ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長「私たちはなぜ豊かな命を持っているのでしょうか」


 

 

総長メッセージ(2017年4月)

アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

私たちはなぜ
豊かな命を持っているのでしょうか

 私は世界中で活動するサレジオ会員に思いを馳せます。私たちの夢は彼らがすべての若者たちにとって真のいのちの渡し手となることです。あふれんばかりの豊かないのち、本物のいのち、正真正銘のいのちが若者たちに尊厳を与え、神が彼らの人生の中におられることを体験する手助けとなるように。

 

 親愛なるサレジオ家族の皆様、復活祭のお祝いが近づいています。

 私たちは復活祭を祝う意味をよくわかっています。それにもかかわらず私たちは、復活の出来事の豊かさを深めるようにと、年毎に招かれなければならないのです。

 復活なさった主イエスはいのちに、もうひとつのいのちによみがえられました。このようにして、父なる神は、死や死がもたらすもの―暴力、利己主義、戦争―が最後に勝ち誇るのではないことを世界に示してくださいます。搾取され、虐げられ、抑圧され、除外されて人間関係において苦しんでいる人々の疲弊や苦悶といった死も、最後に勝ち誇るものではないと。

 なぜなら、神が人間、私たち皆のために望んでおられるのは、私たちがいのちを、それも豊かないのちを持つことだからです。

 

極東から西の果てまで、太陽が地球の上を動いてゆくように

 必然的に私は世界中で活動するサレジオ会員に思いを馳せます。私たちの夢は彼らが若者たちにとって真のいのちの渡し手となることです。あふれんばかりの豊かないのち、本物のいのち、正真正銘のいのちが若者たちに尊厳を与え、神が彼らの人生の中におられることを体験する手助けとなるように。

 私の思いは東から西へと飛んでゆきます。サレジオの世界で毎日真っ先に朝を迎える場所、サモア諸島のサヴァイのことをまず思います。その地で私は素晴らしい若者たちと彼らの日々の歩みに同伴するダイナミックな共同体を知りました。そして私の思いは、サレジオの世界の西の端、アメリカ合衆国の西海岸にも向かいます。

 あたかもドン・ボスコが自らの修道会の拡張を夢見た時のように、数多くの場所でサレジオの世界のごく簡素な修道院が青少年に生活・いのちを提供する家となっていることを知り、私は嬉しく思います。サモアで、ソロモン諸島やパプア・ニュー・ギニアで実生活に向けて準備するための職業訓練が行われています。コルカタやデリー、チェンナイで、さらにその他の多くの場所では、路上の生活をやめた少年少女がサレジオ会の家で家庭の温かさや愛情を見出して新しい生活を始めています。

 イスタンブールや傷ついたアレッポのサレジオの家でもそうです。アフリカのサレジオ家族の何百もの家でも:アディスアベバのストリートチルドレン、シエラレオネの性的搾取から助け出された少女たち、モザンビークやアンゴラのストリートチルドレンはその一部に過ぎません。

 カターニアやナポリ、さらにヨーロッパの多くのサレジオの事業所に迎えられた移民の若者たちもいのち・生きることを求めています。そしてコロンビアでゲリラ戦を逃れ、今ではメデジンのドン・ボスコ・シティで暮らす青少年もいのちを見出しました。米国と国境にあるメキシコの町、ティファナでは何千もの行き場を失った人々のために私たちの兄弟姉妹がきわめて素朴な形で生活を共にしています。

 主の復活の祝いがこれらすべてのこと、そしてさらに多くのことを私のうちに呼び起こします。神も、神の神秘も、イエスを復活させた聖霊の力もなしに、祝いはあり得ません。神の子どもたちのいのち・生活と苦しみに目もくれないかのような「空虚な精神主義的な」祝いになってしまってはいけません。神の子どもたちはイエスにとって大事な存在でした。毎日、イエスは人々、特に最も貧しく最もか弱い人々のいのち・生活に寄り添おうとされたのです。

 私の友人である皆様、単純でありながらきわめて重要なこうした事柄から目をそらさないようにしましょう。主の復活のお祝いが喜び、希望、深い信仰で私たちを満たしてくれますように。いのち・生活を打ち壊され、傷つけられ、この世界の暴力、苦悩、圧迫によって束縛された人々にいのちを、豊かで尊厳に満ち、まさしく人間らしいいのちを差し出すことを私たちの継続的目標とすべきです。

 皆さんを招きます、復活の力によって、「善きいのち・生活」を実際に持てずにいる人々に対して、無関心でいることに決して慣れてしまわないようにしましょう。

 ご復活おめでとうございます!