総長メッセージ「深く根をおろし、しなやかで、豊かに」
総長メッセージ(2017年10月)
アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
欠くべからざるものに深く根をおろし、しなやかで、豊かであること
美しいヴァッロンブローザの森のモミの木が与えてくれたいのちと知恵の授業を、私は決して忘れはしないでしょう。
親愛なる読者の皆さんとサレジオ家族のメンバーである方々に心からの挨拶を送ります。今回は、私がごく最近具体的な体験を通して感じたこと、自然から学んだことを皆さんにお伝えしたいと思います。
この7月、私は最高評議会のメンバーと共に静穏で平和に満ちた黙想の時を過すことができました。私たちはフィレンツェ近郊のヴァッロンブローザの修道院に滞在しました。そこは海抜1000メートルに位置し、自然の美を堪能できる素朴で飾り気のないところです。何千本もの針葉樹に囲まれ、とても涼しく、祈らずにはいられなくさせられる場所です。その木の多くは高さが20メートルを越えています。イタリアの森林の中でも最も大事なものの一つです。というのも、大量の酸素を大気に戻しているからです。
まさにそこで、私は心に刻まれる生物学の教えを学んだのです。そこのモミの木はとても高く真っ直ぐにのびています。けれども葉の茂り方はまばらで、枝もごくわずかです。まるで、生息して成育するために欠かせないものだけをもっているのだと言わんばかりです。
私はこうした特性について専門家に尋ねました。そして、ここの木は三つの特質を具えていることを教わりました。とても深い根、とてもしなやかな幹、最小限の枝と葉です。
その理由を知った時、私はさらに感銘を受けました。
そこのモミの木は湿り気と水分を見つけるために、かなり深く根を下ろさなくてはなりません。とりわけ、山の中でも焼きつけるような気温のために土が乾ききってしまう夏に、それは必要とされることなのです。
専門家の話によれば、多くが25メートルにも及ぶ高い幹はしなやかさを必要とします。そうすれば、強風にさらされても負けずにしなることができるのです。もし代わりに硬直して堅く、しなやかさに欠けているなら、その高さゆえに一層危険なことになり、強い風が吹いた時、たやすく折れてしまうでしょう。
最後にたいそう貧弱な枝ぶりは大雪から身を守るために獲得された進化上の特徴だと言えるのです。もしも多くの枝と葉が生い茂っていたなら、雪の重さで折れてしまい、木全体を危険に陥れることになるのです。
私は畏敬の念を抱きました。このように説明されると、モミの木がそのような造りになっている理由は明らかでした。私の思いは直ちに私たちに向かいました。心の中で思いました。何と見事なたとえなのだろう。私たち人間にとって、人生についてどれだけ自然から学べることだろう、と。
深く根を下ろすこと、しなやかさ、軽やかさ―これら三つの特徴から生き方を学べるなら、私たちは背丈を伸ばし、真っ直ぐに忍耐強さをもって成長してゆけるでしょう。深い根と、落ち着き、穏やかさ、平和の「新鮮な水」を見つけさせてくれる内的な豊かさを具えているなら、たとえ好まざる困難な月日を過すことになっても、私たちは決してくじけないでしょう。
本質的なことをふまえて柔軟であるなら、大事なことがかかっているとき融通をきかせて対処できるなら、愛から生れる対話、傾聴、忍耐、近しさをもって頑なさに取って代えることができるなら、私たちはたやすく折れてしまうことはないでしょう。
もしも私たちが本質を成すものだけを、言い換えるなら、紛れもない真実なもの、絶対に必要なもの、私たちを完全に満たしてくれるものを真剣に探し求めるなら、その他多くのものは全く相対的なものとなり、私たちはあらゆる意味でより満たされ、豊かになったと感じるでしょう。
自然から得たこの学びは、家庭を人生と愛の学び舎となるべく招いている今年にふさわしいと思われます。この学びは、人との関わり、家庭内の絆、学校と教育、子どもたちへの同伴においても有効です。
実にこの学びは私たちの愛情、友情、職場の人間関係にもあてはまります。要するに私たちが誰であるか、どのような状態であるか、どれだけ成長し成熟するかが問われるとき有効なのです。
森について、とりわけ真っ直ぐに高くのびたモミの木について思いめぐらすとき、私はこの学びを忘れることはないでしょう。
皆さんに心をこめて結びの挨拶を送ります。皆さんも、もしよければ、自然そのものが与えてくれるこの素晴らしい学びを感嘆のうちに受けとめてみてください。創造の主はどれだけ見事なしるしを残してくださったことでしょう。
皆さんが幸せでありますように!
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》