総長メッセージ「イエスは小さく貧しい人々の腕の中に」
総長メッセージ(2018年2月)
イエスは小さく貧しい人々の腕の中に
イエスは私たちの働き、献身、善意を通して人類を救済し続けておられます。私たちが道を見失わないように、歩むべき方向を示してくださいます。そして私たちが苦労して歩んでいる人々、最も小さな人々、最も貧しい人々、そして最も忘れられている人々をつねに支えられるように。
降誕節の間、私はとある伝説を思いめぐらしていました。羊飼いたちは救い主、イエスの誕生の知らせを受け取ると、ささやかな贈りものを携えてその幼な子を探しに出かけました。たとえば、牛乳やチーズ、蜂蜜といった類のものでした。
羊飼いたちにまじって赤ちゃんのための贈りものを持っていない一人の男の子がいましたが、彼は手ぶらであることを恥じて気まずい思いをしていました。
星に導かれてその場所に着いた時、彼らは幼な子とマリアとヨセフを見つけました。マリアは腕に幼な子を抱いていたので、羊飼いたちを歓迎し、感謝を表して贈りものを受け取ることができませんでした。そこで伝説によれば、何も持たずに来た少年にイエスを預けたというのです。おかげでマリアは羊飼いたちをもてなすことができたのでした。
その物語は羊飼いたちの中で最も取るに足らない者が、その夜、救い主イエスを腕に抱いた最初で唯一の人物になったと締めくくっています。
この伝説とそのメッセージから、私たちは神の愛はとりわけ最も貧しい人々、小さな人々、最も助けを必要とする人々、この世界で最も拒絶された人々へと向けられていることを読み取ることができるのです。
イエスが始められたことを成し遂げましょう。
私がここで取り上げたいのはまさに上述したことです。五大陸のさまざまな地でサレジオ会の事業所を訪れた時、心、思いの中で幾度となく感じ、考えたものです。私が出会った人々、大人であれ青年や少年少女であれ、貧しい人々の中でもとりわけ厳しい貧しさのうちにある彼らこそ、疑うことなく神の眼差しと神のみ心において特別なところに置かれているのだと。もちろん私たちは皆、神のみ心に抱かれています。誰もが神の息子、娘です。けれども、最も小さきものである彼らこそ、最も神のみ心に近いところにいるのです。神は自分の子どもたちに無条件の全き愛を注ぐ母親のような方です。ほかの子どもたち皆に対する愛を出し惜しみすることなく、それでもなお、最も助けを必要とする子どもには特別な注意を向ける母親のようなのです。
この文章を書きながら、私の思いはケニヤ北部カクマの難民キャンプの人々に向います。そこではサレジオの共同体が数年前から人々と共に生活しています。ウガンダの難民キャンプのことも考えました。1月末のドン・ボスコの祝日の後、いろいろな国出身の会員で構成される新たなサレジオの共同体が、戦争、飢餓、生活を脅かす危険から逃れてきた人々、若者たちの物語を分かち合うため、そこへ赴くことになっています。
モスクワから北東に数千キロも離れたところにあり、世界中で一番寒いとされるシベリアのヤクーツクのことも思いました。そこにもサレジオ会の宣教共同体があり、小さな集落の人々(おそらくあの伝説の羊飼いの少年のような人たち)と生活を共にしています。彼らはあるとき、サレジオ会員に言ったそうです。「皆さんがここにいてくださることを神に感謝します。私たちは神からも忘れられたかと思っていたのです」と。このような言葉は、私たちの心を圧倒します。
世界のさまざまな場所で出会ったストリートチルドレンのことを思いました。教皇フランシスコの言葉を借りるなら、まさに「置き去りにされた」子どもたちです。人間の尊厳のうちに成長してゆくチャンスがかけらもないのです。しかし、ベツレヘムの門にたどり着いたなら、私よりもずっと先に幼な子を腕に抱くのはこの子たちなのだと私は心に思いました。
私たちは人生においてかくも強烈で、時に痛ましい現実に遭遇するのです。
世界中に蔓延するこうした状況を踏まえ、国連事務総長が心痛と懸念をこめて、年度末の評定で、かつてなかったほどに人間性が損なわれ、さらに多くの危機に向っていると述べたにせよ、私たちは信仰と希望を失ってはならないのです。人間となって人間の歴史を担った神の御子によって、私たち人間は贖われ、救いを得たのですから。私たちは自由な意志によって、神から与えられたこの救いのわざに携わって行かなければなりません。最も貧しい人々、取り残された人々、困窮状態にある人々が存在価値がないかのような方向へ歩んではならないのです。
これは私たちが果たさなくてはならない人間としての大いなる務めです。それはまだゴールには達してはいないからです。
私たち皆が、この文章を読んでいる皆さんも、新たな人類、よりよい世界を造り続けていくよう招かれています。あの伝説にあったように、神の御子、救世主である幼な子、自分の心しか差し出すものを持たなかったあの少年にマリアが托したあの御子を、私たちが自分の腕に抱くに値する者となれますように。
2018年が皆さんにとって祝福された年となるよう心から願います。
サレジオ会総長 アンヘル・フェルナンデス・アルティメ
《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》