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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

フィリピン パキスタン出身初のサレジアン・シスター


 

20170621_FMA

 

(Boscolink – 2017年6月21日 フィリピン・ラグーナ)
http://www.bosco.link/index.php?document_srl=23097&mid=webzine

By FMA, FIL province social communication


 2017年5月23日、フィリピン、ラグーナのモルネーゼ霊性センターで、総長に代わって奉献の言葉を受け取る管区長シスター・メイベル・ピラールの前で、シスター・ジュリア・カレン・アシュラフが初誓願を立てた。シスター・ジュリアはパキスタン出身の初めてのサレジアン・シスター。サレジアン・シスターズはパキスタンにまだ修道院を持っていないが、シスター・ジュリアは、フィリピン南管区に所属するパキスタンのサレジオ会を通してサレジアン・シスターズを知った。シスター・ジュリアは「聖マリア・マザレロ」フィリピン管区に所属し、現在、ラグーナ市、カンルバンのキリスト者の扶け聖マリア大学の共同体にいる。

 南アジアの国、パキスタンでは1998年からサレジオ会が活動、ラホーレとクェッタに共同体があり、2015年からフィリピン南管区のパキスタン委任地区となっている。

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 私はジュリア・カレン・アシュラフと申します。パキスタン、ラホーレ出身のカトリックの家庭に生まれました。女の子5人、男の子2人の7人兄弟で、私は5番目です。神の恵みによって、私の両親は2人とも健在です。自分はとても恵まれていると感じていますし、キリスト者の家庭に生まれたことを神に感謝しています。パキスタンにはわずかしかキリスト者がいません。パキスタン人の大多数、全人口の97%はイスラム教徒です。キリスト者(カトリックとその他の宗派)の割合はパキスタンの全人口の1.5%です。カトリックの家庭で育った私にとり、祖父母、そして両親は、私の信仰の養成に重要な役割を果たしました。祖父母と両親は、私にとって最初の相談相手、カテキスタでした。祖父母や両親のおかげで、私たちの家庭では男の子と女の子の間に差別はなく、パキスタンの文化に見られる男尊女卑のメンタリティーがありませんでした。女性も男性も平等の権利を持つ雰囲気を与えてくれていました。

 私は幼いころから、貧しい子どもや女性のために何か善いことをしたいという望みがありました。家族がわずかな持ち物の中から差し出して仕える姿を見ていたからです。13歳になったころ、自分の存在の最も深い意味を探し求める強い促しを自分の中に感じました。自分の人生の意義について問いかけはじめました。人生の本当の意味を見いだすため、さまざまなボランティア活動に参加し、自分の町や都会のいろいろな修道会を訪れはじめましたが、自分の求めるぴったりな答えは見つからず、満たされず、平安もありませんでした。しかし、この探求の促しは消えることがなく、私は自分にできるあらゆることをして主に仕えつづけました。時には望みがないように感じることもありましたが、この時期を通して私を支えてくれたのはご聖体だったと思います。

 1999年、初めてサレジオ会と出会ったとき、私はまだ15歳でした。2人の兄と1人の姉がサレジオ会員と共に働いていました。私は最初のサレジオ会宣教師たちの祈りの生活、献身的姿、喜びに深い感銘を受けました。特にハンス・ドファイデ神父様(神父様の安息をお祈りします)の姿に。サレジオ会の女子の会に入りたいと、とても強く惹かれました。自分の望みをハンス神父様に話したところ、神父様はサレジアン・シスターズがパキスタンに来るまで「祈って待ちなさい」と言われました(サレジオ会員たちも、パキスタンに来たばかりだったのです)。数年後、別のサレジオ会司祭が聖マリア・マザレロの本を貸してくださいました。それを読んでから、サレジアン・シスターになりたいという自分の望みは確かなものだと感じるようになりました。

 修道女になりたいという望みを表明したとき、私は15歳でした。すでに長いあいだ待っていました。私は24歳になり、カテキスタ、パキスタン・カトリック聖書委員会の事務局秘書、数々のボランティア活動など、多くの教会活動にたずさわり、いろいろな女子修道会を訪問し続けていましたが、入会するように呼ばれているとどうしても感じませんでした。いつも心の奥底で、サレジアン・シスターになることを望んでいました。パキスタンにサレジアン・シスターズがいないので、かなわない夢でしたが。

 私たち家族と親しい司祭の1人は、パキスタンにある女子修道会に入るか、あるいは結婚生活を選ぶか、どちらかにするよう私に勧めました。パキスタンの文化では、女の子たちが思春期に入ると、両親はすでに結婚について考えはじめます。私も結婚適齢期でした。たくさん祈った後、私は求婚者の1人に条件付きで承諾の返事をしました。サレジアン・シスターズからの返事を待っていること、25歳の誕生日まで待って返事がなければ結婚するという条件でした。25歳になったとき、修道会に入るか、結婚を選ぶか、決めなければなりません。そして長年待ち続けた後、誕生日の2か月前、クェッタで行われる召命の集いにサレジオ会が招いてくれました。私は修道生活の召命を探求するという決断を婚約者に伝えました。彼にとって受け入れがたいことでしたが、私の決断を尊重し、行かせてくれました。

 2009年、クェッタ市のサレジオ会のもとで1年間準備した後、私はとうとうフィリピンに送られました。私はとても幸せで、カトリックの国、フィリピンにいられる恵みを味わいました。私が出会った多くの人は、神様の希望、信仰、寛大さ、喜び、温かく迎える心にあふれていました。私はすぐにわが家にいるように感じました。さまざまな文化の交わりの体験によって、自分の文化だけでなくほかの文化も感謝する新たな意識とより広い視野を与えられれました。召命の歩みを続けながら、全く神のものになりたいという望みはより強くなっています。私が生きてきたさまざまな異なる文化の価値を合わせることが、私の最も大きな願いです。私自身の文化とサレジオのカリスマ、そしてサレジオのカリスマをパキスタンにもたらすこと、いのちの尊厳、女性と子ども・若者の尊厳を促進することです。神様がパキスタンの若者のために、私をご自分の希望と励ましの道具としてくださること、それが私の祈りです。また、み旨ならば、いつの日かパキスタンにサレジアン・シスターズの共同体が生まれるのを見たいと希望し、願い、祈っています。

 パキスタンで働いてきた、また今も働いているすべてのサレジオ会員に心から感謝します。特にペトロ・ザーゴ神父様、フリオ・オレゴ神父様、フリオ・パルミエリ神父様に、私の夢を実現させるための霊的、物的な支えを感謝します。また、私を会に、フィリピン管区に受け入れてくださったこと、姉妹的愛情と受容を、ランゴア総長に深く感謝します。

 私からの若者の皆さんへのメッセージです:愛する若者の皆さん、神様はあなたの「はい」を待っておられます。神様に自分をゆだねてください、神様はあなたの心にかかっていることを引き受けてくださいます。あなたにとって何がいちばん良いか、神様はご存知です。人生は山あり谷ありですが、とにかく神様につかまっていてください。心の沈黙のなかで、神様の声が聞こえるでしょう。神様に信頼してください、いつ、どこへ、どのように進めばよいか、示してくださるでしょう。皆さんのことをたとえ知らなくても、私の祈りの中心に皆さんのことを思っています、皆さんは私の人生の中の存在なのです。神様が私たちを、私たちの家族・家庭を祝福してくださいますように。

 

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