総長「宣教の心を持つサレジオ家族を夢見て」
総長メッセージ(2016年11月)
私は宣教の心を持つサレジオ家族を夢見ています
アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父
第147回宣教派遣は、主が創られ望まれた人類を愛し続けてくださること、そして私たちサレジオ家族が特別な方法で神のはかりがたいやさしさを感じていることを宣言しました。
まさにこの豊かな愛が、私たちのまわりに「あふれ出る」ことを求め、要求の高い忠実さをもって応えるように促すのです。
ヴァルドッコは今回もまた新しい宣教者の出発という輝かしく感動的な日を体験しました。1875年11月11日、ドン・ボスコは最初の宣教師たちをパタゴニア(アルゼンチン)に送り出しました。勇気あふれる青年ジョヴァンニ・カリエロを団長とするあの伝説的な「最初の宣教派遣」です。私たちもよく知っているとおりドン・ボスコは若かりし頃、宣教師になる夢をあたためていました。しかし召命の識別に同伴したドン・カファッソはドン・ボスコに宣教のために旅立ってはいけないと言い、その道を「閉ざした」のでした。本年9月25日、私は第147回宣教派遣で修道者と信徒合わせて43名の宣教者の出発を祝いました。
ドン・ボスコの「秘められた」夢は、あの不幸な二度の大戦の間も途絶えることはなかったのです。
今回は18名の若いサレジオ会員と17名のFMA会員が故国と愛する人々を後にし、地球上の様々な地点へ向かいます。彼らに加えて7名の青年(女性6名、男性1名)が1年間の社会奉仕と宣教活動を行います。
修道者はもちろん「永久に」という選択をしました。彼らは教会の一員として、貧しい人々、見捨てられたと感じている人々、また困難な時を過ごすサレジオの兄弟姉妹会員たちと共にいるために命を差し出しているのです。神は苦しむこどもたちのそばにいてくださるからです。
この行為は語りかけ、宣言します。主はご自身が創られ望まれた人類を愛し続けてくださると。そして私たちサレジオ家族が特別な意味で神のはかりがたいやさしさを感じていることを。まさにこの豊かな愛が私たちのまわりに「あふれ出る」ことを求め、要求の高い忠実さをもって応えるように促すのです。
私は宣教者たちに、私が夢見る宣教的サレジオ家族は4枚の「花びら」を持っていると話しました。
1.人類の宣教者であること
私たちはこの世で何らかの征服をするための宣教者なのではありません。私たちは、私たちを迎えてくれる人々と人生を分ち合うための宣教者です。いかなる状況、境遇にあっても、奉仕するための宣教者です。飢えている人々に食べさせ、渇いている人々に飲ませます。その結果どのようなことを被ろうと、そうすることがよいことだからです。
福者パウロ6世教皇は第二バチカン公会議の閉会にあたり、公会議の教えは唯一の方向に定められていると強調しました。「人に仕えること。あらゆる状況に置かれ、あらゆる弱さと必要性を抱えた、人類の一人ひとりに」。私がトリノの大聖堂で話したように「あなた方は、たどる道で出会う男性、女性に奉仕するために派遣されるのです。多種多様な人々、先祖伝来の豊かな文化を持つ人々、夢や希望を抱き、苦悩を抱える人々に。
あなた方は、ご自分の家庭と文化から受け取り、主イエスとの信頼に満ちた関係において日々養い深めてきた、自らの豊かな人間性を携えていかなければなりません」。
2.いつくしみと兄弟愛の宣教者であること
宣教に関する私の夢の2枚目の花びらは1枚目の結果です。私は宣教に旅立つ人々に話しました。「人類の宣教者であるあなた方に、私はいつくしみと兄弟愛の宣教者でもあるように願います。今日世界は至る所で苦しんでいます。あなた方は戦争、分裂、極端な貧困、難民、飢えた人々、病んでいる人々、見捨てられた人々をみつけるでしょう。さらに人種差別や外国人排斥の問題にも出会うでしょう。けれどもあなた方は平和と発展、ゆるしと兄弟愛のメッセージを伝えてください。スピーチや説教によってだけでなく、あなた方自身の生き方、日々の生活、あかしによって伝えるのです。同朋となった人々の苦しみを前にして、あらゆる苦難や欠乏の状況に直面してもなおサレジアンとして「中立」でいるということはありえません。私たちの答えはできる限り早く出さなければなりません。人々の生活に寄り添うことを模索し、彼らと共に可能な解決策を探し出すのです。そしてまた私たちの答えはつねに福音の答え、人間の尊厳、生命と被造物に対する敬意に即した答えであるべきです。
世界は今日、兄弟愛と連帯を切実に必要としているのです」。
3.最も恵まれない人々のための宣教者であること
今日サレジオの宣教者であることは、最も恵まれない人々と小さな人々のための目と心を持っていることを意味します。私は宣教者たちに語りました。「彼らを見るため、向き合って彼らを見るためのよく開かれた目を持ってください。彼らを受け入れるための心を持ち、腕を広げてください。彼らのために自分の生涯を捧げる勇気を持ってください。ドン・ボスコのようにあなた方はすべての人の近くにいることができます。けれどもあなた方の心はいつも最も恵まれない人々と共にあり、あなた方の人生はいつも最も恵まれない人々のためのものでなければなりません。
不安定と苦難の状況を生きている多くの人々に心を開いてください。声を持たない人々のそばにいるために、彼らにふさわしい正義が実現されるために、兄弟愛と連帯によって人生の傷を癒すために、助けずにいるだけでなく相手への侮辱となる無関心を遠ざけるために。
そして最も恵まれない人々について、私たちはあらゆる種類のニーズに応えて助けますが、父であるいつくしみに満ちたよき神について語るイエスの福音を告げ知らせることを怠らないようドン・ボスコから教わったことを、決して忘れないでください。ドン・ボスコは何よりもまず神でいっぱいの心を持ち、神の感覚と神に対する信頼を少年たちに抱かせるように努める教師の心を具えた司祭でした。」
4.弟子であるがゆえの宣教者であること
私たちが宣教師であることの根源と力が弟子であることに由来することを忘れてはいけません。私たちは本質的に宣教する弟子、信ずる者の共同体の一員なのです。それは、ご自分のみ名において教え、この地上の一人ひとりをご自分の息子、娘として愛しておられるいつくしみに満ち信頼できる父を、すべての国が知ることができるようにしなさいという、イエスのいいつけを真摯に受けとめる共同体です。
私たちはまた、百年を越えるサレジオ家族の伝統を受け継ぐ者でもあります。
誰よりもまず最も貧しく困っている人々に示される神のはかりがたいいつくしみと無償の愛を、勇気をもって告げ知らせてください。
師であり扶け手であるいつくしみの母マリアが日々いかなる道においてもあなた方に寄り添ってくださいますように。貧しい人々、最も貧しい少年少女、青年たちの求めるものに気づけるように、マリアに学んでください。私は確信しています。あなた方が彼らのことをいつも心に留めていると。マリアに倣って神をほめたたえてください。この地上のあらゆるところ、あらゆる文化や国々において神は驚くべきわざを行ってくださるのですから。