活しています。自由を奪われてしまう他の施設に送られる代わりに、その若い人びとは数か月から1年ほどの間サレジオの家に預けられ、更生プログラムを受けます。私が実際に会った3人の判事から聞いたところでは、喜ばしいことに彼らのうち85%以上が決定的に立ち直り、非行に戻ることがないそうです。これもまた今日のドン・ボスコのもう一つの顔 - ここでは、アジア系の韓国人の特徴を備えた顔なのです。

 このような話を聞きながら、ドン・ボスコは喜んでいるに違いないという思いが私を強く揺さぶりました。彼の息子、娘たち、彼のサレジオ家族が、今もなお神ご自身がおこされたカリスマに忠実に力を尽くしているからです。そしてまた評議員たちの報告 - 行われていることの氷山の一角に過ぎないのですが - は私に大きな喜びを与えてくれました。大勢の人びとのために大いなる善が行われているからです。ですから、私は現代のドン・ボスコの顔は、彼自身夢にも思わなかったほど様々な色をしていると考えるのです。

 親愛なる「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者の皆さんと私の思いを分ち合うのは、今存在している、そして行われている素晴らしい事柄をも、私たちは広めていかなくてはならないと考えるからです。以前、「倒れる木は、静かに成長する森よりも大きな音を立てる」という中国のことわざを私は習いました。これはまさに言い得て妙です。私が皆さんと分ち合ったことは、静かに成長し続ける森の一部、そのごく小さな一部なのです。

 ドン・ボスコの祝日おめでとうございます。パナマの素晴らしい若者たちの群衆の中で、私たちは皆さんのことを思い出したいと思います。

 心をこめて   
 ドン・アンヘル

サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父


《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》