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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ4月:真の復活~人々の生き方に触れ、人々を変えるもの


総長メッセージ 4月(”Bollettino Salesiano” 2021年4月) 

 

真の復活

人々の生き方に触れ、人々を変えるもの

THE TRUE RESURRECTION

The one that touches peoples’ lives and transforms them

 

「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者である、友人の皆さん、ドン・ボスコによって創刊されたこのサレジオ会の月刊誌を通じて今回も心からの挨拶を送ります。この月刊誌を通して、神に忠実でありたいと願うドン・ボスコのもとで誕生し、少しずつ成長していた若いサレジオ会の真の姿を伝えたいと、ドン・ボスコは望みました。1877年に出されたある号にあるように、「魂と市民社会の善のために尽くすサレジオ会の使命に即して成されたこと、成すべきことを報告するために出版された」のです。

今日の「ボレッティーノ・サレジアーノ」も、サレジオ会の始まりから162年を経てなお、ドン・ボスコのサレジオ家族が、この世界をより人間的で尊厳あるもの、真っ当な生き方であふれ、神が与えられる真の光に照らされたものとするために、ささやかながら貢献し続けていることを、皆さんが感じる手立てとなることを願っています。

《復活したキリスト》

今月号のイタリア語版の表紙として、私たちはピナルディ聖堂内の復活したキリストの絵を選びました。聖霊によって興されたサレジオのカリスマが根を下ろしたその貧しい起源の場は、今日では聖体礼拝のためのささやかながら尊い静謐な空間となっています。それは、主の復活がすべてを変えたこと、これからも変えることを私たちに思い起させてくれます。私たちの自由によって、神が夢見た人間らしさを現実のものとすることは、私たちにかかっているのです。

私は好奇心に駆られて、「復活」という言葉について取り上げられていることをインターネットで検索してみました。もちろんキリスト教の信仰に関するものを見つけましたが、かなり雑多なものも詰め込まれていました。復活と題された映画もどのようなものがあるか見てみました。私たちの信仰とは全く関係のないものでした。たとえば”Mechanic: Resurrection” (邦題『メカニック:ワールドミッション』)などは、解説によると暴力と復讐の物語で、私たちの信仰の中心となる神秘とはまさに正反対のものでした。

皆さんはどうして私がこのようなことを取り上げるのか不思議に思うかもしれません。それは、私たちがあらゆるものを見つけられる世界に生きていることを強調したいからです。信仰と信仰の否定、自由と隷属、子どもの権利の推進と未成年の強制労働、女性の尊厳の尊重と女性の搾取、社会正義と不正・腐敗、連帯・食物の分配と尊厳ある生き方に必要なあらゆるものの欠如。この調子でいくらでも続けることができます。私たちの世界は想像できるすべてものを見つけられるノミの市(※イタリア語からの訳)のようです。けれどもすべてがよいものではなく、すべてが私たちにとってよいものでもありません。

《希望を持たずに生きることなどできはしません》

私たちが祝っている復活節、主の過ぎ越しの神秘、主の死と復活の大いなる出来事はいのちの充実、来世について私たちに語りかけます。また、私たちの人生の歩みにおける希望と人間らしさ、神のうちにあって生きる現在と未来、愛である神の現存が日々感じられるささやかな日常の現実についても語ります。

私がこの文章を書いているちょうどこの時、教皇様はイラクに向かっています。平和と和解、正義を告げるための司牧の旅です。神のうちに生きる信仰の人として、傷が癒され、人間の過ちによってできた裂け目が閉じられ、人々の中に新たな人間的出会いが生れることを深く願っておられるのです。

あまりに多くを望み過ぎでしょうか。絵に描いた餅に過ぎないでしょうか。私はそうだとは思いません。私はそれが可能だと信じています。これまで何度も言ってきたように、人々の心と生き方を変える奇跡は、日々、世界で起きているのです。人々が信じ、信頼したから、他の人々の必要に応えるために手を差しのべたからです。

ヴァルドッコのピナルディ聖堂の復活したキリストは、神によって導かれることの意味を、信仰を生きることの意味を私たちに思い出させます。まさにドン・ボスコがしたように地に足をしっかりと付け、人々の叫びに、私たちの近くの人の叫びに敏感になって。

おそらくは皆さんの中の多くの方がそうであるように、私もまた希望を、神から与えられる力によって養われる深い希望を持ち続けることを求める一人です。どうしてだか、わかりますか。希望を持たずに生きることなど、私にはできないからです。希望がなければ、どのように生きればよいかわからなくなるでしょう。希望なしに生きることは、もはや私にとっては生きることではなくなります、少なくとも「豊かないのち」ではなくなるのです。

ご復活おめでとうございます。神の現存に満たされた、かけがえのない時をお過しください。

 

 

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》