ドン・ボスコからの手紙 2012
夢見る若者へ
いつも夢見ることをやめなかった父より
愛する私の子どもたち、
親愛なるサレジオ青少年運動の若者の皆さん、
父、友として、私の9代目後継者であるチャーベス神父、サレジオ会総長を通して、私は皆さんにこの手紙を書いています。
2011年8月17日、WYDの際、マドリッドで皆さんに会ったときのことは、私の思い出に、心に、深く刻まれています。皆さんが責任感を持って、若いキリスト者として誇りをもって信仰を生きているのを見て、本当にうれしかった。神様の自分のための計画に人生をかけたい、という皆さんの望みをすばらしいと思った。あなたたちが祈り、みことばを喜びのうちに迎えるのを見て、私は感動しました。ご聖体の主を沈黙のうちに礼拝する皆さんの姿を見るのは、本当にすばらしかった。その中で、皆さんの明るい快活さはなおさら美しく、まじりけなく、その喜びが周りに伝染するかのようでした。たくさんのサレジオ会員、サレジアン・シスターズが皆さんの中に一緒にいるのを見て、うれしかったです。今、皆さんが、2015年に私のために大きな祝いを準備していると聞いて、うれしく思います。ここ、天国で、イエスのみ顔を見つめている私たちは、地上で起きていることは何でも知っています。この近しさによって、私の存在は、まるであのころのトリノのヴァルドッコのオラトリオのように、皆さんの中で真実な、生き生きとしたものとなるでしょう。あの時代よりも有利な点が一つあります。世界中の130カ国に広がるすべてのサレジオ家族の働きの場に、私は生きて共にいることができるのです。
ですから、私は以前と同じように、抽象的な理論ではなく、心からの温かい言葉で皆さんに語りかけたいと思います。皆さんの心に届く、神秘的な道を見いだすために、いちばん良い言葉を見つけたいのです。皆さんの心は、あまりにもしばしば、大人たちの無関心によって、愛が裏切られたことによって傷ついています。
私は、主によってあなたたちに遣わされました。私はこのように言われました。「これが、あなたの働くべき分野です。謙遜で、強く、たくましい人になりなさい。今、この動物たちになにが起こるかを見せてあげましょう。その同じことを、わたしの子どもたちのために、してあげてほしいのです。」
今日、多くの若者が閉塞感に押しつぶされそうになっていると私は感じています。霊的に窒息して死んでしまう危険にさらされていると。腐敗、大人たちの若者への無関心、不安定な将来、破綻した経済、冷たい組織と化した宗教、社会や家庭の不毛な人間関係。価値観の貧しさ、人間的な文化の乏しさが広がるこの状況の中で、生きることの豊かさを取り戻すために飛躍しよう、と皆さんに呼びかけたいと思います。新たな力にあふれて物事に取り組み、預言的な行動に出て、勇気ある生き方の計画を打ち出してください。それは、人としての深い確信、信仰の確信から生まれるものです。
夢を見る時間と力が与えられなければ、皆さんが捕らわれた泥沼のような状況から抜け出すことも、この陰鬱な人間の歴史という牢獄の向こうにある自由を、つかのま味わうことも、難しいことです。
「私の夢……あなたの夢……神様の夢」
私が9歳の時に見た夢は、私の人生を決定づけました。それは私が選んだ仕事を導く光になりました。
主の助けによって、皆さんを招きます。皆さん一人ひとりが、創造力豊かに生きることができるような、自分の夢を見つけてください。何があっても負けずに歩みつづける力を与えてくれる夢です。
心を神に向け、足をしっかりと地面に付けて夢を見ることは、逃避ではありません。何か新しいものを人生に迎えることです。まだ手にしていないけれども、そこに自分自身を見いだせるものに向かって、自分をかけて行くことです。
私は58歳の時、人生の40歳までのことを本に書きました。『聖フランシスコ・サレジオのオラトリオ回想録(ドン・ボスコ自叙伝)』です。教皇ピオ九世に命じられて書いたものです。今、そして将来、皆さんを助けることができればと思い、私は愛情を込めてこの霊的遺言を書きました。この「伝記」を読んでください。私の生涯にどんなことがあったか知りたいという好奇心からだけでなく、むしろ、血と汗のにじむ行間から、あらゆることの目的は、人生を最大限豊かに生きることだと発見するために読んでほしいのです。教育の責任を担う人たちは、自分の人生を愛の奉仕と見なさなければなりません。子どもたちをおとしめたり操作して利用したりするのではなく、キリストに向かうよう心を「形作る」ために、知識を身につけなければなりません。教育によって、私たちは神と人に愛されていることを知るようになります。教育は愛徳の具体的な実践なのです。
ですから、サレジオ会員として私たちは、耳を傾け、相手を大切にする、沈黙のうちに苦しむ、一貫した、咎められることのない生活からあふれる権威という教育的伝統をもって教えます。私たちは特に、愛をもって教育します。イエスのいつくしみの反映である私たちの無償の愛が無くなってしまうなら、若者たちは寒さで凍え死ぬでしょう。
皆さんを愛情を込めて抱擁しながら、私の心のいちばんの秘訣を明かしましょう。私の使命には、ある特徴が表れなければならないと、私は常に信じていました。若者が若者を救う、ということです。
サレジオ会が創立されたとき、私は力のすべてを若者に注ぎました。あなたたち若者だけが、知識を知恵に変え、その知恵を生き方に活かす力を持っています。互いに関わり合い、補い合ってください。
新しい預言者となり、この世界に見られる混乱のただ中、進むべき道を指し示すことのできる人になってください。中途半端のままでいる余裕は、もはやありません。愛する若者の皆さん、表面的に生き、人生を導く指針もなく、秘めたエネルギーも発揮しないまま、青春を無駄にしないでください! 大きな夢を持って! 人生ですばらしいことを成し遂げてください!
リスクを恐れない大胆なあかし人になってください。それは自分の力を信じるからではなく、神が働かれ、介入されるときに、自分の弱さを道具とするその方法をあなたたちが知っているからです。
生きる希望と勇気を呼び覚ます愛の信号を高く打ち上げ、夜明けを告げる歩哨になってください。福音によって求められる生き方を、自由で透明な知性と心で理解できる人になってください。周りの状況に関心を持ち、共通善のために貢献する市民になってください。
連帯の文化を促進し、無私の心で人に仕える生き方を育んでください。ボランティア運動は「人生の学び舎、より人間らしくなるための決定的な要素」、人としての価値に開かれる体験です。
愛する若者の皆さん、このクリスマスにベネディクト十六世がバチカンで働く聖職者やスタッフの皆さんに語られたいくつかのことを紹介しながら、私のメッセージを締めくくりたいと思います。
教皇様は、2011年のマドリッドでの世界青年の日大会(WYD)が、「キリスト者としての新しい、若々しい生き方」の表れだったと言われました。この忘れがたい集いのおもな5つの側面を教皇様はあげられました。
最初の側面。若者が世界中から参加したこと:さまざまな人種、民族、言語、文化。それは「カトリック性、教会の普遍性の新たな体験」の表れです。私たちは皆、兄弟姉妹であり、一人の主イエスと出会って一つの家族に集められ、同じ典礼を共に祝うのだということに、目を開かせてくれます。
二つ目の側面。多くのボランティアが惜しみなく、喜んで奉仕したこと。「他者に仕えるのは、美しい生き方です。」自分だけのために取っておくのではなく、無償で差し出されるとき、いのち、時間はその本来の意味を見いだします。
三つ目。ご聖体の前で、礼拝の心で、深い沈黙があったこと。復活された主はどこにでもおられますが、特にご聖体のうちにおられます。
四つ目。ゆるしの秘跡を受けた若者が数多くいたことは、次のことを示しています。私たちは神に造られましたが、神の愛から来る豊かないのちに至るまでは、利己主義へと向かわせようとする、自分の内にある悪の力も体験します。そのため、自分はゆるしを必要としているということに、私たちは気づきます。それは責任感の表れでもあります。
そして最後に。信仰から来る喜び。神に必要とされ、受け入れられ、よしとされ、愛されているという確かさ。「あなたがあなたでよかった」と言ってくださる方。私たちを存在させ、一人ひとりに人生の計画を持っておられる方に信頼して生きる喜びです。
まとめると、「新しい福音宣教」とは、共に歩もう、他者に仕える生き方をしよう、神を礼拝し、神のゆるしを受け、神の愛に自分をゆだねようという呼びかけです。
愛する若者の皆さん! あなたたちは私の心の中にいます。私はイエスと共にいるのですから、あなたたちを思い出し、祈りによって支えましょう。あなたたちがイエスの似姿となり、人生を贈りものとすることができますように。あなたたちが幸せを、夢の喜びを見つけることができるのは、この道をおいてほかにありません。それは、神の神秘に大きく開かれた夢、神様がいつも私たちの心に蒔いておられるいのちの可能性を豊かに実らせるまで、皆さんが澄んだ深い海を航行できるように導いてくれる夢です。
父より愛をこめて。
ドン・ボスコ
2012年1月31日 ローマ