ローマ本部 無事解放されたトム神父インタビュー
(ANS – 2017年9月18日 ローマ総本部) http://www.infoans.org/en/sections/interviews/item/3998-rmg-interview-with-father-tom
1年半にわたりイスラム過激派に拘束され、先ごろ解放されたトム・ウズンナリル神父が、ANSのためいつくかの質問に答えてくれた。
──この18か月をどのように過ごしていたのですか? 誘拐犯たちの扱いはどうでしたか?
待つことで過ごした長い時間でした。何をしたらいいかわかりませんでした。祈るほかは。
手足を縛られていました。動くことを許されたのは数日だけでした。
できるだけ祈りました。できるだけ多くの意向のために祈り、時間を過ごしました。毎晩、祈ってから、教えている技術科の授業のことを考え、授業の準備をしたりしてそれから眠りにつきました。毎日そのように過ごし、外の世界とは全く接触がありませんでした。自分がどこにいるのかも知りませんでした。
誘拐犯たちが私にひどい扱いをしたり、拷問したりすることはありませんでした。1日3食をくれて、私自身について詳しいことを聞かれました。家族のこと、行ったことのある場所、知っている人のことなど。囚人として、1日中、地面に置かれたスポンジのようなものの上に、手と足を縛られて座っていました。疲れると少し眠ったり、横になったり、そのように毎日過ごしていました。
──アデンでの襲撃事件でシスターやほかの人たちが亡くなったと知ったとき、どのように感じましたか?
あれは2016年3月4日の金曜日でした。朝、5人のシスターたちのため聖体礼拝と聖体による祝福を行った後、朝食をとりました。それから聖堂で、一人でまた祈っていました。8時40分ごろ、ちょうどシスターたちの修道院から出てきたところでした。とたんに銃声が聞こえ、襲撃犯の一人に手をつかまれた私は、自分はインド人だと言いました。彼は、施設の敷地の正門近くにある守衛所のそばで、私を椅子に座らせました。シスターたちはすでに、お年寄りの介護の仕事場へ行っていました。襲撃犯の中の中心人物はその仕事場へ行き、まず2人のシスターを連れて来て、それから戻って、さらに2人のシスターを正門近くに連れて来ました。5人目のシスターを探しに行きましたが、敷地の中で見つけられませんでした。それから、シスターたちが捕えられている正門近くの場所に戻ってきました。そして、まず2人のシスターを少し離れたところ、私から見えない所へ連れて行き、射殺しました。それから戻り、私の近くにいたもう2人を連れて行き、射殺しました。すべては敷地内で起こりました。私はただ、神に祈りました。シスターたちの罪をゆるし、迫害者たちの罪をゆるし、皆をあわれんでくださいと。私は泣きませんでしたし、死は怖くありませんでした。
それから犯人は、敷地の近くに停めていた車の後ろに私を乗せ、ドアを閉めました。犯人はシスターたちの聖堂へ行き、ご聖体を納めた聖櫃を取ってきて、私を閉じ込めた車の後部に放り込みました。私を乗せたまま、車は走り出しました。
私は大きな苦しみを感じていました。神に祈りました。シスターたちにあわれみを、殺されたほかの人々にあわれみを、そして人殺したちをゆるしてくださるように。み旨を受け入れ、最後まで神に忠実であるため、恵みと力をくださるよう、主に祈りました。この地上のこの人生で私にくださる使命に、私が忠実であるようにと祈りました。
──囚われの身の体験の中で、祈りの生活とサレジオのカリスマはどのように助けになりましたか?
昼夜を問わず、目覚めている時間の大部分を祈りにささげました。お告げの祈りで1日を始め、それから主の祈りを1回、亡くなったシスター一人ひとりのためにアヴェ・マリアを1回ずつ唱え、続けて自分の管区のため、会のため、小教区、家族のため、できるだけ多くの人を思い出して、その人たちのために祈りました。それから自分を捕えている人々のためにも祈り、彼らをゆるしてくださるよう主に願い、彼らの回心のために祈りました。ホスチアもぶどう酒もなく、ミサ典礼書や聖務日課の本もありませんでしたが、毎日、霊的にミサをささげました。ミサを主にささげ、その日の朗読のためには、旧約か新約のエピソードを思い起し、福音のためには何かの奇跡やたとえ話、あるいはイエスの生涯のエピソードを思い起し、黙想しました。また、亡くなったすべてのサレジオ会員、家族、教会の信徒、知人、皆のために祈りました。思いつくかぎりたくさんの意向のために祈りつづけました。そして、もし自分が自由の身になることが主のみ旨であるなら、解放されるようにとも祈りました。よくロザリオを唱えました。時には祈れないこともありました。彼らがアラビア語で話し、頭の中で全く集中できないことがあったからです。
──解放を訴える神父様のビデオはどのように作られたのですか?
彼らはよく計画を練ってビデオを作りました。金を手に入れるために要求のビデオを作るのだと前もって言われ、私は従うほかありませんでした。私を殴っているかのように音をたてて撮影されましたが、決して危害は加えられませんでした。彼らはこのような動画によって身代金を手っ取り早く手に入れることを期待していました。
──解放されて、どのように感じていますか?
主は私のために大いなる奇跡を行い、新たないのちをくださいました。私を救ってくださったということは、私のためにまだ何か計画があるということで、主のために生き、あかしをするよう望んでおられるということです。全能の神に感謝したいと思います。インドとバチカンの教会の方々、サレジオ会、サレジオ家族、私の解放のために祈ってくださった皆さん一人ひとりに感謝したいです。確かに皆さんの祈りのおかげで、私はいのちを救われました。
──教皇様に会い、どのように感じましたか?
このことも、自分が囚われていたためにいただいた大きな恵みです。教皇様の前で自分の経験したことをお伝えしながら、たくさん泣いてしまいました。とても同情を寄せて共感、心配してくださり、2度、手に接吻してくださいました。新たないのちを与えられ、これ以上のことを望めません。世界中で私のためにささげられた祈りを皆さんに感謝していただきたいと、教皇様にお願いしました。
──今後の予定は? すぐにインドに帰るのですか?
今は体力が弱っていますが、薬や食事のおかげで元気を取り戻しはじめています。いくつか検査をしなければなりませんが、近いうちに回復できればと願っています。アデンにいたとき、体重は82キロでしたが、解放された際に測ったところ、55キロでした。この2日間、食事や薬をとり、良くなってきています。きっと元気になるでしょう、神の恵みと皆さんのお祈りが私を助けてくれているからです。
神のみ旨のほか、何も予定はありません。神のみ旨はサレジオ会の目上を通して伝えられるでしょう。もちろん、ぜひインドに帰り、皆に感謝し、家族にも会いたいです。でも、旅行していいという医師の判断を待ちます。もう少し時間がかかるかもしれませんが、もう少し待つ心の用意はあります。